美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第4話 文学少年が売り切れだったので、哲学少年十九歳を買った話

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第4回目のタイトルは、「文学少年が売り切れだったので、哲学少年十九歳を買った話」。一見、危険な匂いが漂いますが、そこに広がるのは想定外にピュアな世界……。「私」と「少年」の対話が織りなす独特な世界観が読みどころの一篇です。

二月のある朝、私はボロ車を駆って、久しぶりに文学少年を買いに出かけた。いわゆる少年買いという奴だ。私のような貧乏人にとって贅沢すぎる遊びであることは、自分でもよくわかっている。なんといっても私の場合、ほぼ一月分の収入をわずか十二時間で散財してしまうことになるのだから、分際を越えた無駄遣いだとも言える。

それに、少年買い、少女買いについては批判も多い。痛ましい事件もあった。去年一年間で客に殺された少年が一人、少女が二人。しかし、海や山の事故で死ぬ若者のほうがずっと多い。自殺する若者はさらに多い。そして、この制度が導入されて以来、自殺する若者の数が急減したことは、政府の統計によっても示されている。

大きな社会問題となった大学生の貧困――その解決のための施策の一つとして、政府がこの少年買い、少女買いの制度を導入したことには一定の効果があった、と言えるのではないか。

店は思ったよりも混んでいて、ずいぶん待たされた。ようやく入ることのできた応接間では、店主と数名のマネージャーが待ちかまえていた。

「これはこれは……お久しぶりでございます。前回はたしか、十月でしたかな。あの読書好きな子とお遊びいただきまして……とても喜んでおりましたよ。よいお客様とお会いすることができて、うれしかった、と。はい。そう申しておりました」

店主は四十歳ほど。揉み手が実に自然で、まことに見事なものである。

「うん。できれば、今日もあの子を買いたいんだけど」

「あっ。その言い方は、どうも、ね……」

「そうだったね。じゃあ、ちゃんと言おう。今日も、あの子と遊びたいんです」

この店で売る、買うといった語は禁句である。

「それがお客様。あの子は先月、めでたく定年ということになりましたので」

「そうか。もう二十歳になったのか。目標額は、ちゃんと稼げたのかなあ」

この仕事ができるのは、二十歳の誕生日まで。だから、彼らのここでの定年は二十歳ということになる。それを過ぎたら、大学生の本分である学業に励みなさい、というのが政府の立てた方針なのだ。

「おかげさまで、目標の倍近く稼げたと喜んでおりました。これで安心して大学に通える、と。なんとも真面目な子でしたからねえ。とにかくお客様と交流していただいて以来、ぐっと人気者になりまして」

店主は、立て板に水と言葉を継いでいく。

「そう言えば、あの子の前に、お客様が交流なさった子。あの子も同じでしたなあ。お客様に遊んでいただいてから人気が出ましてね。……ちょっと明るくなって、笑顔がかわいくなりました。あの子も、ずいぶん稼ぎましたねえ。お客様、あなたはきっと、なにか秘訣をお持ちなんですな、あの子たちのやる気をぐっと引き出す秘密を」

これも世辞だ、気をつけろよ、と思いながら私は――

「じゃあ、新しい子を紹介してもらおうかな」

「やっぱり、あれですか……小説なんかをたくさん知っている子が、よろしいんですね」

「そう。やっぱり文学少年がいいね」

「では、少々お待ちくださいませ」

と言って、店主はマネージャーとひそひそ相談し始めた。一分ほどすると――

「文学少女なら、今、一人、とてもいい子がいるそうです」

「ああ……いや。少女はやめとこう」

「いけませんか」

「なんだか、こっちが気を使いすぎちゃってね。楽しめないんだね」

再び、店主とマネージャーたちのひそひそ話。挙句、こんな返事を聞かされた。

「申し訳ございません、お客様。条件に合う子は今、みんな出払っておりまして」

「売り切れってわけだ」

「それは禁句で」

「そうでした。じゃあ、さて、どうしようか」

「それでですね、お客様。文学少年とは少しちがうようなんですが……なんだか難しい本を読んでいる子が、一人います。新人でして。まだ一年生で、十九歳になったばかりです」

「難しい本って、どんな?」

「はあ。なにか、哲学書っていうんですかね」

「哲学少年か。めずらしいね。お客さんは、たくさん付いてるの?」

「先月から勤めていますから、まあそれなりに。これまで五人ほどですか。うち三人が女性です」

「顔を見てみよう」

マネージャーが店の奥に入り、一人の少年を連れてきた。黒っぽい、きちんとした服装をしている。

少年は、私の腰かけているソファの脇にひざまずいた。この部屋の中では、許可がない限り、少年や少女は決して椅子にかけるということはしない。

わずかにうつむいて、唇を固く引き締めている。その繊細な顔立ちは私の好みに合っていた。

「決めた。この子にします」

午前十一時五分。これから十二時間、この子は私のものだ。

車の中で、私は少年にあらかじめ呑みこんでおいてほしいことを、一通り言って聞かせた。つまりは、私が独身で、見た通りの老いぼれで、そしてなにより極貧というほどではないが立派な貧乏人である、といったことをである。

「だから、途中で外食はしない。食事は家に作ってある。家といっても賃貸のアパート。規約は全て守るつもりだから、君に飲酒を勧めたりはしないし、性行為を強要したりもしない。そもそも私には同性愛的な指向は、たぶんないし……」

「たぶん?」

――と、それまで黙って聞いていた少年が、初めてぽつりと問いかけた。運転しながらちらりと視線をやると、まっすぐにこちらを見つめている。

「ご自分で、はっきりおわかりにならないんですか?」

「うん。同性同士の性的な行為をだね……やってみれば、やれないこともなさそうだと思うんだ。今まで機会がなかっただけで」

「そうですか」

「変に思うかね?」

「いいえ。お客様は正確な自己認識を心がけている人だと感じました」

正確な自己認識? やはりこれまでの少年とは、使う言葉が少しばかりちがうようだ。

「それから、私の家に入ったら、君はまたひざまずかなくてはいけない。食事も、私はテーブルでとるけど、君は床に食器を並べて食べてもらう。いいね?」

「はい」

「食事が終わったら、私の相手をする。もちろん、床にひざまずいたままでね。大丈夫かな?」

「大丈夫です」

「最後にもう一つ」

「はい」

「家に入ったら、私は君に首輪を嵌め、鎖でつなごうと思ってる。かまわないかい? もちろん規約には反していない。それはわかるよね。でも、君がどうしてもいやだと言うのなら、キャンセルということにしても……」

「かまいません」

と、きっぱりと少年は答えた。

その答え方は少しばかり、きっぱりしすぎているように感じられた。この子は少し鈍感なのではないかと、微かな不安が胸をよぎる。鈍感な子は、好みではない。

幸いなことに、その不安は家に帰り着くと、すぐに払拭された。

床にひざまずかせ、首輪と鎖をつけてやったとき、私は片手の先で少年の肩にそっと触れた。かわいそうなくらい、身体がこわばっていた。微かに震えてもいる。顔をのぞきこんでみると、かたく結ばれていた唇が、ふいに開いた。

「ごめんなさい」

「なぜ、謝る?」

「お客様のご指示を、喜んで受け入れられていないからです」

「だからこそ、いいんだよ」

と、私はやさしく言ってやった。

「私は、君のいやがることをしたいんだから。すごく意地悪な気分なんだ。だから、無理に喜ぼうなんてことは、しないほうがいい。といって、無理にいやがるのも、感心しないけれどね。できるだけ、君自身の気持ちのままでいてほしいんだ」

「じゃあ、いやな顔を見せてもいいんですか、お客様には」

「そう」

以前買った少年にも、同じようなことを言ってやったことがある。すると、その子はものすごい膨れっ面をして見せたので、私は思わず吹き出してしまったのだが、この少年はそんなことはしなかった。静かにひざまずき、透明な表情のまま私の顔を見上げている。首には真っ赤な革の首輪。そして鈍く光る鎖。

粗末な食事を終えたあと、人には言えないようなやり方でしばらく遊び、それから私たちは仕事部屋へと移動した。少年は少し驚いた声で言った。

「画家だったんですね」

「イラストレーター。問題集や参考書の挿絵なんかを描いてるんだ。いくらにもならないよ。でも、定年がないのが利点かな」

だが、危うい面もある。貯金はほとんどない。いつまで仕事が取れるか、仕事が取れなくなったらどうなるのか。考えても仕方がないので、考えないようにしている。少年買いをやめてこれから十年倹約すれば、少しは金が貯まるのかもしれない。だが、そんな小金を貯めたところで、収入がなくなれば三年とは持つまい。では、どうするか。政府に頼るか。だが、貧困学生対策として人身売買のような制度を推奨する政府にいったい……おっと、危ない。これは禁句。

もっとも、私がこれから少年と語り合いたいのは、今、頭の中で口が滑りそうになった、まさにそのあたりのことなのだ。

「君は、売春について、どう思う?」と、私は少年に話しかけた。

少年は、私の足元にひざまずいて、やはり静かに私の顔を見上げている。二つの目は、きれいなアーモンドの形。ほんの少し目尻が上がっていて、りりしい。

私は、この目に涙をいっぱいに溢れさせてみたいと思っている。

「性的な行為や接触は全て、規約によって禁じられていますよ」と、少年は答えた。

「君に売春させようという意味じゃないよ。ただ、売春というものについて、どう考えているか、君の考えを聞きたいんだ」

「そうですね。長々と話をしてもいいんですか」

「もちろんさ。私は、君がさっきからあまり話をしないので、少し悲しくなってたんだ。好きなだけ話していいよ」

「では、ぼくの意見を言います。まず、売春は非常に古くからあるものですね。古代ギリシャのクセノフォンが書いた『ソクラテスの思い出』の中に、ソクラテスが高級娼婦と対話をする話が載っています。ですから、第一に、売春は非常に伝統のあるものだと言えます」

「おもしろいね。そんなに昔から娼婦が存在したわけだ。では、売春というのは古くからある立派な職業だというのが、君の考えということでいいのかな」

実はこの少年の答えは、私の想定しているいくつかの答えの中の一つにすぎなかった。この商売をする少年は(そして少女も)皆、政府の検定にパスしているから、その優れた知性は保証されている。そうした知性の持ち主たちにとって、自分たちの存在が売春婦と相似形であることに気づかずにいるということは、ほとんどあり得ないことだ。

だから、彼らは、売春は別に特別なものではないと主張するか、あるいは売春と自分たちの商売は相似形ではあるけれども、ある一点で決定的にちがっていると主張するしかない。

だが、それを貫き通すことは難しい。首輪を嵌められ、鎖につながれて、床にひざまずいて――自身のその惨めな姿勢を、この選ばれた存在である少年たちは無視することができないからだ。

少なくとも、私がこれまで買った数人の「文学少年」たちは、皆そうだった。彼らは、こうした自意識の問題については非常に敏感だ。もっとも、全員が涙をぽろぽろとこぼすというわけでない。たしか、前の前に買った子は、不意に詩想を得たのか、『売春婦A子の冒険』という、コミカルなお話を即興で語ってくれた。そのお話では、なんとA子率いる売春婦軍団がハニートラップによって米中戦争を阻止し、世界を救うというのである。私は笑いながらその話を聞いていたが、ラストはその世界の救世主である売春婦たちが、人々から嘲られ、卑しまれながら、一人、また一人、貧窮の中で死んでいくという哀切なものだった。その少年は微笑しながら、ほんのりと赤い目をしていた。

そんなことを思い出しながら、私は言葉を継いだ。

「売春は、恥じるところのない立派な行為だ。君の意見は、それでいいんだね」

「必ずしもそうではありません」と、少年は答えた。

「なぜ?」

「理由はいくらもあります。たとえば、現代のこの国では、売春は法で規制されている犯罪だから、社会的に立派な職業だとは認知されていない。これでどうでしょう?」

「わかった。売春は法で禁じられている。しかし、君たちの仕事は禁じられていない、それどころか政府によって推奨すらされている。そこに決定的なちがいがあるというわけだね」

「いいえ、必ずしもそうではありません」

「なんだか君の話は、必ずしもそうではない、というのが多いなあ」

私は少し苛立って言った。やっぱり哲学少年というのは、文学少年とはちがうようだ。

「ごめんなさい。もう少し話していいですか。それから、お客様に質問しても……」

「うん。どんどん訊いてくれよ」

「お客様が売春の話を始められたとき、これは、ぼくらの仕事が売春に似ているということを指摘なさりたいんだなと、ぼくはそう考えました。この考えは当たってますか」

「見破られてしまった。悔しいな」

「実は、このあいだ女性のお客様に遊んでいただいたとき、お前なんか売春婦より汚い存在じゃないかって叱られたんです」

「お気の毒さま」

「なんでもありません。その方は、ぼくに腹をお立てになったみたいでした。いくらお金を使っても思い通りにならないって。でも、規約に反することはできませんからね」

「それはね、裏で規約違反している子がいるんだよ。そんな子を一度買ってしまうと、どの子も同じように、金でどうにかなると思ってしまうんだ。私のような貧乏人には、そんな野心が湧きようもないから、その点だけは安心していいよ」

少年は、分別くさい顔でうなずいた。ここは社交辞令でも笑うところだぞ、と教えてやろうかと思う。が、それでにっこりされてもつまらないので、やめておいた。

「ある意味では、その女性のおっしゃることにも一理ある、と思ったんです。なぜって、売春をする人は、報酬を受け取る代わりに、性的な快楽を相手に与えているわけですね。これは、明らかにぼくらよりは重労働です。ぼくらはたいていの場合、より少ない労力で、より多くの報酬を得ている。これは怠惰で卑しいことかもしれません」

「それで……私が、なるほどそのとおりだと言ったら、君はまた、必ずしもそうではありませんって、返事をするんだろう」

少年は、やはり笑わない。

「そうなんです。なぜって、仕事の価値を、その肉体的あるいは精神的な負担だけで計ることはできないからです。ところで、叱られるのは怖いので大急ぎで質問しますが、お客様が聞きたいのは、売春やぼくらの仕事が、社会的にどう思われてきたか、という点についてのぼくの考えですか。これを仮にAとしましょう。それとも、売春やぼくらの仕事について、ぼく自身がどう考えているか、ということですか。これをBとします。お客様がぼくの口から言わせたいのは、AとB、どちらの問題に対する考えですか」

「Bだよ」

「だとすれば、ぼくの答えはこうです。実は、わかりません」

「それはなんだか、無責任じゃないか」

「でも、わからない問題の前では、立ち止まらなければいけないと思うのです」

「君の勉強している哲学という奴では、そういうことになってるのかね」

「バートランド・ラッセルという哲学者は、そんなふうに言っています。けれども、ヤスパースという哲学者は、反対のことを言っています。たとえわからなくても、自分自身を賭けて跳躍しなければならない……と、たしかそんなふうな説でした。ですから、今のお客様のご質問に対しては、やはり……」

「必ずしもそうとは言えない」

「その通りです」

なんだか漫才みたいな会話になっていると思うのだが、哲学少年はにこりともしない。相変わらず生真面目な顔で、上目遣いにこちらを見上げている。その顔が妙に憎らしく、そのくせかわいい。

「でも、わからないなりに、なにか考えていることはないのかね」

「それはもう、バカバカしいことを、いろいろと考えていますよ。聞かれますか」

「ぜひ」

「では、お話しします。でも、つまらないなと思ったら、すぐにそうおっしゃってください。それから、これはもちろんぼくの未熟な考えにすぎないことは、自分でもわかっていますから、笑わないでください」

「了解した」

「売春については、まずこんな風に言うことができます。売春は、おそらく歴史上のどんな社会にも存在していた。ということは、それは社会が必要としていたからである。したがって、売春は排除すべきではない。これをA説としましょう」

「いいね。続けて」

「はい。次にこんなふうにも言えます。多くの社会で、売春が汚らわしいものとして排除されがちなのは、それが結婚制度の破壊へとつながるものだからである。結婚制度は社会の根幹であるが、売春が横行すると、これを揺るがす可能性がある。よって、売春は社会から排斥されねばならない。これをB説としましょう」

「これも一理あるね」

「ところで、このA説もB説も、社会の存在自体に価値があることを、前提としています。社会が必要とするから価値あるものだ、というA説は、社会の存在自体が無価値であるとすれば、成り立たなくなります。B説も同じです。社会を破壊する面があるからよろしくないというのは、社会自体に何の価値もなければ、成り立たない議論です。つまり、どちらの説も、社会の存続は大切だという点においては同じなのですね。けれども社会の存続に、なぜ価値があるとわかるのでしょう。ここでさらに視野を広くしてみるのもいいですね。人間の社会どころか、この宇宙全体、世界全体の存在に価値があると、だれが保証してくれるのでしょうか。もし、そんなものを保証してくれる者がいるとすれば、それは神と呼ばれる存在だけでしょう。もちろんこの神というのは、別の呼び方をしてもよくて……絶対者とか、超越者とか……とにかくそういった世界全体を支えるものを設定してなくてはならなくなります。しかし、ぼくにそんな信仰はありません」

「これはまた、話が大きくなっちゃったね」

「ごめんなさい。でも、そこのところがはっきりしないと、社会に役立つとか社会に害をなすとか言っても仕方がないと、ぼくは思うんです。ぼく、よく思うんですけど……」

なんだか急に、少年の声が子どもっぽくなった。

「自分はこんなに長いあいだ仕事をしてきて、こんなに社会に貢献をした。それが自分の誇りだ、存在価値だ、みたいなことを言う人がいますよね。能天気でうらやましいなあ、と思います。満ち足りていて、自信があって、そのくせ実は、なあんにも考えていない。うらやましいです、本当に」

言葉だけを聞くと棘があるようだが、顔を見ていると、真からうらやましそうな、どこか切なげな表情にも見えた。思えば、この子の顔にこんなにはっきりと表情が浮かんだのは、今日これが初めてかもしれない。だが、それはすぐに消えて、少年の顔はまた端正な、そして生真面目なものにもどった。

しばらく黙ったあと、私は言った。

「そこの椅子にお座り」

「いいんですか」

「私を楽しませてくれた子には、椅子を使うのを許してあげることにしてるんだ。これまでの子も、結局はみんな椅子に座れたけど、君が一番早かったよ」

10

それから私は、少年の上半身を裸にして(これは規約で禁じられていない)、その半身像をざっと描いた。できたスケッチは、少年に記念として与えた。時間が来たので、例のボロ車で店まで送ってやる。

国道を走っていると、ほぼ正面に三日月が見えた。なんだか、妙に赤く見える月だった。

「変わった色の月だなあ」と、私が言うと――

「あの……お客様?」

「ん?」

「お客様は、ちっとも威張りませんね」

「そうか? 君に首輪をつけて、引きずり回したじゃないか」

「あれは威張るのとはちがいます。世の中には威張る人が多くて。お客様は、どうして威張らないんですか?」

「本当は威張りたいけど、我慢してたんだ」

「どうしてです?」

「昔、威張りちらしたあとに、死ぬほど後悔したことがあるから」

私がそう言うと、ふふ……と笑う声が聞こえた。初めてだった。

「笑ったな」

「ごめんなさい」

しばらくして、少年がまたぽつりと言った。

「お店に帰る前に、ハグしてくれますか」

私は、店の正面玄関の前で、少年を抱きしめてやった。親愛の情を示すハグは規約違反ではないので、誰に見られてもかまわない。

私の腕の中で、少年はまた、ふふ……と笑い声をあげたようだった。

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◆おまけ 一言後書き◆

学生のころ、別の筆名で『赤い月の晩に』という作品を書きました。「文学少年を買ったが、すぐに死んでしまった」という内容の話で、同人誌に発表しましたが、その雑誌が今は見つかりません。これはその作品に対する、歌で言えばアンサー・ソングのようなつもりで書いたものです。

2019年1月15日

プロフィール

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2019/01/28)

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