〈第7回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

今回の事案は、町田北署。
不適切な異性交際との内通があった。

CASE2 マインドスイッチ : 駆け出し巡査はストーカー!?(2)


 

 5

 署長室を出たみひろと慎は、町田北署の二階の会議室を借りて聞き取り調査の準備を始めた。間もなく多々良課長が証拠物件保管用のジップバッグに入った投書と、生田の事故の関係書類を届けてくれたので目を通した。

 約三十分後、会議室に水野がやって来た。小柄で童顔、大きめの前歯が齧歯目の小動物を彷彿とさせる。やはりさっきの人身事故現場にいたのか、制服のシャツは袖を捲り上げ、ズボンには土と砂が付いていた。

「職務中に申し訳ありません。本庁職場環境改善推進室の阿久津と三雲です。どうぞ、おかけ下さい」

 にこやかに語りかけた慎に水野は硬い表情で一礼し、制服と同じ色のキャップを長机に置いて椅子に座った。ファイルを手に、慎は話し始めた。

「卒業配置で町田北署交通課交通執行係。翌年交通捜査係に異動し、この春で二年目の二十五歳……交通警察は地域警察、刑事警察に次いで人員が多く、重要な職責を担う部署ですが、いかがですか?」

「日々勉強だと思って、がんばっています」

「それは結構……ここ六年ほど、全国の交通事故発生件数、死者数、負傷者数は減少傾向にあります。一方、交通事故による死者に関する統計で昨年より数値が増加しているものもある。何の統計かご存じですか?」

「すみません。わかりません」

 水野は答え、横を向いた。緊張しているのかもしれないが、声にはヤケになっているようなニュアンスも滲む。多々良から、なぜここに呼ばれたのか聞いたのだろう。

「大丈夫です。私もわかりませんから」

 少しでも場の空気を和まそうと、みひろは微笑みかけた。しかし水野は、訝しげな眼差しを返しただけで無言。慎は横目で咎めるようにみひろを見て、咳払いをした。

「正解は、交通事故による死者数全体に占める六十五歳以上の割合です……本題に入りましょう。既にご存じかと思いますが、我々の目的はこの投書に書かれた内容の真偽を判定し、対処することです。あなたはこの投書にあるように、生田彩菜さんに尾行、監視などのストーカー行為をしましたか?」

「この投書」と言う時にはジップバッグを持ち上げ、問いかける。投書はA4のコピー用紙にワープロで書かれ、念のため鑑識課が調べたが指紋などは検出されなかったという。顔をこちらに向けて首を横に振り、水野は即答した。

「いいえ、していません。多々良課長に訊かれた時もそう答えて、『スマホの履歴なり防犯カメラなり、調べて下さい』とも言いましたが、無視されました」

 後半はまたヤケになったような話し方になり、俯く。

 真相は究明したいけど、自分たちに火の粉が降りかかるのは避けたいって訳ね。いかにもだわ。みひろが呆れつつ納得していると、慎はジップバッグを置いて冷静に返した。

「そうですか。では、今が無実を証明するチャンスですね」

 はっとして顔を上げ、水野は「はあ」と応えた。声は小さかったが、表情が緩んだのがわかる。

 さすが。みひろは感心し、ノートパソコンの準備をする慎の横顔を見た。負けていられないという気持ちが湧き、水野に問いかけた。

「生田さんが起こした事故について教えて下さい」

 水野は「わかりました」と頷き、話しだした。

「発生は三月八日、月曜日の午後七時過ぎです。直後に通報があり、僕と山之内拓巡査長が小田急線鶴川駅近くの国道に臨場しました。現場には車両が停車しており、当事者の生田さん、二十歳がいたので話を聞いたところ、『ハンドル操作を誤り、ガードレールにぶつけてしまった』とのことでした。車両はフロントバンパーの左側がへこみ、その脇のガードレールに擦過痕がありました」

 さっきまでとは別人のような、はきはきとした口調。みひろの手元のファイルに収められた身上調査票によると、水野の警察学校での成績は中の中。だが、熱意と誠意を持って職務に取り組んでいるのが感じられた。

「生田さんにケガなどはなく現場見分を望んでおらず、また交通渋滞なども起きていなかったので、山之内巡査長が物損事故と判断し、事故状況の確認のみを行いました。生田さんには必要事項を記入したメモを渡しましたが、ひどく取り乱していたので、その後三十分ほど話をしました」

 水野はさらに語り、みひろはふんふんと聞いた。物損事故報告書に書かれていた内容とほぼ同じで、警察の物損事故処理要領通りの行動だ。

「その時、生田さんの勤務先について聞いたんですね」

 みひろの言葉に水野はまた緊張した顔になり、「はい」と頷いた。

「勤務先の喫茶店は警察の寮の近くで、評判は仲間から聞いていました。カレーが名物らしくて、僕も山之内巡査長もカレー好きなので興味が湧いて、次の休みに二人で行きました。そうしたら本当においしくて店の雰囲気もよくて、その後も通うようになったんです。生田さんとも挨拶や世間話をするようになりましたが、職務上の関係者であることは忘れず、店にも必ず誰かと一緒に行くようにしていました。生田さんと個人的な付き合いはなく、連絡先も知りませんし、投書の件の後は一度も店に行っていません」

「多々良課長からの聞き取りに対する返答と一致しますね」

 ノートパソコンのキーボードを叩く手を止め、慎は言った。水野の目が自分に向くのを確認し、続けた。

「では、あなたは生田さんに対するストーカー行為は全面的に否定する、また、あなたにとって生田さんは職務上の関係者及び行き付けの飲食店の従業員であり、恋愛を含む私的感情は今後の可能性を含め一切ない、ということでよろしいですか?」

 言葉の勢いとスピードに圧されたのか、水野は慎を見たまま黙っている。しかしすぐに首を大きく縦に振り、

「はい。それで構いません」

 と、きっぱり答えた。「わかりました」と返し、慎はまたキーボードを叩き始めた。その音を聞きながら、みひろは問うた。

「ストーカー行為の犯人と投書をした人に、心当たりはありませんか?」

「ありません」

 再びきっぱり答え、水野はみひろの目を見た。

 その後、山之内巡査長を含む上司や同僚からも水野の話を聞いた。全員が「新人なので未熟な点は多いが、真面目に職務に取り組んでいる」と話し、とくに山之内巡査長は「何度か一緒に喫茶店に行き生田さんと話す水野を見た。楽しそうにはしていたが、特別な感情があるようには思えなかった」と話した。一方で水野は終業後や休日は一人で行動することが多く、みんなが「何をしていたかはわからない」と答えた。

 

 6

 聞き取り調査を終え、みひろと慎は町田北署を出た。

 五分ほどで小さな商店街に着いた。道の端にセダンを停め、商店街の入口にある喫茶店に向かう。ガラス窓に金色の塗料で「喫茶バカンス」と書かれた木のドアを開け、店に入った。

 まず目に入ったのは、壁沿いのカウンターと正面の棚。カウンターは、シェードがステンドグラスのライトが天井から等間隔でぶら下がり、棚には少年マンガがぎっしりと詰まり、上にはスポーツ新聞各紙が置かれていた。棚の奥は客席で、所々木目が消えかけたテーブルと、背もたれの部分に白い布カバーのかかった椅子が並んでいる。

「いらっしゃいませ。二名様ですか?」

 店の奥から、女性が歩み寄って来た。調査資料に写真が添付されていたので、すぐに生田だとわかった。小柄で長い髪をシュシュで束ね、ライトグレーのトレーナーとジーンズを身につけ、上からダークグリーンの胸当てエプロンを締めている。美人ではないが笑顔は明るく、澄んだ目とほぼすっぴんなのにすべすべな肌が、いかにも二十歳という感じだ。

 慎は「ええ」と返し、席に案内する生田に続いた。身分を明かさず、様子を見るのか。そう思いながら、みひろは二人に付いて行った。

 奥の壁際の席に慎と向かい合って着き、みひろは店内を見回した。天井の中央に大きなシャンデリアが取り付けられ、壁には色褪せた花柄の壁紙が貼られている。床のあちこちに観葉植物の鉢が置かれ、出入口のドアの脇にある窓の枠には、土産物らしき木彫りのクマやこけし、土鈴などが並べられている。BGMは、ポップな演歌だ。

 昭和レトロっていうのかな。スナック流詩哀っぽいし、好きな雰囲気だわ。そう思い、みひろは他の客にも目を向けた。平日の午後二時過ぎとあって、商談中らしきスーツ姿の男性二人組と、カウンター席で向かいに立つ店主と思しき男性と談笑する初老の男性だけ。店主の男性は五十代半ばで鼻の下と顎の先にヒゲを生やし、白いシャツと黒いベストを身につけている。

「ビーフカレー、七百五十円。水野が言っていたのはこれですね」

 その声に向かいを見ると、慎がテーブルの端のアクリルスタンドに入ったメニューを見ていた。みひろも身を乗り出して倣う。

 ブレンドやコロンビア、ブラジルなどのコーヒーを始め、レモンスカッシュやバナナジュース、フルーツパフェなどがあり、値段は五百円前後。フードはカレーの他に、サンドイッチ・六百二十円とナポリタン・七百三十円があった。立地を考えても、かなりリーズナブルだろう。

 すぐに生田がやって来た。慣れた手つきで胸に抱えた盆から水の入ったグラスとおしぼりを取り、テーブルに並べていく。その顔を見上げ、慎は問うた。

「カレーが名物だと聞いて来ました。ちなみに欧風とインドカレー、どちらですか?」

「オリジナルです。うちでブレンドしたスパイスと、地元で採れた野菜を使っています。ランチセットは、ミニサラダとコーヒーが付いて八百円です」

「なるほど」と言って慎はメニューに視線を戻し、みひろは「おいしそう」と生田に微笑みかけた。メニューを見たまま慎が、

「では、ランチセットを」

 と告げ、みひろも「私も」と言う。生田はにこやかに頷いた。

「カレーランチをお二つですね」

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
思い出の味 ◈ 五十嵐律人
◎編集者コラム◎ 『狩られる者たち』著/アルネ・ダール 訳/田口俊樹、矢島真理