【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第53話 肋骨の話
人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第53回目は「肋骨の話」。2月の終わりに同じベッドで古い布団にくるまりながら、お互いの体温で温め合う男女。「女は男の肋骨から作られた」という西洋の神話の話をする男と女だったが、夏の初めに女が突然いなくなってしまい……?
◆一言前書き◆
「どえむ探偵」の新作は難航中なので、今回は別のタイプのお話をお届けすることにいたしました。悪しからずご了承くださいますように。
1
もうずいぶん昔のこと。ゴミゴミした街の、みすぼらしいアパートの一室に、男と女が暮らしておりました。
二人はどちらも、まだひどく若かったのです。
二月の終わり。まだとても寒いのです。二人は同じベッドの上、古い布団にくるまれて、お互いの体温で温め合っているのでした。
「知ってるか」と、男が言うのです。
「女は、男の肋骨から、作られたんだってさ」
「バカバカしい」
「お話だよ。西洋の昔話さ」と、男は続けます。
「まず神様が、泥団子かなんかをこねて、男を一人作ったんだ。でも、男一人だけじゃさみしかろうって、神様は、男が寝ているあいだに肋骨を一本抜き取って、それで女を作ってやったのさ」
少し黙ってから、またぽつりと言うのです。
「変だと思わないか?」
「別に」と、女は眠そうな声で答えました。
「男が威張りたいから、そんな話をでっちあげたんじゃない? 男が先で、女があと。男って、本当に威張る奴が多いからね」
「威張る女だっているじゃないか」
「まあね。でも、男のほうがずっと多いよ。なんだろうね? あの連中って。見てるとおかしくなっちゃう」
「俺も、お前に威張ってみたいよ」
女は、「んふ」と短く笑いました。そんなふうに、喉の奥で笑う女だったのです。
「あんたには無理ねえ。あんたはいきり立ったり、調子に乗ったりはできるけど、威張ることはできないよ。才能がないのね、きっと」
2
「あたしはねえ」と、女は続けて言うのです。
「あんたに、噛みつきたい」
「ときどき噛みつくじゃないか、キイキイ言って」
「そういう噛みつく、じゃないよ。たとえじゃなくって、本当に噛みついてみたいの。あんたの肩のちょっと下あたり、かな? 歯型をつけてやりたい」
男は、きっぱりと答えました。
「やなこった」
3
「男が先で、女があとっていう話は、それでいいや。でも、俺が変だというのは、そのことじゃないんだ」
男はまた、ぼそぼそと言葉を継ぐのです。
「肋骨のことなんだよ。どうして、肋骨なんだろう」
「そんなこと、知らない」
「心臓を半分にしてさ、それで女を作ったっていいじゃないか。どうして肋骨なんだ?」
「あんたはバカなんだからさ、そんなこと考えないほうがいいよ」
男は長いため息をつきました。そして言うのでした。
「ああ、早く春にならないかなあ」
4
やがて、待っていた春が訪れました。それから、梅雨時にはじとじとと雨が続き、その次は夏。青い空。風。白い雲。
その夏の初めに、女が突然いなくなってしまったのです。
親の住む家に戻ったとか、友達の部屋を渡り歩いていたとか――そんな噂が聞こえてきました。しばらくのあいだは、男も女を連れ戻そうと、あちこち駆けずり回ったりしたのです。でも、女は戻ってきませんでした。
どうしていなくなったのだろう。一度くらい、腕に噛みつかせてやったほうが、よかったのか。
そんなことまで、男は考えたりしたのです
でも、そのうちに面倒くさくなってしまいました。ただ、なんとなく妙な気持ちがするのでした。どこか具合が悪いような、でも、突き詰めてみるとなんでもないような、変に中途半端な気持ちがするのでした。
5
夏が終わり、秋になりました。そしてまた、冬がやってきました。
その冬が終わりかけたころ、ふいと女が戻ってきたのです。
「帰ってきたのか」
「ただいま」と、にこりともせずに、女は言いました。
6
二月の終わり。やっぱり二人は、同じベッドの上、古い布団にくるまれて、お互いの体温で温め合っているのでした。
「俺はねえ」と、男は言いました。
「やっとわかったよ」
「なにが?」
「あの話さ。どうして神様が、男の肋骨から、女を作ったのかっていう……」
「どうでもいい」と、女は答えました。
しかし、男はかまわずに話を続けるのです。
「おまえがいないあいだ、俺はずっと、変な気持ちだった。考えてみれば、あれは肋骨が一本、足りないような気持ちだったんだ。それが、今わかった。だから、あの話はさ……」
ひどくきっぱりとした口調でした。
「あの話は、女に逃げられた男が作ったんだ。そうに決まってる」
「あんたは、相変わらずバカなのねえ」
女は「んふ」と喉の奥で笑いました。「んふ、んふ、んふ……」と笑いました。
男は長いため息をつきました。そして言いました。
「ああ、早く春にならないかなあ」
◆おまけ 一言後書き◆
原稿がどこに行ったかわからないのでお見せできないのですが、昔、同じように肋骨をネタにして、「春の終わりの物語」というのを別名義で書いて発表したことがあります。ひょっとしたらご存じのかたも、二、三人はいらっしゃるかもしれません。この話は、その姉妹篇のつもりで書きました。
2023年2月13日
美咲凌介(みさきりょうすけ)
1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。
初出:P+D MAGAZINE(2023/02/20)