◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第13回 前編

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第13回 前編

厳罰に処された意次の栄華に思いを馳せる伝次郎。
玄六郎らは蝦夷地探索の停止を申し渡され──

『田沼主殿頭(とのものかみ)へ仰せ渡さるるの趣(むき)』という表題で二十六か条におよび、幕府より意次に対する罪状宣告の体裁までを取りつくろっていた。何にせよ政事向きにかかわることを上梓(じょうし)して広めるのは禁制のはずだったが、田沼への非難ならば何であれ処罰されることはないとの確信を得てのことだと思われた。

『一、そのほう、長年上様(家治公)の側近を務め、格別のご恩をこうむり結構な身上に成り上がったうえは、わずかな忠義心ぐらいは持ち合わせ、学問ぐらいは多少なりとも上様にお勧め申し上げて、何とか政事向きにも関心を寄せられるよう心を砕くべきであった。そうであったならば、上様も御先々代様(吉宗)同様の名将軍に成長され、その御仁徳によって上下の者すべてが有り難き世を甘受できたものを、読書をお勧めすることもせず、本朝古来の義士や忠臣の話も一切お耳に入らぬよう厳しく禁じ、あたかも何も知らぬ小児と同様に仕向けたため、上様は政事に関することにまったく関心を持たない将軍となってしまわれた……』

 まず田沼意次が指弾されるべき過失は、将軍家治に政事への関心を持たぬよう仕向けた不忠であるという。その結果、家治は民の困窮をつゆも知らず、ただ安穏と日々を送って世を去ることになった。また、復帰すべきは、祖父にあたる八代将軍吉宗の治世であるとし、成り上がりの側用人ごときによる治世ではろくなことがない、賢明なる将軍の親政によって世を建て直す必要があるというのが読売の主旨だった。次期将軍の家斉はまだ十四歳であり、実父の一橋治済と松平定信、御三家らの企てによる治世が、これからどこへ向かうのかをほのめかしていた。

 しかし、上下すべてが有り難き世を甘受できた時代など、果たしてあったかどうか。将軍吉宗の時代、新田開発や田畑からの増収も限界に達しながら大名や旗本らの台所は増大し続け、それを年貢の増収によってまかなおうとしたために、各地で百姓一揆が頻発した。吉宗が勘定奉行に起用した神尾春央(かんおはるひで)ごときは、「胡麻(ごま)の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」の放言で知られた。その時代、一揆は大名の私藩領から幕府領にまでおよび、規模も拡大して全村を巻き込む惣百姓一揆となり、数十から数百の村が一団となって蜂起するものへと巨大化した。騒乱は将軍お膝元の江戸にまでおよび、享保十八年(一七三三)一月には虫害による西国の凶作を受けて米の値が急騰したのをきっかけに、御用米問屋の高間伝兵衛(たかまでんべえ)の店が、押し寄せた町衆千七百余人によって完膚無きまでに打ち壊された。

 繰り返し糾弾されていたのは、長年にわたる田沼政権の腐敗だった。

『一、そのほうの屋敷は、同役の者とは格別の美麗をつくし、衣食ばかりか趣味の木石まで天下に比する物もない結構な品々ばかりで、居間の長押(なげし)や釘隠(くぎかくし)などは純金と純銀を用いて作られた。これもまた銀座の者どもから賄賂で贈られたもので、これに準じたことになれば一々挙げることが面倒なほどである』

『一、諸大名の官位は、帝(みかど)にも上奏するような最要件のひとつであるが、それを金銀の賄賂によって容易(たやす)く取り持ち、願いどおりに得られるよう斡旋(あっせん)した』

『一、諸侯の金紋についても、賄賂で取り持ち、いろいろと手立てを講じて願いどおり許されるように仕向けた』

『一、金座の者は、由緒書きなどがあるにせよ、元来町人であるからには、家業を口実に帯刀することはなかったものを、これまた賄賂金によって普段から帯刀して勤務できるようにした』

『一、浅草お蔵米の火除(ひよ)け地は、特別な幕府要地のはずだが、近年町人に売り渡された。そのほうが賄賂金によって周旋した結果である。右数カ条の件は、そのほうが金子(きんす)をむさぼらんがため、公の制度を曲げ、ならびに御用地すら権威によって売り物に仕立て上げたものである。その罪は重大である』

 そして、田沼意次が、『金銀賄賂によって公正であるべき政道を私欲によって歪めたため、重き役人から下々までこれを見倣(みなら)い、財欲を第一として公の法までを依怙贔屓(えこひいき)によって平然と破るような世となした。結果として意次一人の私欲から天下の士情を失うこととなり、昨今は武士の義理など廃れ果て、人々はただ金銀を集め、分不相応のぜいたくを極めるのが最善とばかり考えるような悪しき風潮がはびこるようになった』。その根本は、『あくまでそのほう一人から出た逃れようのない大罪である』と結んでいた。

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

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