“勝ち組”の生活の悲哀を描く、「タワマン小説」の世界

高級タワーマンションに住む人々の生活の悲哀を描き、SNSで大きな話題を呼んだ「タワマン文学」。誰しもが羨むような学歴や職業、生活を手にしていながらも、自分の人生にどこか虚無を抱えている人々を描いた「タワマン小説」を、3作品紹介します。

「うちは42階だからエレベーターで地上に降りるまで5分くらいかかるし、気圧のせいでお米も美味しく炊けなくて。夜景に惹かれて選んだ家だけど、もうすこし低層階にしておけばよかったかなあ?」

Twitterを眺めていて、こんなツイートを目にしたことはありませんか? タワーマンション、いわゆる“タワマン”の高層階に住むほどにハイソサエティな暮らしを送りながらも、そんな自分の生活に葛藤を覚えていることを匂わす。社会的なヒエラルキーの上下を常に意識しながら暮らしていることに息苦しさを感じる人々のこのようなつぶやきや一連の文章は、“タワマン文学”と呼ばれ、虚実入り交じるその内容に注目が集まっています。

今回は、そんな“タワマン文学”ブームの火付け役ともいえる麻布競馬場の作品をはじめ、嫉妬やマウントが渦巻く、“タワマン文学”の匂いを感じさせる小説を3作品集めてみました。 そのあらすじと読みどころを紹介します。

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(麻布競馬場)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4087880834/

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』は、Twitterの創作ツイートで一躍人気となった文筆家、麻布競馬場のデビュー小説集です。本書には、Twitterで14万いいねを記録した連続ツイートの改題『3年4組のみんなへ』や、表題作のショートストーリー、『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』などが収録されています。

“タワマン文学”ブームの立役者である麻布競馬場。彼の作品の多くは、多くの人から羨ましがられるであろう学歴や職業、生活を手にしていながらも、自分の人生に後悔と虚無を抱えている人々の独白を描いたものです。

収録作の『2802号室』は、28歳の誕生日、部屋の窓から東京タワーがよく見える、家賃28万円の高級マンションに引っ越してきた男性の半生を描きます。田舎出身の主人公は、勉強はできるものの運動神経が悪い子どもで、小学生時代は同級生に馬鹿にされることも少なくありませんでした。しかし、受験戦争を勝ち抜いて早稲田大学に合格し、進学とともに上京したことで人生の風向きが大きく変わります。

“祖父が費用を負担してくれて海外留学なんかもやった。なんとなく受けた渋谷のメガベンチャーに無事採用され、なんとなく入社して好きでもないゲーム事業を担当した。(中略)”
数年前に転職した。職場は同じく渋谷で、toCサービスの広告分野でマネージャーをやっている。副業で始めたウェブ広告代理店が結構当たって、最近は節税のためにポルシェでも買おうと思っている。”

“ここ半年ほど、東カレデートで日々いろんな女の子と会っている。数限りないABテストの結果、過去のエピソードで人気なのは「サッカー部に入ってたんだよね」だと判明したので、高校時代の話なんかを聞かれたらそう答えている。ありもしない高校の、ありもしないグラウンドで、ボールを追って笑顔で駆け回る、ありもしない僕。”

主人公は、運動神経が悪く帰宅部だったことを、アプリで出会った港区の女の子たちに話そうとはしません。きらびやかな経歴とリッチさを武器に、主人公はさまざまな女性とデートを重ねます。しかし、彼の頭の中には過去の劣等感や、同級生や家族へのねじれた思いが常に渦巻いており、現在の自分の生活を祝福しきれずにいます。

都内近郊で暮らしたことのある読者であれば、“東カレデート”、“渋谷のメガベンチャーでゲーム事業を担当”といった絶妙な固有名詞が生み出すリアリティも相まって、この主人公のような人物を知っているような気持ちにさせられるのではないでしょうか。世間からは“勝ち組”と呼ばれる人間の悲哀を覗き見するような、現代ならではの作品集です。

『サークルクラッシャー麻紀』(佐川恭一)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B078GDXTLG/

『サークルクラッシャー麻紀』は、『舞踏会』『アドルムコ会全史』などの作品がある作家、佐川恭一の短編集。表題作の『サークルクラッシャー麻紀』は、京都大学の架空の文芸サークル「ともしび」のメンバーたちの人間関係を、ユーモラスでありながらどこかリアルに描いた作品です。

『サークルクラッシャー麻紀』の主人公である大学生の麻紀は、女性的な魅力を武器にサークル内の男性たちの人間関係を破壊していく、通称“サークルクラッシャー”。艶やかなショートボブの髪と白い肌を持つ絶世の美女で、女性経験の乏しい文芸サークルの男性メンバーたちが自分の登場をきっかけに混乱し、コミュニティがめちゃくちゃになっていくのを日々楽しんでいました。

“サークルクラッシャー麻紀は今日も美人である。明るく元気に大学に通う。すれちがう男子学生たちのうちヒエラルキー下位の者たちは目を合わせることもできずにうつむく。サークルクラッシャー麻紀の放つ輝きはヒエラルキー下位に耐えられるようなものではない。ヒエラルキー上位は「おう」「ウィス」「よっ」などと軽やかに挨拶をし、時には短くまとまったオシャレな会話をやり取りする。それを眺めるヒエラルキー下位はルサンチマンをみなぎらせる。そのエネルギーは彼を演劇に向かわせたり、絵に向かわせたり、文学に向かわせたりする。”

文芸サークル「ともしび」は、本作で言うところの“ルサンチマンを文学に向かわせた”学生たちの溜まり場でした。著名な文学賞の最終選考に残ったことがある部長、三次選考まで残ったことがあるメンバー、そして一次選考落ちのケンタ、という形で、サークルに所属するメンバーの中には暗黙の序列のようなものが存在していました。しかし、ある日「ともしび」に麻紀が参加し、一次選考落ちのメンバーと関係を持ったことで、その序列は音を立てて崩れていきます。

“『ともしび』の例会に現れたケンタの様子がおかしい。いつも小説を書いては叩かれ気弱に笑うばかりだったケンタが、自信に満ちあふれた様子で「まず、僕の小説から読んでみてくださいよ!」と普段の三倍にも達するほどの声で言ったのである。みんなで首をかしげながら読むと、それはケンタがこれまでに書いたこともない、凶暴なセックス・ドラッグ・ロックンロール小説であった。その童貞らしからぬあまりにも生々しいセックス描写にたどりついたとき、全員が気付いた。
こいつ、もう童貞じゃない!”

それからというもの、ケンタの小説からはやさしさや繊細さが失われていき、ケンタは麻紀に好かれるよう最適化された行動や言動をとるようになります。他の部員たちも次々と麻紀と関係を持ち始め、サークルは崩壊への一途を辿っていくのです。

『サークルクラッシャー麻紀』を始め、本書の収録作はどれも思わず爆笑してしまうような作品ばかりですが、登場人物たちは皆、京大という最強の学歴を手にしていながらも、“リア充”や“陽キャ”と呼ばれるようなコミュニケーション能力の高い学生たちへの嫉妬と劣等感を抱えています。グルーヴ感のある文体とともに、その切なさやおかしさを味わっていただきたい1冊です。

『ハピネス』(桐野夏生)


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『ハピネス』は、『OUT』『グロテスク』などの代表作がある小説家の桐野夏生による、高級タワーマンションに暮らす人々の人間関係を描いた長編小説です。本作は女性向けファッション誌『VERY』での連載を経て書籍化した作品ですが、その抜群のリアリティと恐ろしさで、連載時から大きな注目を集めていました。

主人公は高級タワマンに暮らす専業主婦の女性、岩見有紗。彼女には花奈という3歳になる娘と海外赴任中の夫がおり、誰からも羨ましがられるような生活をしていますが、実際には強い息苦しさを感じながら日々を送っていました。

有紗の住むタワマンは江東区の巨大な埋立地に建っており、強風が吹くたびに潮が舞うばかりか、ごうごうと不気味な音を立てます。さらには、高層階からの落下物を防ぐためにマンションには非常にルールが多く、バルコニーにはいっさい物を出すことができず、洗濯物を干せる時間帯もわずか2時間と、窮屈な暮らしを強いられていました。

また、花奈は周囲のママ友たちの子どもと比べると内気で、滑舌もあまりよくない子です。まだ小さいから気にすることはないという有紗の両親の言葉とは裏腹に、有紗はそのことで焦りを感じていました。

“早いうちに社会性を身につけなければ心の発達が遅れるのではないか、引きこもりになるのではないか、といった根拠のない不安がある。だから、同じ年頃の子供たちと、もっともっと遊ばせなければならない、という強い思いに囚われるのだった。”
だけど、保育園のような施設はご免だった。母親は働いたりせずに、たっぷりと愛情と時間をかけて、子供を育てなければいけない、と固く信じている。そのためには、よい保育園を選んで、同じような考えを持つママたちと仲良くすることだ。”

有紗は生活に不満を感じつつも、独身時代からずっと憧れていたタワマンで暮らしているという優越感が勝り、その不便さや不快さには見ないふりをし続けています。しかし、同じマンションの最高層に住むいぶきちゃんのママ、通称「いぶママ」の暮らしぶりを人から聞くたびに、自分たちは分譲ではなく賃貸でマンションに住んでいるという悔しさに駆られるのでした。

有紗は生活に疲れと焦りを覚えながらも、「いぶママ」をヒエラルキーの頂点とするママ友たちとの付き合いに喜びも感じています。それは、自分の持つ劣等感や不安が、ハイソサエティな暮らしを楽しむママ友たちとの交流によって帳消しにされるような感覚を覚えるからでした。

会社員時代の職業や夫のスペック、学歴。さらには、子どもたちをどんな幼稚園に通わせ、どのようなキャリアを歩ませようとしているか。彼女たちの交友関係の中では、すべてが相手を値踏みするための材料で、毎日が周囲との闘いなのです。空虚な価値にしがみつこうとする人々を残酷なほど緻密に描く、桐野夏生ならではの社会派の作品です。

おわりに

“いい暮らし”と呼ばれるような生活を送り、華やかな学歴や経歴を手にしていながらも、内心には強い虚無感や劣等感を抱えて日々を過ごしている──。そんな“タワマン文学”的な価値観に人知れず共感する方もいれば、強い嫌悪感を覚える方もいることでしょう。

しかし、自分自身とはかけ離れた価値観を持つ登場人物たちの思想を覗き見することができるのが小説の醍醐味でもあります。なかなか自分では経験することのできない世界を疑似体験する装置のひとつとして、“タワマン文学”を楽しんでみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2022/10/19)

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