◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第3話 Good boy! Good girl!〈前編〉
「箱を持ったとき、やたらかさかさ音がしたのが気になったんですよ。緩衝材の詰め方が甘かっただけかな?」
槌田の質問に岩重はそう答えながら新聞紙をつかみ出そうと段ボール箱の中に手を入れた。取り出したとたんに、岩重の表情が変わった。
「おやおや?」
それまでとは違う、人を喰った笑みを浮かべて新聞紙を広げる。書かれていた文字は韓国語ではなくアルファベットだ。
「よっしゃー、俺の勘、的中ー!」
満足げに岩重がガッツポーズを作った。
「これは、かなり黒寄りのグレーですね」
岩重の態度と英の言葉からすると、このバーキンが本物の可能性はかなり低いということになる。だがその理由が分からない。
「インドネシア語の新聞です。もちろん韓国在住でインドネシア語の新聞を読む人がいないとは言いませんが、送り主は韓国の方としか思えない名前なので。インドネシアで作ったコピー商品を韓国に一度運んで、オークションなどを利用して個人名で売っている可能性が考えられます」
インドネシアから韓国に運ぶ輸送費だけでけっこう掛かりそうなものだが、さきほど聞いた正規品の価格を考えたら、たとえ中古品として半額で売ったとしても、利益は十分に出る。
「これは侵害疑義品として、知的財産調査官案件になりますね」
ブランドから提供された資料を基に、正規品か侵害品かを見分けるのが知的財産調査官だ。
段ボール箱に三つの中箱を元通りに詰め直す岩重に、英が「まだ挨拶に行っていないので、持って行きます」と提案した。
「ありがとうございます」とお礼を言って、岩重はまた貨物の検査に戻った。
道すがら、英にだけ段ボール箱を持たせて、自分は手ぶらなのを申し訳なく槌田は思う。
「代わりましょうか?」と訊ねたが「重くもないので」と予想通りに断られた。
「このあとの流れですが」
「侵害疑義品は認定手続開始から十日以内に意見書の提出を求める。保管して、侵害の疑いが晴れない場合は廃棄」
知的財産侵害物品と確定していないうちは物品は侵害疑義品として扱い、東京外郵から受取人へ『外国から到着した郵便物の税関手続のお知らせ』のはがきを送る。受取人は貨物を受け取るためには、はがきを受領してから十日以内に、その貨物が法に触れていないと証明する意見書を提出しなければならない。あるいは、知的財産侵害物品として任意放棄をするかのどちらかだ。
「お見事です。ちょうど良かった、保管室を見ていきましょう」
通りかかったドアの前で英が立ち止まる。両手のふさがっている英の代わりに槌田がドアを開けた。室内には段ボール箱が積まれた棚が並べられていた。
「これらはすべて侵害疑義物品と、知的財産侵害物品として任意放棄された物です」
「相当な量だな」
「今年の上半期だけで差し止めた総量は十万トン以上です」
数字を出されても、それがどれくらいの量なのかはピンと来ない。
「定員二千五百人クラスの大型豪華客船一隻分くらいです」
英が例を出してくれるが、大型豪華客船とは無縁なのでまったく想像がつかない。
「すまん、ますます分からない」
「すみません、分かりづらかったですね」
謝罪してから、英が続ける。
「契約している業者で粉砕していますが」
以前の粉砕ペースは半年ごとだったが、量が増えたために四カ月ごとになり、今では二カ月に一度とペースが上がっているという。それだけ違法な物を持ち込もうとしている人間が多いということだ。
一昨日、たった一日、二十四時間の空港研修でも旅具検査官は何件ものコピー商品の持ち込みを摘発していたのを槌田は思い出していた。
「そろそろ行きましょうか」と声を掛けられてドアを閉めた。並びのドアの前に着く。ここが知的財産調査部門らしい。ドアを開け、先に段ボール箱を抱えた英を中へと入れる。
「失礼します」
英の挨拶に続けて「エイメイさん。どうしました?」と男の声が聞こえる。そこにいたのは、白髪頭の男性職員だった。年齢は五十代、それも後半だろう。検査着を着ているし、英のことも知っている。間違いなく税関職員のはずなのに、どこか槌田は違和感を覚える。
「警視庁から調査部に出向された槌田さんの研修で寄らせていただきました。こちらは調査部の泉水(せんすい)さんです。こちらが」
「槌田です」
「よろしくお願いします」
会釈し終えた泉水は、すぐさま興味を槌田から英が持っている段ボール箱へと移した。
「それは?」
「岩重君が見つけた韓国からのバーキンです。さきほど見た限りですが、出来はかなり良いです」
英が机の上に段ボール箱を置く。
「それでは、拝見させていただきましょうか」
泉水はにこやかに微笑むと、手袋を両手にはめた。