〈第4回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

川浪が突如、警視庁を訪ねてきた。
不審に思ったみひろは、慎に報告を入れる。

 声を張り、みひろはパーを出した。笹尾、谷口、森もパーだ。おあいこになり、ほっとした様子の三人に、みひろは告げた。

「気が合いますね、と言いたいところですが、わざとです。私もみなさんがパーを出すとわかっていました。さっきも、みなさんがグーだとわかっていたのでパーで勝ちました」

「えっ⁉」

 川浪が驚き、笹尾は笑った。

「そうなんですか? なんか、魔法か超能力みたいですね」

「ホントホント」

「三雲さん、すごい」

 森と谷口も目を見開いて同意する。

 あくまでシラを切るつもりね。そう確信し、みひろが強い怒りを覚えていると、慎が進み出て来た。

「違います。三雲はいま、『私も』と言いました。つまり、みなさんも他の二人がどの手を出すかわかった上で、グー及びパーを選択したということです。当然川浪さんとの勝負でも、同じ手法を用いたのでしょう」

 テーブルの三人を順に見て、そう告げる。たちまち三人は驚きと不満の声を上げ、川浪は呆然となる。慎が満足げにメガネのブリッジを押し上げようとしたので、みひろは「私が言おうと思ったのに」と心の中で憤慨し、横目で睨んだ。意図が伝わったらしく、慎は咳払いとともに「失敬」と言い、元いた場所に戻った。

「私たちが事前に申し合わせて、同じ手を出してるって言うんですか? そんなことしてません。言いがかりだわ」

 笹尾が言い、みひろに尖った目を向けた。頷き、森も言う。

「それにもし申し合わせていたとしても、勝てるとは限らないでしょう。だって、三雲さんや川浪さんがどの手を出すかは、わからないんだから。ですよね、川浪さん?」

「うん。確かに」

 突然話を振られてうろたえ、川浪が納得しそうになったので、みひろは話を続けた。

「ええ。ですから、こちらが出す手を当てるのではなく、笹尾さんたちが勝てる手をこちらが出すように仕向けているんです。また『魔法か超能力』って言われそうですけど、違います。カギは森さんで、『最初はグー』のかけ声の時、こちらに見えるようにチョキやパーのポーズを作りましたよね。それで川浪さんは、無意識に見せられた手に勝てる手、つまりグーとチョキを出してしまった」

「あっ!」

 川浪は声を上げ、手を口に当てた。もう片方の手は長財布を握ったままだ。森が何か言おうとしたので、みひろは先にこう補足した。

「ちなみにこれは『プライミング効果』といって、あらかじめ受けた刺激や情報に行動が無意識に影響される現象です。子どもの頃、十回クイズってやりませんでした? 『みりんって十回言って』と相手に言わせてから、『首の長い動物と言えば?』と訊いて正解のキリンじゃなく『みりん』と答えさせる。あれもプライミング効果の応用です」

 職場改善ホットラインの係員時代に勉強したので、みひろの頭の中には各種ハラスメントや心理学、詐欺の手法などの知識が一通り入っている。そのきっぱりした口調に、森は急におろおろとし始めた。

「プラなんとかとか、わかりません。『最初はグー』の時にポーズを作っちゃうのは、クセなんです。いけませんか?」

「いいえ。問題はクセを悪用し、仲間と結託して誰かを騙して陥れることです……食事会で誰が奢るかジャンケンで決めるのも、勝負に負けるのも、今夜が初めてじゃないでしょう。警察共済組合からの借入金二十万円も、お父さんの入院じゃなく、食事代の支払いが原因なんじゃないですか?」

 前半は森を見据えて厳しく、後半は川浪に向かってできるだけ優しく語りかけた。無言で、しかし首を大きく縦に振り、川浪は俯いた。すぐにその肩が震えだし、白く細い指が関節の色が変わるほど強く、長財布を握りしめる。

「わかりました。今日の夕方も、この話をしたくて来たんですよね。気づけなくて、ごめんなさい」

 そう続けてみひろが頭を下げると、川浪は俯いたまま激しく首を横に振った。森と谷口も俯き、気まずそうに押し黙っている。笹尾が上目遣いにみひろを見て言った。

「でも、『ジャンケンで負けた人の奢りにしない?』って言いだしたのは、川浪さんなんですよ。それなのにジャンケンが弱くて、『悔しいからもう一回』って何度もやりたがったんです。だから私たちも、『付き合うならメリットがないとね』って話になって」

 独特の声から滲むものが、媚びから不満に変わる。怒りがこみ上げ、みひろは両手でテーブルをばしん、と叩いて返した。

「話をすり替えるな! 問題はジャンケンじゃなく、結託して誰かを騙して陥れたこと。ほんのちょっと前に、そう言ったでしょ!」

 びくりと肩を揺らして「すみません」と言い、笹尾は俯いて泣きだした。森と谷口も俯いたまま動かない。反対に川浪は顔を上げ、目の端にハンカチを当てて涙を拭いた。

 みひろが両手をテーブルについたまま鼻息も荒く四人を見ていると、慎の声がした。

「熱弁は結構ですが、そろそろ。重大な事実誤認があります」

「えっ?」

 みひろが振り向くのと同時に、再び慎が進み出て来た。四人を見渡し、こう告げた。

「川浪さんの告発の理由と真相は、よくわかりました。ジャンケンの勝敗に関しては、話の流れにもよりますが、詐欺罪に当たる可能性があります。しかしそれ以前に、みなさん四人は認許しがたい過ちを犯しました」

「四人? 三人じゃなく?」

 そう訊ねたみひろに、慎は前を向いたまま「はい」と答えた。

「笹尾さん、森さん、谷口さん、そして川浪さん。みなさんは、食事代金の支払者を決定する目的でジャンケンを行いましたね。これは『偶然の勝敗により財物・財産上の利益の得喪を争うこと』にあたり、賭博行為とみなされます。賭博は刑法第百八十五条に抵触し、五十万円以下の罰金または科料に処せられます」

「ああ……でも賭博っていうか、この程度の賭けなら、みんながやってることだし」

 フォローのつもりで言い、テーブルを見回した。しかし四人とも顔は上げたが横を向き、みひろと目を合わせようとしない。

 賭博の罪に問われると承知の上で、奢りジャンケンをしてたの? だから「冗談」って強調したんだ。みひろが驚き呆れると、慎はさらに言った。

「おっしゃる通り、刑法第百八十五条の但書には『一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときはこの限りでない』とあります。しかし先ほどの三雲さんの発言通り、この四人の奢りジャンケンは度々行われ、常習化していた可能性が極めて高い。加えて賭博行為は警察職員に対する懲戒処分の指針に於ける『その他規律に違反するもの』の『賭博をすること』にも該当し、減給又は戒告に処されます。ゆえに僕は、『認許しがたい過ち』と言ったんです。四人とも、処分は追って通達しますが覚悟して下さい」

 最後のワンフレーズは、眼差しと口調を厳しくして告げる。その迫力に四人はこちらを向いて「はい」と返し、慎は「では」と告げて身を翻した。みひろは戸惑いながら慎の後を追い、半個室を出て自分たちのテーブルに戻った。

「『ゆゆしき事態』は賭博のことだったんですね。でも今回は事情が事情だし、例外的に」

 暖簾越しに隣を覗いながら、空いた椅子に置いたバッグを掴んでいる慎に語りかけた。隣の四人、とくに川浪がすがるような目でこちらを見ているのがわかる。

「規律違反に、事情も例外もありません。発見したら処罰する。それが正義であり、我々の職務です」

 滑舌よく告げ、慎はバッグと伝票のホルダーを手に出入口に歩きだした。みひろはますます戸惑い、返す言葉を探しつつその後に続いた。と、慎は足を止めて振り向き、

「それから、警察官に『みんながやってること』は禁句です。二度と口にしないで下さい」

 と強い口調で付け加え、また歩きだした。

(つづく)

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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