ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第39回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第39回

漫画家にとって、
「仕事部屋」はそれ自体が
仕事道具であると最近気づいた。

昔から「弘法、筆を選ばす」ということわざがある。
そして「筆」というのが男根のメタファ―であるという事実はあまりにも有名である。

もちろん嘘だが、これを読んだ人が、筆もしくは弘法大師を見た時、男根を思い出す呪いにかかれてよいと思う。

何事もなかったように話を戻すが「弘法、筆を選ばず」というのは、名人や達人というのは道具にはこだわらず、まして上手くいかないのを道具のせいにはしないという、ジョギングをしようと決意するたびに薄ピンクのラインが入った5000円以上のジャージを買おうとする女を戒めた言葉である。

確かに正しい言葉であり、努力もせず、道具にばかりこだわったり、下手を道具のせいにするのは間違っている。
だが現代においては、ある意味でこの言葉はすごく間違っているのだ。

大体、弘法大師こと空海は平安時代の人である。
ちなみに、今ググって初めて、弘法大師が空海のことだと知った、そして口からちっちゃい仏を吐いている像は「空也」だそうだ。

つまり「本人の実力さえあればどんな道具でも勝てる」というのは昭和どころか平安の発想なのである。
そもそも道具を作っている方が、どれを使っても同じなどと言わせないように日夜戦っているのだ。もはや道具を選ぶ目も実力の内と言ってもよい。

それを如実に表しているのがスポーツ界である。

今年の箱根駅伝は、全選手の優に8割以上がナイキのピンク色のシューズを履いていたという。
ランナーの間で「今年はフェミニンなのがクる!」という流れになったからではない。
そのシューズじゃなないと「勝てない」からだ。

実際今年の優勝校は、ユニフォームに関しては某アデダスとスポンサー契約しており、シューズに関して縛りはないのだが、それも日本が誇る忖度精神で、某ダスを使っていた。

しかし、その結果、去年の駅伝では優勝することができなかった。
そのナイキのシューズは「そのうち規制が入るのでは」と言われているぐらい画期的なものであり、もはやそれを履かないと「勝てない」と言っても過言ではない状態になっていたのだ。

よって今年、その学校はアデ某に断りを入れたのか、それとも必死で目を合わさないようにしたかは定かではないが、とにかく今年は全員ナイキを履いて見事優勝したのだ。

もちろん、シューズのおかげというわけではなく、それを生かす努力が必要なのだが、同じ実力、同じ努力をしてきた選手なら、あとは道具の勝負になってくるのだ。

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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

◎編集者コラム◎ 『時計仕掛けの歪んだ罠』著/アルネ・ダール 訳/田口俊樹
◎編集者コラム◎ 『つめ』山本甲士