採れたて本!【歴史・時代小説#20】

採れたて本!【歴史・時代小説#20】

 明治後期の北海道東部で狩猟生活を送る男を主人公にした『ともぐい』で第170回直木賞を受賞した河﨑秋子の受賞後第1作は、北海道に造られた監獄・樺戸集治監を舞台にしている。吉村昭『赤い人』、山田風太郎『地の果ての獄』なども樺戸集治監を取り上げているが、先行作が典獄(監獄の長)や看守に着目していたのに対し、本書は苛酷な懲戒駆役や囚人の人間模様を軸にしている。リアルな獄中生活はドストエフスキー『死の家の記録』を、国事犯と噓か本当か分からない話をする殺人犯が親しくなる展開は、収監された女装の同性愛者と政治犯の会話で物語が進むプイグ『蜘蛛女のキス』を想起させるものがある。

 明治18年。世の中の不正を正す運動に参加した元士族で東京大学に通う瀬戸内巽は、国事犯として徒刑13年の判決を受け樺戸集治監に送られる。巽を密告したのが身内で、その男に将来を誓った女を奪われた事実が、巽の精神に追い討ちをかけていた。巽は樺戸集治監の雑居房で、二人を殺し無期徒刑になった話好きの山本大二郎と出会う。巽と大二郎は薪を作るための木々を伐採する担当になり、脱走を防ぐため二人を鎖で繫ぐペアにされたことで次第に仲を深める。

 囚人に権利などなかった時代だけに、劣悪で非人道的な待遇には想像を絶するものがある。それを、不衛生な環境で暮らす囚人たちが放つ臭い、麦飯と薄い味噌汁、漬物といった食事の不味さ、看守の怒声、温かい衣服も寝具もなく過ごす冬の寒さといった五感に訴える描写で再現しており、圧倒的な生々しさがある。

 巧みな話術で時に場を盛り上げ、時に混乱を招く大二郎は、隠すためなら飲み込んで便の中から取り出すのも厭わないほど中に水が入った小さな水晶を大切にしていた。タイトルにある「石」は、この水晶のことである。農家出身なので士族が多い同僚から低く見られているが、的確に仕事をこなして出世する看守の中田末吉は、大二郎が持つ水晶の存在に気付いた。そして水晶は、巽、大二郎、中田の人生に少なからぬ影響を与えていく。

 囚人は、命令があれば不本意な仕事に就かねばならず、不当な扱いをされても逆らえないが、これらは程度の差はあれ働いていれば誰しもが直面する不条理といえる。その意味で樺戸集治監は、働く意義、生と自由の意味を問い掛ける場であり、どんな状況でも生き残らなければならないという巽の執念は、働くすべての人への強いメッセージになっている。

 現代ならそこまでの罪にならないはずの政治運動をして国事犯にされた巽は、本人も冤罪だと思う気持ちから汚名をそそぎたいと考えている。中田は大二郎の犯した罪を憎んでいたが、終盤になると予想外の事実を突き付けられ価値観が揺らぐ。善/悪は単純に割り切れないとする本書は、自身の正義が歪んでいると気付かず大上段に振りかざす人が増えている現状を鮮やかに批判していた。

愚か者の石

『愚か者の石』
河﨑秋子
小学館

評者=末國善己 

田島芽瑠の「読メル幸せ」第75回
◎編集者コラム◎ 『活字のサーカス 上』『活字のサーカス 下』椎名誠