〈第5回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

いじめの実態は、会食代を賭けた
いかさまじゃんけんだった。
参加者の処遇は?

CASE1 シークレット・ガーデン :  男社会の女の園(5)


 

 12

 甘食、プリンパン、チョコチップメロンパン──ああ、揚げパンもあるんだ。心の中でそう呟いたとたん、

「揚げパン、おいしいですよ。この店なら、行ったことがあります。カバのイラストがトレードマークで、看板や包装紙、インテリアにも使われています」

 と後ろで慎の声がした。

 ぎょっとして、みひろは机上のノートパソコンの液晶ディスプレイを閉じようとした。が、慎は素早く身を乗り出し、みひろの肩越しに液晶ディスプレイを覗いた。そこに表示されているのは、グルメサイトのとあるパン店の情報ページ。慎の言うとおり、店の看板や店内の時計、貼り紙などには可愛い茶色のカバのキャラクターが使われている。パンも一つ一つ丁寧に作られているのがわかり、とてもおいしそうだ。

 みひろは「すみません」と言って身を引き、慎の横顔に問うた。

「私、また頭に浮かんだことを知らないうちに声に出してました?」

「いいえ。でも、口が開けっぱなしになっていました。ヨダレも若干」

 体を起こし、手にしたマグカップを口に運びながら慎は答えた。コーヒーメーカーのコーヒーを淹れ直したらしく、職場環境改善推進室には芳香が漂っている。恥ずかしいのと同時にちょっと腹も立ち、みひろは横目で慎を睨みながら口の端を拭った。自分の席に戻り、マグカップを机に置いて慎は続けた。

「川浪樹里が気になりますか。その店の所在地は、足立区でしょう」

「ええまあ。どうしてるかな、って」

 頷き、みひろは答えた。考えを見通され、恥ずかしさと腹立ちに気まずさも加わる。

 吉祥寺のビストロでジャンケンをしてから、間もなくひと月。あの後、職場環境改善推進室の調査報告を受け、監察係は笹尾と森、谷口、川浪に本庁への出頭要請を通知した。四人はこれに応じ、取調室で聴取を行った結果、賭けで動いた金額が二十万円程度と少額なこと、また笹尾、森、谷口はジャンケンでの不正行為を認め、出頭前に川浪に謝罪していたことなどから、逮捕起訴は行わないと決定された。しかし懲戒処分は免れず、減給十分の一を四カ月間と申し渡された。懲戒処分を受けた職員のほとんどがそうであるように、笹尾、森、谷口は即日依願退職したが、川浪はしなかった。そして十日ほど前、川浪には足立区の綾瀬中央署会計課への異動が言い渡された。

「武蔵野市から足立区って、ほぼ東京を横断じゃないですか。絵に描いたような左遷、罰俸転勤という名のいじめですよね。しかも、赤文字リスト入り。川浪さんはいかさまジャンケンの被害者なんですよ。少しは考慮してくれてもいいのに」

 そう訴え、みひろは机上にダークグレーのスーツのジャケットに包まれた肘をついた。ノートパソコンのキーボードを叩き始めながら、慎が応える。

「被害者であるのと同時に、賭博行為の発案者でもあります。処分は相応ですし、考慮もされています。賭博行為の逮捕起訴は、現行犯逮捕以外は難しいというのが現実ですが、逆に言えば、現行犯なら逮捕できるということです。そして先日の奢りジャンケンは、警察官である我々の目の前で行われました」

「ってことは、あの晩、川浪さんたちを置いて帰ったのが室長の考慮?」

「そう受け取っていただいて結構です」

 液晶ディスプレイに目を向けたまま表情を動かさずに、慎が返す。

 あの晩「規律違反に、事情も例外もありません」って言ったクセに。矛盾してない? 突っ込みは浮かぶが、川浪たちにどんな処分が下されるかあの場で推測し、行動に移したと考えると、さすがは元エリートだ。つい感服して、みひろは慎の白く整った顔に見入った。気配を察知したのか慎が視線を上げ、二人の目が合う。胸がどきんと鳴って恥ずかしくなり、みひろは慌てて机上のマグカップを掴んで立ち上がった。

「監察係の聴取によると、いかさまジャンケンの首謀者は森だったんですね。いま思えば聞き取り調査をした時、川浪さんへのいじめの否定とか、眉毛の件の説明とか、会話の主導権を握っていたのは森でした。笹尾は『キャプテンが私で、部長は川浪さん』なんて言ってましたけど、その上にラスボスがいたってことか。いかさまのテクニックと言い、森には人の心を操る才能があったのかもしれませんね。怖い怖い。ひょっとして、森も中学・高校と女子校?」

 眉根を寄せて捲し立てながら、使い込まれた白いコーヒーメーカーからガラス製のサーバーを取り、マグカップにコーヒーを注いだ。時刻は午後二時前。晴天で外は初夏のような気温だが、この部屋は相変わらず湿気っていて薄ら寒い。後ろで慎が言った。

「最後のワンフレーズは差別、僕が言えばセクハラと受け取られますよ。とは言え、『男社会の中にある女の園』という環境が、今回の案件と関係している可能性は高そうです。性別は関係なく、多数派の中の少数派という意味で。小さなグループは共通の敵がいると、結束が強まりますから」

「確かに。それが上司なら害もなかったんでしょうけど、前田係長はいい人ですからね。そこに遅刻早退の連続で不満を持たれてた川浪さんが奢りジャンケンを言いだして、みんな『これだ』って感じで悪ノリしちゃったのかも。だとすると、川浪さんも迂闊っていうか、ちょっと脇が甘いかな」

 最後は首を傾げ、みひろはコーヒーメーカーの脇のカゴからポーションタイプのミルクとスプーンを取り、席に戻った。向かいで慎が頷く。

「ですから、処分は相応なのです」

「はあ。でも、なんで川浪さんだけ退職しなかったんでしょうね。借金があるとはいえ、しんどいだろうな」

「話が元に戻りましたね……そんなに気になるなら、様子を見に行ったらいかがですか」

「いいんですか?」

 驚き、みひろは一度持ち上げたマグカップを机に戻した。キーボードを叩く音が止み、慎はメガネにかかった前髪を払ってこちらを見た。

「致し方ありません。ここ数日、ただでさえ遅い三雲さんのペーパーワークが著しく滞っていますから。ただし、帰りにさっきの店でパンを買って来ること。これは命令、いえ、あなたの使命です」

 決め台詞のようにそう告げ、慎は中指でメガネのブリッジを押し上げた。

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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