〈第3回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

調査の後、いじめ被害者の川浪の意向で、
訴えを取り下げたのだが……。

 

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 NEWSの「Happy Birthday」を歌い終え、みひろはマイクを下ろして両手の親指と人差し指でハートマークをつくって見せた。向かいのソファから、

「みひろちゃん、ナイス!」

「女ジャニーズ。一人NEWS」

 と声がかかり、拍手も起きた。みひろは「ありがと〜」と返し、マイクを構え直した。

「摩耶ママ。お誕生日おめでとう。いくつになったかは──出禁になりたくないから、訊かないでおく」

 最後のワンフレーズはおどけて言うと、ソファに座った客の中年男たちと従業員の女の子たちが笑った。その真ん中に鎮座する摩耶ママは、ノーリアクション。平時の三割増しで濃いメイクが施された顔で、煙草をふかしている。その前のローテーブルには、酒とつまみの他に大きなバースディケーキとプレゼントの箱、花束などが並んでいた。

 みひろがマイクをスタンドに戻すと、次の曲のイントロが流れだした。Superflyの「愛をこめて花束を」。白いドレス姿の従業員のエミリが、「私で〜す!」と挙手して立ち上がり、みひろはステージを降りて傍らのカウンターに向かった。

 勝手に端の扉を開けてカウンターの中に入り、壁際の冷蔵ショーケースからビールの中瓶を取り出した。続けて冷蔵ショーケースの隣の棚からグラスを取り、カウンターの中から出てスツールに腰掛けた。人工大理石のカウンターテーブルの上には、胡蝶蘭の鉢植えとお湯割り用の電気ポット、タワー状に積まれた灰皿などが雑然と置かれている。そこから飲料メーカーの名前入りの栓抜きを取って瓶の栓を開け、ビールをグラスに注いで一気に半分飲んだ。ぷは〜と息をつき、くつろいでいると摩耶ママがやって来た。

「ここはあんたの実家か。しかも、誕生日プレゼントがパン。飲食店に食べ物持参って、ケンカ売ってんの?」

 煙草を片手に表情を動かさずに言い、カウンターの中に入ってみひろの向かいに立つ。今夜のパーティの主役とあって、黒地に金銀の模様が入った着物を着て、髪は夜会巻きだ。ゴージャスだが、貫禄たっぷりの体形といい鋭い眼光といい、「極妻感」がすごい。

 みひろがここ、「スナック流詩哀」の常連になって二年が過ぎた。自宅である警視庁の独身寮に近く、ランチ営業をやっていたので入ってみたらおいしくて、通うようになった。店内は五人座るといっぱいのカウンターと、深紅のベルベット張りのソファのボックス席が一つで、その向かいにカラオケ用の小さなステージと歌詞字幕の映像用の液晶ディスプレイがある。「ザ・スナック」という内装だが従業員の女の子たちと、ほとんどが近隣の商店主だという常連客のおじさんたちはいい人ばかり。無愛想で口の悪い摩耶ママもなんだかんだで面倒見がよく、今ではみひろにとって、なくてはならない場所だ。

 グラスにビールを注ぎ足し、みひろは返した。

「パンはもらい物のお裾分け。プレゼントは、別にちゃんとあげたでしょ」

「それはありがたくもらっとくけど。ところで、職場で何かあったの? あんた、誰かの誕生日祝いの度に今の曲歌うけど、歌もダンスもキレがイマイチだったわよ」

 めざといんだから。摩耶ママこそ、実家の母親か。うんざりしながらも「まあね」と返し、みひろはグラスを口に運んだ。

 午後六時前にここに着いてパーティに参加し、約一時間が経過したが、川浪のことが気になって仕方がない。態度が不自然だったし、みひろに話したいことがあったのは確かだ。しかしいじめ被害の事案は、「非違事案には該当せず」という旨の報告書を提出し、監察係に受理されている。

「だからって、区役所を辞めようなんて考えるんじゃないわよ。あんたみたいな面倒臭いOL、今どき民間企業じゃリストラまっしぐらだから。『寿退職以外では辞めない』ぐらいの根性で公務員しがみつかないと。ところで、元エリートのイケメン上司とはどうなってんの? 何度も連れて来いって言ってんのに、無視するし」

 摩耶ママは問いかけ、自分もグラスを取って勝手にみひろのビールを注いだ。再びうんざりし、みひろは、

「どうもこうも何もないし。この店は私の癒やしの場だから、仕事を持ち込みたくないの」と訴えたが、摩耶ママは喉を鳴らしてビールを飲み、聞いていない。

 この店に通い始めて間もなく、「どんな仕事をしてるの?」と訊かれた。本当のことを話すといろいろ厄介なので「公務員」と答えたところ、いつの間にか区役所勤めということにされていた。

 摩耶ママがソファに戻り、一人でビールを飲んでいたらますます川浪が気になりだした。少し酔いが回ると居ても立ってもいられなくなり、みひろはスーツのジャケットのポケットからスマホを出した。慎の番号を呼び出し、電話する。コール音がしばらく続き、少し鼻にかかった声が応えた。

「阿久津です」

「三雲です。すみません、ちょっといいですか?」

「はい。何でしょう」

 そう慎が答え、みひろは声のトーンを落とし、背中も丸めて話しだした。さっきの川浪とのやり取りと、自分の考えを伝える。みひろが話し終えると、慎は言った。

「確かに気になりますね」

「でしょう? 川浪さんが立ち去った後、警察総合庁舎前の門の警備をしてる警察官に確認しました。川浪さんは、私が出て来る一時間近く前から、門の前をうろうろしていたそうです。吉祥寺署の事案は、まだ何かあるんですよ」

「何かあるか否かはともかく、確認の必要はありますね。明日にでも、前田係長に」

 すらすらと慎は話をまとめようとしたが、みひろは「いえ」と遮りこう続けた。

「明日じゃダメな気がしませんか? 川浪さんは今、笹尾さんたちと食事をしているはずです」

「その質問には答えかねます。なぜなら再三申し上げているように、僕は予想や憶測ではものを言わない主義なんです」

 きっぱりと、自信と信念、加えて自己愛も滲む口調で慎は返した。片手でスマホを構え、もう片方の手でメガネのブリッジを押し上げる姿が目に浮かぶ。イラッとしたのを堪え、みひろは前のめりで訴えた。

「知ってます。再三どころか、再四も再五も申し上げられてますから。でも、様子を見るだけでも。お店がどこかもわかっていますし」

「三雲さん。飲酒していますね。声が少しうわずっていますし、後ろから北島三郎の『まつり』が聞こえます。音程とピッチから察するに、カラオケでしょう」

 冷静かつ的確に返され、みひろはさらに苛立ってもどかしさも覚えた。後ろのステージでは確かに常連客の一人の吉武が、調子外れな「まつり」を気持ちよさそうに歌っている。

 心を決め、スマホを構え直した。

「わかりました。私一人で行きます。室長には、迷惑をかけませんから」

 そう一気に告げ、スマホを下ろして通話終了ボタンをタップした。

(つづく)

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
◎編集者コラム◎ 『安楽死を遂げるまで』宮下洋一
【著者インタビュー】佐久間文子『ツボちゃんの話』/急逝した坪内祐三氏の比類なき業績や彼との生活を綴った追悼の書