採れたて本!【歴史・時代小説#17】

採れたて本!【歴史・時代小説】

 忠臣の視点で前田利家をとらえた歴史小説「いのちがけ」で第2回決戦!小説大賞を受賞してデビューし、架空の神山藩を舞台にした『高瀬庄左衛門御留書』『黛家の兄弟』などで注目を集める著者の新作は、初の市井人情もので全8作を収録した短編集となっている。

 腕がよいかざり職人の兄弟子・弥吉が賭場の喧嘩で島送りになった後に弥吉の女房おみのと夫婦同然になった善十。そこへ赦免になった弥吉が現れたことで、職人としての腕も男振もよくないが善人と思われていた善十の意外な一面が明らかになっていく「帰ってきた」。貧しく治安も悪い裏長屋で生まれ育ち盗み喧嘩に明け暮れていたが、日本橋の呉服屋に拾われ思わぬ才覚を発揮して手代に出世した秀太郎が、同じ店で働き始めた幼なじみの梅吉の言動に不審を抱く「幼なじみ」。この2作は、周到な伏線から鮮やかなどんでん返しを作っており、ミステリとして楽しめるのはもちろん人間の二面性にも切り込んでいた。

 主家の改易で浪人になった平右衛門は手習い処の集客に手を貸してくれたおよしを憎からず思うようになるが、嫡男の死んだ御家人の娘との縁談が持ち上がる「錆び刀」、前の旦那が目の前で殺された過去がある女房の寝言で、女房が信じられなくなっていく男を主人公にした「さざなみ」、囲われていた母が亡くなり日本橋の呉服屋に引き取られたるいに縁談が持ち込まれるが、その境遇ゆえに障害が出てくる「妾の子」は、息苦しいほどの緊迫感がある恋愛小説である。

 父が急死し、その両親を頼って両国橋を渡った先の本所に引っ越し、近所の悪童たちの親分になった幹太と、桶屋の息子で幼なじみの進次郎が同じように親分になったことから抗争をすることになる「向こうがわ」は、境界を象徴する橋を巧みに使って転落した者の哀しみ、変わらぬ生活を送る人間への嫉妬を表現していた。日本橋の太物問屋で働くおさとの前に家族を捨てた父が10年ぶりに現れたことで、父が賭場で新たに作った借金の返済にも追われる「死んでくれ」は、憎んでいても断ち切るのが難しい家族関係の複雑さを見事に描いていた。

 現代社会も、教育格差の広がりで生まれ育った境遇から抜け出すのが難しく、ひとたび転落するとなかなか這い上がれず、虐待、介護、相続といった家族間のトラブルが絶えないだけに、幹太やおさとが直面する困難には圧倒的な普遍性を感じ、共感も少なくないはずだ。

 本書には、ハッピーエンドの中に苦さが滲む作品もあれば、バッドエンドの先にほのかな希望を感じる作品もある。この複雑さが善悪も、禍福も単純に割り切れない社会で、時に迷い、時に判断を誤りながらも懸命に生きる小さな個人の人生を際立たせており、山本周五郎、藤沢周平、宇江佐真理ら市井人情ものの名手とは違う物語世界を作り上げていた。

夜露がたり

『夜露がたり』
砂原浩太朗
新潮社

評者=末國善己 

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