〈第9回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

CASE2クライマックス!
慎が暴いたストーカーの正体とは?

CASE2 マインドスイッチ : 駆け出し巡査はストーカー!?(4)


 

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 生田が尾行の被害届は出さないと言うので、続きは明日ということにして生田、水野ともに帰宅させた。多々良は柴崎と高橋への対応に向かい、みひろと慎は会議室に戻った。

「明日から、生田さんのストーカーと投書について調べましょう」

 長机の上のノートパソコンを片付けながら、慎は言った。隣でファイルや筆記用具などをバッグにしまう手を止め、みひろは返した。

「水野さんへの疑惑は消えたってことですか? 根拠は? 生田さんが言ったストーカーの視線なら、あれだって短絡的で合理性に欠ける気がしますけど」

「疑惑は消えた訳ではないし、個人的な経験に基づくものですが、根拠はあります」

「それはレッドリスト計画の騒動の時に、監察係にされた尾行と監視? それとも室長もストーカー被害に遭ったことがあるんですか? いつ? まさか今?」

 好奇心をかき立てられ勢い込んで訊ねたが、慎は「守秘義務。黙秘します」とにべもなく返した。むっとして「そうっすか」と応え、みひろはさらに言った。

「まあ、ストーカーを突き止めれば水野さんの疑惑もはっきりしますしね。三月の物損事故も調べ直した方がよくないですか? 意外とあれもストーカー絡みだったりして。だとしたら、水野さんの無実は確定ですね。だって水野さんと生田さんは、事故当夜現場で初めて会ったんですから」

 気を紛らわせる目的もあり、みひろは捲し立てた。しかし慎は無言。こちらに背中を向け、考え込むような顔をしている。無視された気がして、みひろはさらに腹立たしさと苛立ちを覚えた。二日連続のランニング込みの残業で、疲れてもいるのだろう。そう考えても気持ちは治まらず、みひろは声を大きくして言った。

「でも、さっきはまさかの展開でしたよね。一昨日の室長の質問で、水野さんのスイッチが入ってたなんて」

「スイッチ?」と反応し、慎が振り返った。その目を見て、みひろは続けた。

「ええ。室長は『あり得ない』って言ってたけど、実際よくありますよ。何とも思っていなかった人を誰かに、『お似合いなんじゃない?』と言われてその気になる、みたいな。似たパターンで、私は夢に出て来た芸能人を好きになったことがありますよ。室長だって、そういう経験はあるでしょう?」

 軽いノリで問いかけたが、慎は無言。

 えっ、ないの? 室長と恋バナするのって初めてだけど、まさか「彼女いない歴=年齢」? それなら、さっきの「あり得ない」主張も納得──。

「三雲さん。頭に浮かんだことを知らないうちに口に出すクセ。少し前に『治しましょうか』と言ったばかりですよね?」

 無表情だが棘のある口調で問われ、みひろは手のひらで口を押さえた。

「またやっちゃってました? すみません」

「しかも事実誤認な上に、プライバシーの侵害です」

「本当にすみません……事実誤認は、彼女いない歴=年齢? それとも、お似合いって言われた人にその気になっちゃう方?」

 つい食い下がると、慎は露骨に不機嫌そうな顔になり、「プライバシーの侵害」と繰り返した。しまったと思い、みひろは謝罪しようとしたが、慎はこう続けた。

「加えて、先ほどの『欲望って。そんな言い方はないでしょう』という発言。調査対象者の前で上司の言葉を否定するなど、常識以前の問題です。職務の遂行にも支障を来しかねませんし、以後慎んで下さい」

「わかりました。でも、あれはあんまりだと思います。水野さんはピュアなぶん思い込みが激しそうだから、慎重にアプローチしないと。事実、室長の質問で恋心に目覚めて尾行をしちゃったんだし──もちろん、誰も予想できない展開で室長に責任はないし、気にしなくてもいいですよ」

 フォローのつもりで言葉を尽くして伝えた。しかし、慎はさらに顔と眼差しを険しくして返した。

「以前から感じていましたが、三雲さんは往々にして言葉の選択が不適切です。フォローまたは慰め、激励のつもりなのでしょうが、極めて無礼で傲慢。いわゆる『上から目線』です。こちらも猛省し、慎みなさい」

 傲慢で上から目線って、室長にだけは言われたくないんだけど。反発は覚えたが、めったに命令口調を使わない慎が「慎みなさい」と言った。逆らうのはまずいと直感し、みひろは、

「はい。申し訳ありませんでした」

 とだけ返し、手にしていたものを長机に置いて頭を下げた。

 叱られるのは初めてじゃないけど、室長がこんなにわかりやすく怒るって珍しいな。ちょっと前には考え込むような顔をしてたし、何かあったのかも。でも訊くのはシャクだし、もっと叱られそうだな。頭を下げたままみひろが逡巡していると慎は、

「車で待っています」

 と告げて身を翻し、会議室を出て行った。

 

 12

 翌朝も、慎はいつもより早く寮を出た。何者かに見られているような気配は感じられなかったが、気を緩めず、周囲に注意しながら通りを歩いた。

 昨日の朝感じた気配は、建物の中にいる時以外は一日中続いた。そんなことは初めてで、さすがにプレッシャーを覚え、会議室での三雲みひろの些細な発言に反応してしまった。

 三雲の言葉の選び方はいずれ忠告するつもりだったが、人前で感情を露わにしたのは失態だ。三雲は発言が無神経で向上心に欠ける一方、カンが鋭く観察力もある。隙を見せないようにしなくては。俺の計画は始まったばかりだ。自分で自分にそう言い聞かせ、慎はビジネスバッグの持ち手を握り直した。

 地下鉄麻布十番駅への降り口を通り過ぎ、首都高速道路の下をくぐって新一の橋の交差点を渡った。一キロほど行くと、前方にガラス張りの大きなビルが現れた。総合病院の病棟で、広い敷地の中には他にも複数の建物がある。

 病院の敷地に入り、通路を進んだ。病棟の一階にはチェーンのコーヒーショップとコンビニが入っていて、それぞれ出入口がある。そこからコーヒーショップに入り、店内を見回した。手前の壁際に制服姿の店員が入ったカウンターがあり、奥が客席だ。病棟の出入口が開くのを待っている患者らしき人たちで、店内は混み合っている。

 まずカウンターでコーヒーを買い、慎は客席に向かった。奥まった一角の二人がけのテーブルに目当ての顔を見つけ、歩み寄る。

「宇佐美周平さんですね? 警視庁の阿久津です」

 抑えめの声で問いかけると、テーブルに着いた男ははっとして顔を上げた。歳は三十代前半。色白の小太りで、長めの前髪を額の真ん中で分けている。身につけているのは、ダークスーツとノーネクタイの白いワイシャツだ。

「どうも」

 もごもごと返し、宇佐美は小さく丸い目を動かして慎の背後を窺った。

「心配には及びません。病院内には、検査や治療のための放射線発生装置が複数あります。放射線の被爆を恐れる盾の家のメンバーは、ここには近づきません」

 そう告げて、慎はコーヒーカップとソーサーの載ったトレイをテーブルに置き着席した。慎がここを待ち合わせ場所に指定した意味を理解したらしく、宇佐美は「ああ」と頷いた。

 肩や腕をそわそわと動かしながら、宇佐美は言った。

「何の用ですか? 去年の騒動の話は聞きましたけど、あなたは盾の家のメンバーみんなの敵で、ものすごく恨まれていますよ」

「でしょうね」

 平然と返し、慎はカップを取ってコーヒーをすすった。頭に昨日の朝浮かんだのと同じ男の顔が浮かび、さらに確信が強まった。呆れたようにこちらを見て、宇佐美もコーヒーを飲んだ。

 カップをソーサーに戻し、慎は本題を切り出した。

「宇佐美さんは職場や家族には盾の家のメンバーであることを隠している、いわゆる在家信者ですね。他のメンバーには『謝礼目当てを装って公安に近づき、捜査情報を聞き出す』と説明しつつ、実は盾の家の情報を公安に流している二重スパイ。団体内部に入り込んで、幹部の信頼も厚いとか。エスになって何年ですか?」

「二年ですけど」

 ぶっきらぼうに返し、宇佐美は顔を背けた。その様子を確認し、慎は話を進めた。

「盾の家の現況を教えて下さい。代表の扇田鏡子は、末期の肺がんで余命わずかだと聞いています。当然、病院での治療は拒否しているんですよね?」

「ええ。八王子の本部施設にいます。『がんの原因は放射能汚染だ』と言い張って、盾の家が造った水や薬を飲んだり、放射能を除去するという装置で治療の真似事をしていましたが、最近はほとんど意識がありません。そう長くないでしょう」

「後継者は? 善悪は別として、扇田にはカリスマ性があります。その威光を維持するには、相応の人物でなければならないはずです」

 水を向けると、宇佐美は「そうなんです」と頷いて慎を見た。

「扇田は既に代表の座を退くと表明していて、次期代表はメンバーの各地域の支部長が投票して選挙で選ぶことになっています。でもそれはかたちだけで、扇田の一人娘のふみが後継者だと考えられていました。ところが最近になって、市川秀人という古参の幹部が『自分も選挙に立候補する』と言いだしたんです」

「なぜまた?」

 慎が問うと、宇佐美は待ち構えていたように「あなたですよ」と言い、こちらを指した。慎は絶句して見せ、宇佐美は小声で鼻息荒く、こう続けた。

「去年の中森翼の一件で、盾の家は利用された上に恥をかかされた。市川とその一派は警視庁と阿久津慎への報復を主張していますが、ふみとその取り巻きは『報復より団体の維持と発展に注力すべきだ』と。二派は対立し、盾の家内部は分裂状態です」

「そうですか」

 呆然としたふりで返し、慎はまたコーヒーを飲んだ。満足げに頷き、宇佐美も持ったままだったカップを口に運んだ。

 扇田の病状だけではなく、団体の内部が分裂状態であることも知っていたが、その原因が自分というのは初耳だ。改めて盾の家の怒りと執念を感じ警戒を覚えるとともに、それはそれでチャンスだと思う。と、閃くものがあり、慎は言った。

「分裂状態と言っても、メンバーの大半はふみ一派の支持者でしょう? つまり市川一派は多勢に無勢で、このままでは失脚し、団体を追放される可能性も高い。ちなみに選挙はいつ、どこで? 投票は支部長を集めて行うのですよね?」

 テンポよく問いかけると、宇佐美は面食らったように目を瞬かせて答えた。

「はい。選挙は六月二十七日の日曜日に、八王子の本部施設で行われます」

「わかりました。では、あなたは市川に接近して一派に加わり、『選挙で勝つには奇跡を起こすしかありません』と言って下さい」

「えっ⁉ 言ってどうするんですか?」

「無論、奇跡を起こすのです」

 間髪を入れずにそう答えると、宇佐美はぽかんとした。慎は続けた。

「正しくは奇跡を起こしたように偽装する、ですが……市川に根回しさせて、選挙に集まった支部長たちが投票の前に水を飲むようにして下さい。水とは盾の家が製造販売している『斎戒の水』で、事前にGHB、ケタミンなど意識を朦朧とさせる作用のある薬物を混入しておきます。その上で、市川が『自分には放射能を除去する霊力が備わっている』と言ってそのようなパフォーマンスを行い、支部長たちに『奇跡だ』と信じ込ませるのです。これなら支部長たちの気持ちを掴み、一発逆転できます」

「そんな無茶な。GHBにケタミンって、どっちも違法薬物ですよ」

「おっしゃる通り。ですから、実際には先に公安に『盾の家は違法薬物を使用している』とタレ込み、支部長たちが薬物入りの斎戒の水を飲む直前に捜査員に踏み込ませるのです。団体を一網打尽にできるチャンスですから、公安は必ず動きます」

 慎は断言したが、宇佐美はカップをテーブルに置いて身を引いた。

「無理です。市川を騙すなんて、バレたら殺されかねませんよ。それに、薬物はどうやって手に入れるんですか?」

「盾の家のメンバーに、元ドラッグディーラーの男がいます。その男を一派に引き込み、昔のツテで薬物を入手させて下さい」

「できません。今だって、いつ正体を見破られるかびくびくし通しなのに。そもそも、今の話は全部阿久津さん一人の考えなんですよね? そんなことしていいんですか? 公安に知られたら──」

「宇佐美さん。自由になりたくないですか?」

 そう問いかけると、宇佐美は動きを止めた。背中を丸めて眉根を寄せたまま、慎を見る。その顔を見返し、慎はさらに言った。

「あなたは高校の化学教師ですが、三年前に出会い系サイトで知り合った自称・二十歳、実際には十七歳の少女と関係を持ち、東京都青少年の健全な育成に関する条例に違反したとして逮捕された。少女が年齢偽装を認めたために不起訴になりましたが、公安に『職場や家族に事件を知られたくなければ、エスになれ』と迫られた。さぞ辛く、心の安まる暇のない毎日だったでしょう。そろそろ、楽になりませんか? 僕の言うとおりに動けば、公安からも盾の家からも解放されるとお約束します」

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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