滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 特別編(小説) 三郎さんのトリロジー①
三郎さんという用務員のおじさんがいた。
わたしは窓越しに、よく三郎さんを見ていた――。
小学校の高学年のころ、友達のまゆと、近くの教会の日曜学校にしばらく通っていたことがあった。別に信仰に関心があったからではなくて、日曜学校のあとに出るおやつに釣られて、のことだった。しかも、大したお菓子なんかでなくて、大抵はスーパーの袋入りのお菓子だったのだけれど、それでも釣られて行って、お説教は右の耳から左の耳に流し、神父さんが「それでは、みなさん、よい子になりましょう」と言うのを心待ちにしていた。「みなさん、よい子になりましょう」というのが、お説教が終わったしるしだったのだ。
神父さんは、今でもしっかり覚えているのだけれど、大きな四角いメガネをかけていて、顔も体も何もかも四角い人だった。声までが四角く聞こえた。
教会には幼稚園が併設されていて、神父さんは、幼稚園の裏にある平屋に住み込みの用務員のおじさんと住んでいた。
用務員のおじさんは三郎(さぶろう)さんといって、使いっ走りをしたり、窓拭きや床掃除をしたり、ほかにもいろんな雑用をしていた。いつ見ても、体を動かしていないときはなかった。おやつの時間、神父さんに「お茶ッ葉を切らした」と言われると、即、スーパーへ買いに走ったし、「天井の蛍光灯が切れた」と言われると、すぐ椅子の上によじのぼって蛍光灯を取り替えた。蛇口の水漏れを直したり、壁に入ったひびを埋めたりしていることもあった。教会も幼稚園も家も、かなり古くて、何かと修理するところがあったのだ。
三郎さんは、庭仕事が好きなようで、幼稚園と家の間にあった庭で、しょっちゅう水をまいたり、草むしりしたり、剪定(せんてい)のようなことをしたりしていた。庭には、小さなヒョウタン形の池があり、池の真ん中のくびれたところに太鼓橋が架けてあった。周りには花木が植えてあって、ジンチョウゲやクチナシやキンモクセイが順繰りにきれいな匂いを漂わせていた。
三郎さんは、じっとしているぐらいなら何でもいいから体を動かすほうがいい、みたいに見えた。庭仕事が好きなのも、体を動かすのが気持ちよかったからかもしれない。池の脇の桜の木の下のちょっと開けた場所で、ふらふらとラジオ体操とか屈伸運動をやっていることもあった。
昼前になると、三郎さんは、桜の木の下の庭石に座って、ブック型の平べったいアルマイトの弁当箱を開けて食べた。よっぽど雨が降っていない限り、三郎さんはこの庭石の上で食べるのだった。石に覆いかぶさるように枝を広げた桜の木が、ちょうどいいあんばいの木陰を作った。手すきになる日曜学校の最中に食べることにしているみたいで、神父さんがお説教をしている間、三郎さんが弁当を食べる一部始終が窓から見えた。
三郎さんは、弁当箱を顔近くまで持ち上げると、首を横に倒して、ご飯とおかずを箸で隅へ寄せてかき込んだ。なぜいちいち首をひねらなければならないかわからないけれど、それが三郎さん流の食べ方なのだった。まるで顔を倒さないと口が開かない、とでもいうような感じだった。かき込むや、顔を立て直し、牛が草を食(は)んでいる感じでもぐもぐ口を動かしてから、あごを突き上げて呑(の)み込んだ。魔法瓶に入れたお茶は、弁当箱のふたについで、こぼさないよう、やっぱり顔を横にし、隅から用心深く飲んだ。呑み込むとき、のどぼとけが動いて、まるでゴクゴクいう音まで聞こえてくるようだった。
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