文学女子の金沢さんぽ【第2回】死者が蘇る! 加賀の秘薬は実在した? 竹久夢二の切ない願い
本が大好きなアナウンサー、「竹村りゑ」が、名所がたくさんある町・金沢から、文学にまつわる見どころを紹介していくこの連載。 第2回目のテーマは、「死者が蘇る! 加賀の秘薬は実在した? 竹久夢二の切ない願い」です。
<雪明り灯る金沢から、ご挨拶!>
こんにちは! 金沢在住アナウンサーの竹村りゑです。
寒い日が続いていますが、皆さん風邪などひいていませんか?
私の住む金沢は、長い長い冬を迎えています。鉛色の曇天、閃く雷、水気たっぷりの牡丹雪。自然と背中が丸くなってしまう寒さの中、いやしかし冬の金沢は蟹や鰤やおでんなど美味しいものがたくさんあるからいいんだと、自分を励ます日々です。(でも寒いのは苦手です・・・・・・)
連載「文学女子の金沢さんぽ」は、本が大好きな私がアナウンサーとして培った取材力や情報網を活かし、金沢の文学シーンを皆さんにご紹介しようと始めました。今回で2回目、まだ出来てホヤホヤの企画ですが暖かく見守ってくださると嬉しいです。
今回は着物で金沢さんぽです!
前回は金沢三文豪のひとり「室生犀星」をピックアップし、「詩人として知られる犀星は実は怖い話も書いていた!」という切り口で、怪談『蛾』をガイドブックにして金沢のあちこちをお散歩しました。黄色い壁が可愛すぎる「室生犀星記念館」や、歴史ある町並みがそのまま残されている「武家屋敷跡」など、金沢にはフォトジェニックな場所が沢山あることも分かっていただけたでしょうか?
【第2回:死者が蘇る! 加賀の秘薬は実在した? 竹久夢二の切ない願い】
今回ガイドブックにするのは、しんしんと雪の降る金沢を舞台にした小説『秘薬紫雪』(ひやくしせつ)です。作者は、画家として知られる竹久夢二(1884—1934)。大正ロマンを代表し、描く女性の美しさは「夢二式美人」という言葉を生み、一世を風靡した売れっ子画家ですが、実は生涯に渡って60作近くの書籍を出版した作家としての顔も持っています。
【今日のガイドブック:竹久夢二『秘薬紫雪』】
「秘薬紫雪」は、1924年(大正13年)新聞に連載小説として掲載されたもの。死んだと思った幼馴染が「紫雪」という薬を飲んで息を吹き返す、そこで2人はお互いの気持を確かめ、晴れて恋人となるというシンプルなストーリーです。
ですが、夢二の人生を知った上で「秘薬紫雪」を読むと、そこには深い悲しみが、癒やされることのない痛みがあることが分かる物語でもあるのです。
夢二の人生の一部を伺い知ることのできる場所の一つが、金沢の「
湯涌温泉にはレトロな雰囲気が漂っています。
夢二はここを生涯において最も愛した女性「笠井彦乃」と1917年(大正6年)9月24日に訪れ、10月16日までの3週間ほど滞在しています。夢二と彦乃の滞在を記念し、湯涌温泉には「金沢湯涌夢二館」が建てられています。
実は絵だけでなく、図案や装幀、半襟のデザインなど、今で言うグラフィックデザイナーとしても活躍していた夢二。金沢湯涌夢二館には、夢二のデザインがあちらこちらに散りばめられています。
夢二のデザインした苺柄をあしらった柱! 乙女心がわかっています!
常設の展示では、彦乃を含む、夢二の人生に深く関わった3人の女性たちの人物像を知ることが出来ます。
中でも特に目を惹いたのは、彦乃が描いた、扇子を持って舞う女性の絵。黒く澄んだ瞳とふっくらとした肌が何とも言えず魅力的です。
絵のタイトルは「御殿女中」。彦乃が女子美術学校の卒業制作として描かれたものです。実は彦乃は元々絵を学んでいて、夢二のファンだったことから交際がスタートしたという経緯がありました。
当時、夢二は31歳、彦乃は19歳。女性関係が派手な夢二との交際に、彦乃の父は強く反対しました。2人は隠れるように逢瀬を重ねたそうです。
2階に上がる階段には大正ロマンを感じるステンドグラスが
数多くの女性と浮名を流した夢二は美人好きでも知られていますが、中でも彦乃を最愛としたのは、彦乃の美貌だけでなく、その中に眠る才能を愛したからではないでしょうか。夢二は独学で絵を学んだとされていますが、彦乃には美術学校に入学することを勧めています。
「君はきっと素晴らしい画家になるよ。僕にはそれが分かるんだよ」
「先生、私達こうやって、ずっとずっと一緒に絵を描いていましょうね。私はそれだけで、どこまでも幸せなの」
湯涌温泉街を歩いていると、かつて2人の間でそんな会話が交わされたのかもしれないと、想像が膨らみます。
湯涌温泉には夢二と彦乃が散歩を楽しんだという「夢二の歩いた道」が残されていました。
夢二の歩いた道
道中には「湯涌稲荷神社」も。夢二と彦乃も2人でお参りをしたのでしょうか。
稲荷神社に隣接する形で、薬師堂がありました。境内には、夢二が彦乃を思って詠んだ歌の歌碑が建てられています。
「湯涌なる 山ふところの 小春日に 目閉ぢ死なむと きみのいふなり」
刻まれた歌碑から察することができるように、湯涌での短い滞在の後に彦乃は結核を患い、1920年(大正9年)に25歳という短い生涯を終えます。彦乃の父親の手によって2人は引き離され、夢二は彦乃の死に際に立ち会うこともできなかったそうです。
愛しい人を永遠に失う痛みは、どれだけ辛いものなのでしょうか。
金沢湯涌夢二館には、夢二のプラチナの指輪を再現したレプリカが展示されています。その内側に刻まれた文字を見て、私は胸が締め付けられるような思いがしました。
そこには「ゆめ35 しの25」と書かれていたんです。
「しの」とは彦乃の別名。25は亡くなった年齢を指し、35は彦乃と引き離されたときの夢二の年齢です。
彦乃が亡くなったのは実際には夢二が37歳の頃ですが、その2年前、彦乃と会うことができなくなったときに、既に夢二の中の時間は止まってしまったのでしょう。この指輪を、夢二は生涯身につけて離さなかったといいます。
彦乃が亡くなった4年後に夢二が書いたのが、今日のガイドブック「秘薬紫雪」です。亡くなったと思いきや、秘薬「紫雪」を飲んで息を吹き返すヒロインの名前は「雪野」。彦乃の名前をもじったことは言うまでもありません。主人公の「立花春吉」が、女性と浮名を流し気ままな生活を送っている設定なのは夢二が自分自身を重ね合わせたからでしょうか。
ラストシーン、蘇った雪野と立花は互いの気持ちを確かめ合い、紫に染まった一面の雪景色の中で手を取り合って、白山の「湯湧」つまり湯涌温泉を目指します。湯涌温泉で彦乃と過ごした、たった3週間の日々は、夢二にとってそれほどまでに忘れられないものだったのです。
湯涌温泉の奥には静謐な空気が漂う「玉泉湖」があります
竹久夢二の「秘薬紫雪」をガイドブックとして、湯涌温泉を巡った今回の「文学女子の金沢さんぽ」、本来ならば今回はここでさんぽ終了となるところでした。
ところが! 取材を進めていくうちに、雪野が飲んで息を吹き返したという秘薬「紫雪」が実在したという噂を耳に挟んだのです!! しかも江戸時代の藩主、加賀藩前田家の指示により、ここ金沢でのみ作られたとか……。
果たして死者を蘇らせる薬は本当にあるのか⁈ 調べていくうちに、なんと、かつて「紫雪」を作っていたという漢方薬局さんを発見しました。これはジャーナリスト魂が疼きます!! さっそく取材に伺いました。
【文学女子の金沢さんぽ(おまけのさんぽ)】
お邪魔したのは、天正7年(1579年)に開業し、前田家の御用薬種商を務めたという「中屋彦十郎薬舗」さん。金沢城のほど近くに構えられた店舗にお邪魔しました。
店内には、ずらりと並んだ漢方の数々! 2メートルはあろうかという謎の動物の角や、巨大なキノコ、不思議な瓶詰めなどなど・・・・・・、まるでハリー・ポッターの世界です。今では手に入れることのできない貴重な漢方もあるそうです。
お話を伺ったのは、15代目中屋彦十郎さん。代々、中屋彦十郎の名前は襲名されているそうです。漢方の知識だけでなく、小説「秘薬紫雪」についても良くご存知でした。
◆=15代目中屋彦十郎さん
―—「紫雪」って、実在するんですね!
◆「うちでは、3代藩主の前田綱紀の命で、寛文10年(1670)から製造していました。「紫雪」の名前は、1200年以上前に奈良の正倉院に収められた「種々薬帳」という薬のリストに載っています」
——飲んだら生き返りますか?
◆「いえ、いくら秘薬と言ってもそれは無理ですね(笑)気付けや滋養強壮、解熱などに効果があったそうです」
——じゃあ、どうして夢二は「死者を蘇らせる薬」としたのでしょうか?
◆「おそらく、紫雪の製造方法に理由があるのでしょう。紫雪は、原料に『黄金100両』、つまり小判を使います。かつて金は薬になると考えられ、服用すると不老不死になるという思想がありました。そこから、紫雪が死んだ人を蘇らせるという発想になったのかもしれません」
−—紫雪は今でも手に入れることはできるのでしょうか?
◆「当店にはございません。ただ、製法や味などは伝わっています。紫雪は寒くて乾燥している季節に作らないと水っぽくなってしまうので、1月に入った寒の時期にのみ製造されます。まずは小判や石薬、動物薬などの漢方を煎じ、
生活の拠点は東京に置きつつも、金沢を愛し何度も訪れたという夢二。加賀の秘薬と言われた「紫雪」の存在はかねてから知っていたようです。そして、何とかもう一度、愛しい人の姿を見たい、声を聞きたい、触れたいと思ったときに、決して叶うことのない切ない願いを「秘薬紫雪」に込めたのでしょう。
“「けれどもう過ぎ去った事は言ふのをよしませうねえ。あたし達はこれからほんたうの生活をはじめるのですわ」
「さうだ、ほんたうの生活をはじめるのだ」
立花は鸚鵡返しにさう言ったが、人生の幸福とか不幸とかいふものの実体が、何であるか、よく女が口癖にする『いつまでも変わらぬ愛』といふものが、ただ生き永らへてゆけば充たされるものか、どうか。立花は思ひ悩んでいた。“
(『秘薬紫雪』より)
沢山の物語に触れていると、時にこんな本に出会います。誰かに読まれることよりも、むしろ自分自身に読ませるために書かれた小説。心が耐えきれないような出来事に遭遇したとき、何とか自分を納得させるために、自身が生き延びるために書かれた本。痛みの本。血の物語です。
夢二はその後、51歳の生涯を終えるまで数々の女性と付き合い、同棲や破局を繰り返しています。「秘薬紫雪」に書かれた「ほんとうの生活」を夢二が見つけられたのかは、今となっては誰も分からないままです。
Camera: 沢麻美 (zigzag.photo atelier“Leben”)
※撮影の際のみマスクを外しました
<ロケ地>
・湯涌温泉街(金沢市湯涌町)
・金沢湯涌夢二館
・夢二の歩いた道
・玉泉湖
・中屋彦十郎薬舗(金沢市片町)
【金沢湯涌夢二館】
金沢市湯涌町イ144−1
※貴重本の『秘薬紫雪』を特別貸出によって拝借しました。
※館内は一部を除き撮影禁止です。
※次回企画展「夢二の絵葉書——デザイン・コレクション・コミュニケーションする楽しみ—」(〜2021年3月21日 会期中無休)
<衣装協力>
・金沢着物レンタル はれまロマン 石川県金沢市尾山町13−5
076−221−3331
※夢二の生きた大正時代のアンティーク着物を着せていただきました。
竹村りゑ プロフィール
MRO北陸放送アナウンサー。石川県金沢生まれ、金沢育ち。
雪国で育ったにも関わらず寒さが苦手。カイロがないと外に出られない。
最近のブームはスーパー銭湯と明太子マヨおにぎり。
読書好きで、MROラジオ「竹村りゑの木曜日のBookmarker」で毎週本の紹介をしている。
【北陸放送公式HP】https://www.mro.co.jp/announcer/242/
初出:P+D MAGAZINE(2020/12/28)