文学女子の金沢さんぽ【第3回】サリンジャーが見た禅の世界! 西と東の思想が番う時

本が大好きなアナウンサー、「竹村りゑ」が、名所がたくさんある町・金沢から、文学にまつわる見どころを紹介していくこの連載。 第3回目のテーマは、「サリンジャーが見た禅の世界! 西と東の思想が番う時」です。

 こんにちは! 石川県でアナウンサーをしている、竹村りゑです。
 この冬の北陸は雪が多いそうで、毎日もこもこに着膨れしながら、元気にお仕事をしています。
 みなさんのお住まいの地域は、いかがでしょうか?(雪かきの必要のない地域が、少し羨ましかったりします……)

【第3回:サリンジャーが見た禅の世界! 西と東の思想が番う時】

 
 「文学女子の金沢さんぽ」も連載3回目を迎えました。
 今回ピックアップするのは、アメリカを代表する小説家ジェローム・ディヴィット・サリンジャーです。
 サリンジャーといえば1950〜60年代のアメリカを代表する作家。
 代表作「ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)」をはじめ数々の名作を世に送り出しました。
 今なおファンの多いサリンジャーですが、実は金沢とも思わぬ繋がりがあるんです。

【サリンジャーと金沢を結ぶ! アメリカのスーパーインフルエンサー鈴木大拙‼】

 サリンジャーと金沢を結ぶ人物がいます。金沢出身の仏教哲学者、鈴木大拙です。

 鈴木大拙は1870年(明治3年)に金沢市の本多町に生まれます。早くに父親を亡くしたため、苦労しながら学問を学び、現在の金沢大学を中退後、上京して早稲田大学や東京大学で哲学を学びました。
 上京後は、鎌倉の円覚寺に通い、禅の修行にも励むようになります。
 師として教えを仰いだのが、円覚寺の住職、釈宗演(しゃく・そうえん)でした。

 釈宗演との出会いが、大拙の人生の大きな転機となりました。

 釈宗演は、シカゴ万国博覧会(1893)をきっかけにアメリカで演説を行って、禅の文化を初めて欧米諸国に伝えた人です。
 これをきっかけに“ZEN”をもっと知りたいというアメリカの要望を受けた釈宗演は、弟子である鈴木大拙を渡米させたのでした。
 1897年、大拙が27歳の時のことです。

 その後、世界は第1次世界大戦、世界恐慌、第2次世界大戦と激動の時を迎えます。
 アメリカは戦勝国とはなったものの、2つの大戦で失ったものはあまりに大きかったのでしょう。Yes かNoかという対立的な考え方を持つ西洋的な思想から脱却し、新たな価値観を求める声が若い世代を中心に高まりました。
 そんな中、大拙の説く禅などの仏教思想や日本の文化は、はい/いいえで物事を判断しない斬新な思想として、当時のアメリカ人たちに大きな衝撃を与え、一世を風靡したのです。

 サリンジャーもその中の1人でした。

 2人の出会いはニューヨークのコロンビア大学だったようです。
 大拙は1950年代、80歳代の大半を、主にニューヨークを拠点に海外で過ごします。
 その間、欧米諸国の大学で講義・講演を行い、ZENをはじめ東洋・日本の文化や思想を西洋世界に伝えました。
 82歳の時にはニューヨークのコロンビア大学で客員教授となり仏教思想や日本文化についての講義を行います。
 そこで聴講生として大拙の話を聞いたサリンジャーは、強いインパクトを受けたのでした。
 欧米のキリスト教的な西洋思想と、日本の仏教的な東洋思想が合わさったところに、自分の求める思想があるのではないかと考えたサリンジャーは、自身の作品の中に東洋的なモチーフを登場させるようになりました。
 
 今回のガイドブックは、その痕跡が色濃く残されている1冊、サリンジャーが42歳の時に出版した『フラニーとズーイ』(1961)です。


 

【今日のガイドブック:J.D.サリンジャー『フラニーとズーイ』】

 
 『フラニーとズーイ』は、「フラニー」と「ズーイ」の2部構成でできた物語です。
 フラニーは妹、ズーイはお兄ちゃん。2人は兄弟です。
 物語は、超可愛い女子大生のフラニーが、独善的な宗教観に囚われて神経衰弱になってしまったのを軸に、お兄ちゃんのズーイが言葉の力でフラニーを救おうと会話を続ける形で進んでいきます。
 このフラニーとズーイ、どちらも美形かつスーパーインテリというハイスペックな兄弟で、会話の中には念仏やブッダと言った東洋思想の引用が頻繁に出てくるのですが、その中で「悟り」の境地を説く人物に、鈴木大拙の名前が出てくるのでした!

 実は、もともと日本で出版されていた、野崎孝訳『フラニーとゾーイー』(1968)には、あくまでその名前は「スズキ博士」と訳されています。実際に、原文には“Dr. Suzuki ”と書かれているので、原文に忠実な翻訳と言えます。
 しかし、その後に出版された村上春樹訳『フラニーとズーイ』(2014)では、「鈴木博士(鈴木大拙)」と翻訳されています。村上春樹は、サリンジャーの人生を辿った結果、“Dr. Suzuki ”が鈴木大拙その人であることを確信したのでしょう。

【魚のように思想を泳ぐ、鈴木大拙館】

 『フラニーとズーイ』の中に、もっと鈴木大拙の気配を感じられないかと思い、金沢市本多町の「鈴木大拙館」に行ってみました。
 鈴木大拙が誕生した跡地そばに建てられたもので、金沢で子ども時代を過ごした世界的建築家、谷口吉生が設計したものです。実は、私の職場である北陸放送のお隣さんでもあります。

 鈴木大拙館は、建物そのものが大拙の思想を表現するという美しい建築です。
「知る」「学ぶ」「考える」、それぞれをテーマにした「展示空間」「学習空間」「思索空間」の3つの棟と、それらを結ぶ3つの庭「玄関の庭」「露地の庭」「水鏡の庭」で構成された空間を巡っていると、まるで静かな湖の底を回遊する魚のような気持ちになります。

 実は、入社したばかりの頃、仕事で失敗して怒られた日のお昼休みには、会社から徒歩1分の鈴木大拙館に駆け込み、静かな水面を見つめながら心を落ち着けたのでした。ここは私の駆け込み寺でもあるのです。

【代弁者の仕掛け①4年前の手紙】

 今は企画展「也風流庵(やふうりゅうあん)レターⅡ」の開催期間中です。
 「也風流」とは禅語に由来する言葉。「風流ならざる処(ところ)も、また風流」という意味です。
 大拙は自分の書斎に「也風流庵」と名付け、手紙や著作の序文に自分の名前に併せて書くほど、気に入っていた言葉のようです。

 「也風流庵レターⅡ」では、大拙が書いた手紙などが展示されていますが、
 実は『フラニーとズーイ』でも「手紙」は印象的な使われ方をされています。

 『フラニーとズーイ』の「ズーイ」の冒頭は、ズーイ(そしてフラニー)の兄、「バディー」からの手紙を読むシーンから始まるのです。

「也風流庵 レターⅡ」のフライヤーは、畳むと封筒になります

 バディーの手紙は、難解です。
 大学に在職しながら作家活動をする自分の現状を語ったかと思えば、話は東洋の思想にいつのまにか変わっています。そして、自分たちの一番上の兄で、自殺をした「シーモア」について触れたりもします。
 手紙の最後は、俳優であるズーイへのこんな言葉で結ばれています。

“もうこれくらいにしよう。演技をするんだ、ザカリー・マーティン・グラス(ズーイのこと)。いつでもどこでもおまえが望むままに。そうしなくてはならないとおまえが感じるのであれば。しかしやるからには、全力を尽くしてやってくれ。(J.D.サリンジャー『フラニーとズーイ』より)”

 「演じる」ということ、そして「生き方の美しさ」を考えさせるこの手紙は、実は4年前に届いたもの。
 ズーイがヨレヨレになった手紙をバスルームで読み返すシーンから、「ズーイ」の部は始まります。

 ここに、手紙というものの「強度」が伺えます。


・何年経っても読み返される可能性があること。

・読み返すその時々によって、全く違う感情を抱かせるであろうこと。

・(私たち読者がゾーイ宛の手紙を覗き見ることができるように)誰かの目に触れることがあること。

・そのうちの何通かは、企画展で展示され、時空を超えて誰かの心を震わせることすらあること。(企画展「也風流庵 レターⅡ」のように)

 こう考えると、手紙というのはある意味「差出人」の意図を超えたところにあると言えます。
 「受取人」が1通の手紙から「差出人」の思惑以上のものを読み取った時、もしかしたら「差出人」は、自分の存在を超えた何かの「代弁者」になっているのかもしれません。
 ズーイが4年間同じ手紙を繰り返し読んでいるのは、ただ差出人である兄のバディーの言葉を追っているからではなく、それ以上のものを感じ取っているからではないでしょうか。

【代弁者の仕掛け②偽られた電話】

 鈴木大拙館の企画展をヒントに、サリンジャーは『フラニーとズーイ』の中で、「代弁」をテーマにしていたのではないかという仮説を立ててみました。
 すると、物語の中で、よりはっきりと「代弁する」シーンがあることに気が付きました!
 それは、ズーイが妹フラニーに電話をする場面です。

 ズーイは最初、フラニーと「直接」話すことで、一方的に周囲を見下す独善性を帯びがちな、フラニーの宗教観をたしなめようとします。
 フラニーは大学で演劇を学んで俳優を目指しているため、ズーイは自分の俳優の仕事や脚本家との人間関係を取り上げながら、フラニーを説得します。
 しかし、ズーイの試みは失敗します。
 それは何よりも、ズーイ自身がフラニーと同様に、周りの人間の俗っぽさを見下しがちであり、かつ、そんな自分もやはり俗っぽい存在なのだと自覚してしまうところまで、2人はそっくり同じだからなのです。

 フラニーの苦しみを、ズーイもまだ克服できていません。
 フラニーの悩みを解決することに関しては、ズーイでは「役不足」なのです。
 
 2人の会話は最悪の形で幕を閉じ、カウチに突っ伏したフラニーの啜り泣きの声だけが居間を満たします。

 自らの失敗に呆然としたズーイは居間を出て……そして、今は離れて住むバディーがかつて使っていた部屋に入ります。
 そこには、1台の電話が据えられていました。

 ズーイはハンカチを受話器の送話口にかぶせ、ダイヤルを回します。
 かけた先は、何と、フラニー。
 ズーイは自らをバディーと偽って、再びフラニーとの対話を試みるのです。

“ 「ヘロー、バディー?」と彼女は言った。
 「やあ、スイートハート。大丈夫かい? 元気にやってる?」
 「元気よ。兄さんは? ずいぶん風邪声みたいだけど」(J.D.サリンジャー『フラニーとズーイ』より)”

 
 そこで語られるのは、「美しく生きなくてはいけない」ということ、そして「美しさとは何か」ということであり、「誰のために美しくあるべきなのか」ということです。
 これらは、冒頭の手紙でバディーがズーイに説いた言葉に、形を変えたバリエーションと言ってもいいほど近いのです。
 ズーイは電話を介して、バディーの代弁者となったのでした。

“「君に今できるただひとつのことは、唯一の宗教的な行為は、演技をすることだ。もし君がそう望むなら、神のために演技をすることだ。もし君がそう望むなら、神の俳優になることだ。それより美しいことがあるだろうか? もし君がそう望むなら、少なくとも君はそれを試してみることができる」(J.D.サリンジャー『フラニーとズーイ』より)”

 実は、電話の主がバディーではなくズーイなことは、フラニーにすぐに見抜かれてしまいます。兄弟ですから、当たり前な気もしますが……。
 それでも、電話越しのズーイの声はフラニーに届き、フラニーは心を回復したシーンで物語は幕を閉じます。
 むしろ、バディーその人ではなく、ズーイがバディーの代弁者になるという構造こそが、フラニーには必要だったのかもしれません。

【代弁者の仕掛け③代弁者の正体】

 ズーイはフラニーに対し、電話を使ってバディーを代弁しました。
 図にすると、こうです。
 
フラニー  ←(電話:ズーイ)←バディー

 そして、バディーはズーイに対し、手紙を使って代弁者となっています。

ズーイ ←(手紙:バディー)

 この2つの図を1つにまとめると、こうなります。

フラニー ←(電話:ズーイ)←(手紙:バディー)

 バディーからズーイへ、ズーイからフラニーへと言葉が伝わっていったことが分かります。
 
 ここで新たな謎が生まれました。

 バディーは一体、誰の代弁者だったのでしょうか?

 「手紙」を介しているということは、バディーもやはり自分を超えたものの代弁者であったのではないでしょうか?

フラニー ←(電話:ズーイ)←(手紙:バディー)←???

 この謎を解いてくれそうな存在が、物語の終盤に登場します。

 幼い頃から才気溢れる少年だったズーイは、かつて『イッツ・ア・ワイズ・チャイルド』というラジオ番組に出演していました。
 ある日、番組に出演しようとするズーイに対し、一番上の兄である「シーモア」が「靴をきれいに磨きなさい」と命じます。たとえ観客の誰からも靴が見えなかったとしても、「太ったおばさん」のために靴を磨くのだと。

 それを聞いてズーイのイメージした「太ったおばさん」は、全く冴えない人なのです。一日中ポーチに座って、蝿を叩きながら馬鹿でかい音でラジオを聞くような。それ以来、ズーイはせっせと靴を磨くようになります。

 その思い出を語った後に、ズーイはフラニーにこう語ります。

“ねえ、僕の話を聞いているかい?そこにはね、シーモアの言う太ったおばさんじゃない人間なんて、誰ひとりいないんだよ。(中略)なあ、よく聞いてくれよ—その太ったおばさんというのが実は誰なのか、君にはまだわからないのか?ああ、まったく。それはキリストその人なんだよ。まさにキリストその人なんだ。(J.D.サリンジャー『フラニーとズーイ』より)”

 尽くすべき「太ったおばさん」は全ての人間のことであり、(立派であろうとなかろうと)全ての人間に尽くすことは、キリスト(神)に尽くすのと同じことである、と言うのがズーイの言葉です。

 これは、西洋のキリスト教的な考え方からすると異質なのです。

 キリスト教では、創造主である神(キリスト)と人間は、はっきりと分けられていて同一視されることはありません。「太ったおばさん」は絶対に神様ではないのです。神は唯一と考える「一神論」です。

 それに対し、全ての人間は「太ったおばさん」であり、それこそが神様であるという考え方は、全てのものが神の表れであるという「汎神論」で、仏教の考えに通じています。

 このシーンから、鈴木大拙の説いた東洋思想が、単にモチーフとして作中に使われただけでなくサリンジャーの作風そのものに影響を与えていたことが分かります。

 そして—
 全ての人間が「神様」の表れたものならば、「全ての人間は神様の代弁者」と言えるのではないでしょうか? それこそが、サリンジャーの伝えたかったことなのではないでしょうか?

 つまり、バディーは「神様の代弁者」の役割を与えられたのだ、というのが私の推理です。
 バディーは手紙を使って神様の言葉をズーイに代弁し、ズーイは電話を使ってバディーの言葉をフラニーに代弁する。
 こうして場面を1本の線で繋ぐと「バディーとズーイを介して、フラニーが神様の言葉を受け取った物語」とも解釈できます。

 フラニー  ←(電話:ズーイ) ←(手紙:バディー) ←神様 
                

 逆に言ってしまえば、「自らが代弁者であることを自覚すれば、人は神様の言葉を語ることが出来る」ということでもあります。

 ふと、サリンジャーは、鈴木大拙に「代弁者」としての姿を見たのではないかという気がしました。

 鈴木大拙館の企画展「也風流庵 レターⅡ」には、大拙の没年である1966年、95歳の時に書いた書が飾られています。
 生涯で30冊を超える書物を英語で記したという大拙。
 その書には、のびやかな毛筆でこう書かれています。

“O Wonderful,wonderful,and most wonderful wonderful! and yet again wonderful… Daisetz”

 何と、これは「妙」という言葉を大拙が英語で表現したもの。
 仏教を知らない欧米の人たちに“ZEN”の心を伝えるというのは、異国の地に新しい概念を作り出すことに近いと言えます。
 日本人でも捉えきることの難しい言葉を、大拙は苦心して英語で表現することに挑戦したのでした。
 そんな鈴木大拙を、サリンジャーは「東洋の神様の言葉の代弁者」だと感じたのかもしれません。

 実は『フラニーとズーイ』は、グラース家シリーズの第2作目にあたり、サリンジャーは5作目の『ハプワーズ16、1924年』(1965)を最後に46歳で作家業から引退しています。
 晩年は隠遁生活を送り、自身の伝記や続編が出版されそうになったときには裁判を起こしたほどですから、公の場に姿を現したくないという意思は相当のものだったのでしょう。
 その後、2010年に91歳で生涯を終えるまで、遂に公式の場に出ることはありませんでした。

 青年期の葛藤を書くサリンジャーを、世界中のファンは「自分の気持ちを代弁してくれた」と感じたに違いないのです。
 サリンジャーは、自身が代弁者であることを知っていたのでしょうか?

 今回の「金沢さんぽ」は、サリンジャーと鈴木大拙について考えるうちに、思いがけず「代弁者」がキーワードになりました。  
 ここに強くひっかかるのは、私の職業柄かもしれません。
 「物事を分かりやすく伝える」技術を限界まで高める仕事、アナウンサー。
 何かを伝える時「自分は代弁者に過ぎないのだ」と自覚することで、いつか私も、自分を超えた言葉で何かを伝えられる人になれるかもしれません。

 鈴木大拙のように。サリンジャーのように。

Camera: Hiro Yamashina 
※撮影の際のみマスクを外しました

撮影協力:鈴木大拙館
石川県金沢市本多町3丁目4番地20号
企画展:「也風流庵レターⅡ」(〜4月18日)
※館内の撮影は許可を頂いています。

衣装協力:iCONOLOGY

竹村りゑ プロフィール

MRO北陸放送アナウンサー。石川県金沢生まれ、金沢育ち。
最近のブームは背筋を鍛えること、ナポリタン。
MROラジオ番組「竹村りゑの木曜日のBookmarker」でパーソナリティを務め、今までに200冊以上の本の紹介をしている。
【北陸放送公式HP】https://www.mro.co.jp/announcer/242/

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初出:P+D MAGAZINE(2021/02/12)

◎編集者コラム◎ 『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』著/涌井 学 脚本/杉原憲明、鈴木謙一
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