「推してけ! 推してけ!」第49回 ◆『ウバステ』(真梨幸子・著)
評者=久坂部 羊
(作家、医師)
真にためになる小説
真梨幸子さんの新作『ウバステ』は、ふつうのイヤミス度は低いけれど、迫り来る「老い」や「死」というイヤな現実を描いていて、私などは読んでいて快感を覚えた。
登場するのはいずれも還暦すぎの女性たち。あるドラマの原作者、脚本家、プロデューサー、出演女優、監督の妻の5人で、離婚していたり、夫と死別していたり、相続でもめていたりと、それぞれにワケありだ。
還暦すぎといっても、会話は「やだ」「だって、だって」「うっそー」などかつてのキャピキャピ(死語?)調で、その若々しい口ぶりで語られるのが、年金、相続、延命治療にお墓問題、そして最期の迎え方という深刻でリアルな話題だ。
ある女性は、住み慣れた家で最期を迎えたいという親の希望を、「年寄りのわがままだと思う」「こっちの人生までめちゃくちゃになる!」と切り捨てる。アンタ、自分の行く末は考えてるのとツッコミたくなるが、過酷な介護を経験した人は、共感するのかもしれない。
5人のうち1人が原因のはっきりしない死に方をして、残る4人が自らの最期の迎え方を考えざるを得なくなる。当然、答えは簡単に出ず、互いの関係や親族との確執、亡くなった親への悔悟などが入り乱れ、物語はいっこうにスッキリせずに進む。しかし、それこそが現実で、逆にスッキリすれば小説は単なる予定調和になってしまう。
彼女たちはいわゆるギョーカイ人で、一定、クリエイティブな生活を送ってきたが、栄華はいつまでも続かない。老化による衰えや病気、介護不安や孤独死の心配など、イヤな現実が迫ってくる。そこでだれもが考えるのは、どうすれば望ましい最期を迎えられるかということだろう。
4人もあれこれ話し合うが、「私だったら、孤独死を選ぶ」「お墓なんて百年もすれば忘れ去られる」「自殺できるうちが、花よね」など、自棄とも虚無ともつかない発言が飛び出し、〝正解〟にたどり着けない。抗がん剤治療を受ける女性には、「そんなの、医者を太らせるだけの行為よ」「無駄な治療をして無駄な薬を処方しているだけだって」と、医者としては耳の痛いセリフも出る。
タイトルの『ウバステ』は、高級老人ホーム「ユートピア逗子」に附属する別館のことで、ここに入れられると坊主頭にされ、作務衣を着させられる。女性たちはそれを嫌悪するが、「ウバステ」の入居者は、「本当に楽なのよ」「歳をとればわかるわ。抗うのに疲れちゃって」と老いを受け入れていたりする。私などはこれぞ楽な老い方と膝を打つが、世の中にはいつまでも元気で若々しくという〝呪い〟にかかっている人も多いから、簡単には受け入れられないだろう。
望ましい最期を迎えるために「終活ノート」に頼る人もいるだろうが、死の実際を知らずに準備をしても役には立たない。たとえば、「無駄な延命治療は拒否」と書いても、そもそも医者ははじめから無駄な延命治療はしない。助かる見込みがあるから治療するのだ。それが助からない場合、「悲惨な延命治療」になる。だから、それだけは避けたいというのであれば、助かる見込みがあっても病院に行ってはいけない。少しでも助かる見込みがあれば治療を受けたいというのなら、悲惨な延命治療になるリスクを受け入れなければならない。多くの人は、悲惨な延命治療はイヤ、助かる見込みがあれば治療を受けたいと思っているが、それは無理な注文で、患者が助かるか否かは医者もやってみなければわからないのがほんとうのところだ。
そういう厳しい現実を踏まえなければ、せっかくしたためた終活ノートも役立たずになる。本書には作者による〝ブラックな終活ノート〟の特別付録があるらしいので、それなら支えになるかもしれない。
私が日ごろ敬愛する漫画家の水木しげる先生はこう言っている。
──これまで人生をうまく整理して死んだ人はいない。
つまり、どれだけ準備をしても同じということ。であれば、何もしないのが手間が省けていいのかもしれない。ただしその場合は、最後に「しまった」と思うリスクは受け入れなければならないけれど。
『ウバステ』は、そんな悩ましいことを考えさせてくれる真にためになる小説である。
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『ウバステ』
著/真梨幸子
久坂部 羊(くさかべ・よう)
1955年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。国内の医療機関にて、麻酔科医・外科医として勤務したのち、在外公館にて医務官を務める。2003年『廃用身』で作家デビュー。『悪医』『院長選挙』など著書多数。小説以外に『人はどう老いるのか』などの新書も多数執筆。