負をプラスに転じて考える 災禍の時代、自然との共生 「源流の人」第1回:枡野俊明(禅僧、作庭家)

これまで世界が体験したことがないパンデミックが地球上を覆っているいま、我々はどう生きていけばよいのか。新刊『定命を生きる』(小学館)では、いかに生きいかに死ぬかを説き、日本はもとより世界中から支持を受けている異能の禅僧に、混迷の時代の心の在り方を訊いた。

 


連載インタビュー 源流の人 第1回    
時代に流されず、 常に新たな価値観を発信し続ける人々を追う

負をプラスに転じて考える
災禍の時代、自然との共生

 
枡野俊明
禅僧、作庭家(67歳)


インタビュー・加賀直樹 Photograph: Matsuda Maki

 いつになく穏やかだった冬が終わりを告げる頃、横浜市郊外・菊名駅から少し離れた小高い丘にある禅寺を訪ねた。曹洞そうとう宗徳雄山建功けんこう。「椿つばきの寺」として知られる境内には、ちょうど深紅の花々が咲き誇り、それを追いかけるように白木蓮はくもくれんや桃、彼岸桜など春の花が一斉に色づき始めていた。まさにその前日、WHO(世界保健機関)が「パンデミック」を告げ、新型コロナウイルスが全世界を相手に牙をき始めた。大都市封鎖、医療崩壊、非常事態宣言──そんな恐ろしい言葉が駆けめぐるなかで、いま、眼前に広がっているのは、その世紀末的な閉塞感や恐怖とはおよそ趣を異にした、あまりに静謐せいひつな世界だった。
 鬱蒼うっそうとした竹林に囲まれそびえ立つ、鐘楼堂。このお堂も、そして現在新築中の本堂も、建築デザインにあたったのは、この建功寺の住職・ますしゅんみょう。僧侶、庭園デザイナー、大学教授という「三足の草鞋わらじ」を履き、国内外に活躍の場を広げ続ける、時の人だ。雑誌「ニューズウィーク」日本版では「世界が尊敬する日本人100」に選ばれ、数々の日本庭園設計も手掛けている。近い将来には、ベトナムで大規模な庭園のプロジェクトも控えており、「禅」の精神の息づくその作風は広く支持され、文字通り内外を飛び回る日々が続いていた──「コロナ禍」の嵐が吹き荒れるその日までは。
 すっくとした姿勢で、黒の衣姿で竹林の道に立つ彼は、静かに、しかし、はっきりした口調で、こう語る。
「『ビフォアー・コロナ』と『アフター・コロナ』で、時代は大きく変わるでしょう。私たちは今、試されています。現状を知り、乗り越えるために、できること、やるべきことが、私たちにはあるはずです」

「日常」の麻痺を考え直す

 世界はこれから、否応なしに激変の荒波に呑まれてゆく。この疫病に打ちつ新薬が開発され、充分な検証が済むまでは、人やモノの流れに著しい制限が課され、世界経済は大打撃を受けるはずだ。とりわけこの国には、五輪延期による損失もそれに加算されていく。カネの話だけではない。何よりも、全世界の人々がこれほどまでに、生命の危険に、しかも同時にさらされた例はない。我々の社会の在り方も変わらざるを得ないだろう。
 境内の井戸からんだ水を沸かし、急須で緑茶をれ、静かにそれを差し出してくれた枡野は、「幸か不幸かは別ですが」と前置きした上で、ゆっくりと語り始めた。
「まず、働き方の見直しが始まると思います。リモートワーク、テレワークなどで、自宅で家族と過ごす人が増えていますよね。そうすると、これまでのように、ガムシャラに仕事をして収入を得ていく生き方に対し『それで本当に良かったのか』と見直す時間を持つ人が増えてくるでしょう。ひいては、生き方に対する考え自体も、変わってくるはずだと思うのです」
 働き方だけにとどまらない。これまで当然であると思っていた日常に対する再検証が、今後は必要になってくる。たとえば、昨日獲った沖縄の魚が翌朝、東京の豊洲市場に並ぶ日常。コンビニに行きさえすれば、どんな食べ物でも、日用品でも豊富にそろっている日常。枡野は説く。
「そんな毎日は決して『普通』ではありません。そのありがたみを、私たちは忘れていなかったでしょうか」
 確かに、この便利な世の中の在り様を、わたしたちは当然のように享受しながら、皮肉にもその心の中に日々、おりのようにストレスをめていく。かつてないほどの負荷が、日々重なり、過積載となった人の多くがたおれていく。枡野はこの「日常」にも警鐘を鳴らす。「便利、イコール精神的豊かさ、ではないことにも、今後は目を向けなくてはなりません。自殺する方々がこれほどまでに多い社会に、わたしたちは麻痺まひしてしまっていないでしょうか」
 心への負荷がかかること。それ自体は、どんな世においても、生きていく以上、ある程度は仕方ないこと。ただ、自死の道を選ぶ者が二万人にも及ぶ時代は、過去の社会においては経験していない事態だ。枡野は問いかける。「皆さん、もう気付き始めていますよね。人間が生きていく上での豊かさは、利便性の追求ではない、ということを。真の意味での豊かな生活とは何か、この『パンデミック』を機に考え直していく時期に来ています」
 寺の建つ高台から数キロ南の埠頭には、あの惨禍を起こしたクルーズ船が長期停泊していた。何千人もの乗客たちが、地面を遠く離れた洋上で暮らせる客船。人と人が密着したライブハウス空間。数分おきに確実な時を刻みながら疾走していく満員の地下鉄……。枡野は言う。「人間が作り出したそんな世界が、いつしか自然と遊離してしまっている側面はないでしょうか」
 ラクなほう、ラクなほうへと闇雲にかじを切っては機械化に邁進まいしんし、いつしか築き上げた仮想世界。それは、瞬く間に広がり、スマートフォンがなければ、どこへも、何にも辿り着けなくなる人が増えた。枡野は問いかける。「本来、わたしたち一人ひとりが潜在的に持ち備えていた、生命体としての能力を鈍らせてはいないでしょうか。そんなことも考え直す時期が来ているのです」
 かつて流行はやり病やきんなど、規模は違えども同様の事態は多々あったはずだ。それに対し、禅の世界の先人はどのように向き合っていたのか。
「起きてしまったこと、なってしまったものは、取り戻すことができません。そこから、いかに自分たちが成長するきっかけにするか。禅は、負のものをプラスに転じて考える。パンデミックになったのなら、ここから何を学習し、人間として豊かな生活ができるように、何をすれば良いか、考える機会を持つことが大事です」
 そして、この未曽有の事態が続く間に気がついたこと、考えたことを、のちの我が身に重ね合わせて将来の人生像を描いていく。それこそが重要だ、と彼は説く。逃げていても仕方ない。現状を認めつつ、どうやって現実的にそれを防御するか。「まずは各人が体力を保ち続ける。睡眠時間を多めに摂り、可能な限り、食べ物にも気をつける。そのうえで、今後の生き方を見据えていく。右往左往せず、受け止め、考えていく。これが肝要です」

即今 当処 自己

 ならば、本当の意味での「豊かな生活」とは。枡野は言葉を慎重に選びつつ、こう答えた。
「現代社会は、謙虚さを失いました。そこが一番の問題です。自分の力で生きている、自分の力で何もかもやっている、と過信している。私たちは自然と共に、皆のなかで生かされているのです。人と人との関係のなかで生かされているのです。それを意識すれば、人は謙虚さを取り戻せるはずです」
『定命を生きる』の中で枡野はこんな禅語を紹介している。
即今そっこん 当処とうしょ 自己じこ
 たったいま、その瞬間に、その場所、場面で、自分がやるべきことを精一杯やっていく大切さを説いたものである。禅の根本の、良く生きることの教えだ。
 望まぬ事態が訪れた時には、それを否定しようとしても意味がない。事態を全面的に受け止めていく。「よりによって、なぜ私に」と嘆く暇があるならば、「その後」の最善策を練っていくことが大事だと、枡野はいう。
 そんな枡野の一日は、あくまでも早い。
「毎朝四時半にはしぜんと目が覚めます。ただ、現在は十五分ほど遅く起きるようにしているんです。ほら、コロナ対策には睡眠が一番大事、と伺いましたから」
 午前五時。顔を洗い、身支度を整え、広大な境内へ。
 僧侶として朝の勤めを一通り終えると、庭園デザイナーの顔に変わる。約六十平方メートルのアトリエに移動するや、スタッフ約十人と共に描画やデザインの作業に没頭する。
 日が暮れた午後六時半、庫裡くりへ戻って夕食を摂り、もうひと仕事。床に就くのは午後十時半だ。
 平成十年(一九九八年)からは、多摩美術大学でデザインの教鞭きょうべんを執っている。二十四時間、じっくり休める日は年に数えるほどしかない。

我が身もまた、あるがままに

常に持ち歩いている扇子。 京都の仏具店で買ったもの で、お祝い事の時は赤、不 祝儀の時は黒と決めている。

 小学五年生の時分、旅で訪れた京都・りょうあんの石庭や、大徳寺大仙院の美景に心を奪われ、以降、作庭の魅力に取りつかれた。高校生の頃、自らが後に継ぐ寺の庭の改修に訪れていた、日本庭園の大家・斉藤勝さいとうかつ氏に師事。玉川大学農学部卒業後も約五年、斉藤のもとで学んだ後、大本山そう持寺じじで雲水修行の道へ就いた。そこで枡野が思い知ったのは、進む「禅」の道と、会得した「庭」の世界の、驚くべき一致だったという。「全く別のものと思っていたのですが、とんでもない。完全に一致していた。思えば、鎌倉中期から室町中期までの庭の多くは禅僧がデザインしていたのです」
 自らの生き方を究めることが「禅」の神髄。我欲や妄想、執着といった「心の贅肉ぜいにく」を薄くするのが禅における「行」だ。脇目も振らずに続け、そんな贅肉を薄くして我が心を見つめ直す。具現化する際、二次元の墨絵、文学の漢詩(じゅ)と共に、三次元で表したのが庭であることに気付いた。自然は、いつだって、あるがままの姿を見せてくれる。歩みを緩め、風の冷たさ、温かさを感じて歩けば、我が身もまた、あるがままになっていく。空間を創出していく彼にとっての、思いの核となった。
 この閉塞感に満ちた陰鬱な日々を癒やすものとして、枡野は『陰翳礼讃いんえいらいさん』(谷崎潤一郎)を紹介してくれた。言葉やカタチにならない感覚的な美しさについて語る一冊だ。「影は固定できない。どんどん変化します。影があるのは、光があるから。ちょうばちにポンと月が映る。留まらないし、つかめない」。禅の世界には「りゅうもんきょう別伝べつでん」という言葉がある。「つまり大事なことは、言葉や文字にならない。うつろうことが美しいのです」
 混迷の時代に我々がいまいちどみしめたい言葉である。

 
 

枡野俊明(ますの・しゅんみょう)

一九五三年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学環境デザイン学科教授。二〇〇六年「ニューズウィーク」日本版にて、「世界が尊敬する日本人100」に選ばれる。庭園デザイナーとしての主な作品に、カナダ大使館、セルリアンタワー東急ホテル日本庭園など。最新刊は『定命を生きる』(小学館)。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/04/29)

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