〈第4回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

川浪が突如、警視庁を訪ねてきた。
不審に思ったみひろは、慎に報告を入れる。

 黒白のボーダーカットソー姿の森が、テーブルから伝票ホルダーを取って読み上げる。とたんに、場の空気が変わった。花柄のブラウスを着た谷口と笹尾が真顔になり、肩を回したり、手を開いたり閉じたりし始める。一方川浪は、目を伏せて顔を強ばらせた。

「あれ」って? 何が始まるの? みひろは緊張と興味を覚え、身を乗り出して四人に見入った。暖簾がかすかに揺れ、慎も身を乗り出したのがわかる。ミネラルウォーターとバゲットを運んで来た女性店員が、訝しげにこちらを見るのを感じた。

「じゃあ、いきますよ。いいですか?」

 笹尾が他の三人を見回して訊ねた。森と谷口は前のめりになって頷いたが、川浪は目を伏せたままだ。川浪の様子が気になりつつ、みひろもクリスタルボールが顔に当たるほど前のめりになる。

「はい。最初はグー」

 笹尾は声を張って言い、テーブルの上の空間に右拳を突き出して上下に振った。谷口はそれに倣い、森は何かのおまじないなのか、中指と人差し指を軽く立てた状態で右手を上下させる。川浪も動きはぎこちないものの顔を上げ、右拳を振った。

「なんだ。ジャンケンか」

 そう呟いてから、みひろは夕方会った時、川浪が自分にジャンケンを求めて来たのを思い出した。その間に笹尾は「ジャンケンポン!」と続け、パーを出した。森と谷口もパー。川浪だけがグーを出している。

「やったー!」

「セーフ」

「川浪さん、すみません。よろしくお願いします」

 森が喜び、谷口は安堵し、笹尾は申し訳がなさそうに伝票ホルダーをテーブルの川浪の前に置いた。川浪は無言。呆然と伝票ホルダーを見ている。

「大丈夫ですか?」

 笹尾が心配そうに隣を覗き、森と谷口も向かいに視線を向ける。川浪ははっとして顔を上げ、伝票のホルダーを取った。

「うん。ルールはルールだもんね。でも、よければもう一勝負お願いできない? さすがにそろそろ苦しいのよ」

 笑顔でそう問うた川浪だが、声は上ずっている。頷き、笹尾は即答した。

「もちろん、いいですよ。もう一度やりましょう」

「楽しいし、一度と言わず何度でもやりますよ」

「私も。全然OKです」

 森と谷口も返したが、「いいですよ」「やりますよ」と微妙に上から目線。みひろは違和感を覚えたが、川浪はほっとしている。

「では、気を取り直して……最初はグー!」

 さっきよりも大きな声で言い、笹尾が右拳を上下に振った。谷口が倣い、森も今度は二人と同じようにした。そこに川浪も加わる。みひろたちとは反対側の隣のテーブルに着いたカップルが、怪訝そうに四人を振り向いた。

「ジャンケンポン!」

 笹尾は続け、チョキを出した。森はパーで、谷口はチョキ、そして川浪はパーだ。

「うわ。やば〜い!」

 森が大袈裟にのけぞり、川浪はさらにほっとした様子だ。

「はいはい。それじゃ、二人で決勝戦……最初はグー」

 間髪を入れずに笹尾が告げ、森と川浪は右手を上下させた。森は今度は手のひらを開いて右手を上げ、グーを作って下ろすポーズだ。

「ジャンケンポン!」

 笹尾がテンポよく続け、森は作ったグーをそのまま突き出した。一方、川浪はチョキ。

「よかった〜!」

 心底安堵したように言い、森は隣の谷口にしなだれかかった。それを見て谷口と笹尾が笑い、川浪は無言。諦めたような顔で、バッグから黒革の長財布を出す。

 ジャンケンに負けた人が、食事を奢るってルールなのか。ランチならともかくディナー、しかも一万五千円はキツいな。「恒例の」ってことは、しょっちゅうやってるの? しかも川浪さんは、「さすがにそろそろ苦しい」って──。ふいに、頭の中の回路が繋がった気がした。「やっぱり私、ジャンケンが弱いんですね」と言ってうなだれていた川浪の姿も思い出す。みひろは身を引き、メニューを下ろした。その耳に、

「ゆゆしき事態ですね」

 という慎の声が届く。振り向いて、みひろも言った。

「ですよね」

「ええ」と頷き、慎もメニューを下ろして前髪の乱れを整えた。

「三雲さんの推測は、正しかった。到底看過できません。彼女たちの行為は」

 慎は語りだしたが、みひろはテーブルに手を伸ばしてボトルを取り、ミネラルウォーターをグラスに注いだ。ボトルを置いてグラスを掴み、中身を飲み干す。慎の視線を感じながらグラスをテーブルに戻し、両手で頬をぱんぱんと叩く。酔い覚ましの意味もあるが、気合い入れだ。

 席を立ち、みひろは通路に出た。「三雲さん?」と呼びかける慎の後ろを抜け、隣の半個室に入った。

「こんばんは。お邪魔します」

 そう挨拶すると川浪と笹尾が視線を上げ、森と谷口も振り向いた。

「三雲さん。どうして」

 長財布を手にしたまま目を見開き、川浪が言った。と、それを遮るように笹尾が微笑みかけてきた。

「こんばんは。偶然ですね。あ、阿久津さんもいる」

 笹尾の視線が、みひろの背後に動く。

「ひょっとしてデートですか?」

「え〜っ。いいな〜」

 森と谷口も騒ぐ。テーブルには中身が残ったワイングラスも置かれているので、四人も少し酔っているのだろう。みひろは笑顔を作り、返した。

「先日はありがとうございました。楽しそうですね。特にジャンケン。私、大好きなんですよ。よければ、仲間に入れてもらえませんか?」

「もう終わったから。全部冗談だし、ふざけてただけなんですよ」

 眉根を寄せ、笹尾は早口で返したが、みひろは構わずに続けた。

「もちろんわかってます。でも腕がうずいて。川浪さんの代わりってことで、三度目の勝負をしませんか?」

 明るく、しかし有無を言わせない口調で問いかけ、テーブルの脇に立った。笑顔のまま、笹尾が黙る。

「冗談だってわかってもらっているなら、構いません。やりましょう」

 代わりにそう答えたのは、森だ。パールピンクのアイシャドウとマスカラで飾られた丸い目でみひろを見上げ、微笑む。森が「ね?」と振ると、笹尾と谷口もぎこちなくだが頷いた。その姿を、川浪が戸惑ったように見る。

 みひろも頷き、ベージュのジャケットに包まれた右腕の肘の内側をつまみ、軽く引き上げた。向かいから川浪、後ろから慎の視線を感じたので、「任せて下さい」の合図のつもりで、左手を軽く挙げて見せた。

 笹尾、森、谷口も右腕を上げたのを確認し、みひろは言った。

「いいですね? ……最初はグー」

 言いながら突き出した右拳を上下させ、同時にテーブルの三人の右手の動きを見る。笹尾と谷口はグーを作って右手を振ったが、森はさっきの勝負の時と同じようにパーを作って右手を上げ、下げるときにグーにした。

「ジャンケンポン!」

 勢いよく続け、みひろは右手を開いてパーを出した。森はグー。笹尾と谷口も同じだ。

「やった! 川浪さん、リベンジしましたよ。これで、さっきの勝負はチャラですね」

 みひろは首を突き出し、はしゃいだ声で報告した。「ええ」と頷いた川浪だが、その目は泳いでいる。笹尾、森、谷口は素早く視線を交わし、笹尾が言った。

「『大好き』って言うだけあって、強いですね。でも、三人とも秒殺じゃ悔しいので、再挑戦させて下さい」

 高い声をさらに高くして媚びるような笑みも浮かべているが、眼差しに余裕はない。予想通りの反応なので、みひろは即答した。

「もちろん。じゃあ、早速……最初はグー」

 早口で告げ再度右拳を振ると、テーブルの三人も右手を動かした。笹尾と谷口はグーだが、森は今度は軽く指を曲げてはいるがチョキを作っている。

「ジャンケンポン!」

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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