☆スペシャル対談☆ 角田光代 × 西加奈子 [字のないはがき]と向きあうということ。vol. 3
vol.3 どこにいる?
司会
ここからは、『字のないはがき』の絵も見ながらお話ししていただきたいと思うんですけど、角田さんが、西さんの絵で特にぐっときたページとか、お気に入りのページはありますか?(クレヨンハウス東京店の会場スクリーンに作中の絵が映し出される)
角田
どの絵も素敵なんですけど、わたし、いちばんクライマックスの絵がすごい力強さで、びっくりしましたね。西さんから制作のエピソードも聞いて、さらに印象深く胸にのこっています。
西
これは、わたしの夫に、子どもに抱きついてもらったんです。子どもは、当時まだ1歳とかだったんで、作中の和子さんと年齢はちがうんですけど、夫にちょっとそこで抱きついてくれー、って言って、その足を描いたんです。角田さんにもお伝えしたんやけど、夫と子どもの足を見て、抱きしめてるほうが強いわけじゃなくて、抱きしめられてるほうが強いってことがあるんやな、と思いました。守られるべきは子どもなんやけど、なんかもう、圧倒的に強い。
それもあって、ほかのページは、けっこう色を混ぜて描いてるんですけど、妹さんは色を混ぜないようにしました。表紙のたんぽぽも妹さんのイメージで、きいろい花のところも混ぜないようにしたりとか。個人的な意見なんですけど、色って、混ぜるとなんかちょっと寂しなる。今回それを特に感じましたね。
司会
玄関のようすだけで、家族の変化を描かれるのは、最初から構想としておありだったんですか? 特にこれは、原作エッセイにも、角田さんの文章にも書かれていない部分なので、〝指定されてる絵〟ではないと思うんですけど……。
西
まず、ぜったい人は出さない、と決めてたのと、あとは、どっちが先か、玄関が先だったかはわからないんですけど、最後にやっぱりお父さんが裸足で走っていった場面が、わたしはこのエッセイでも、絵本の文章のなかでも、心にのこっていて、それを表したかったんですよ。お父さんが下駄を蹴散らして、かぼちゃを蹴散らして、走っていったことを、それで表したいなぁ、っていうのがありました。
角田
(スクリーンに映る絵をじっと見つめる)
西
あと、戦争中と終戦後、おなじ構図の絵があります。これは家のシルエットを変えてないんです。もちろん、角田さんの文章が「家が燃えた」っていう表現やったら、家のシルエットは変えるべきなんですけど、この家のなかでひとが暮らしてるっていうことは、変わらないのね、と考えて描いたのをおぼえてます。
戦争って、町のなかで起こるっていうよりは、〝空から降ってくる〟ようなことなんじゃないかなって思ってて、そこに真っ赤な空と真っ青な空を描きました。わたしは戦禍を知らないですし、終戦の空のことも知らないです。でも、和子さんがこの絵を見たときに、「戦争中は空が真っ赤だった」「戦争が終わったとき空が青かった」とおっしゃってくださって、うれしかったし、肩の荷が下りました。
司会
角田さんは、この絵をご覧になったときの印象っていかがですか?
角田
さっきも言いましたけど、ひじょうに〝強い〟絵で、ほんとうに西さんにしか描けない絵だな、と思います。わたしが不思議だったのは、絵を見たあとの印象が、西さんの書く文章を読んだあとの感じとそっくりで、絵と文章と、ぜんぜん表現がちがうはずなのに、西さんていう表現者が表現すると、ほんとうにおなじものが出てくるんだなぁと思って、……絵が描けるっていいなぁ。
西
角田さんの絵も、わたし好きですよ。
角田
描きませんよ! わたし。
西
こないだ、描いてはったやん!! めっちゃ、嘘ついてる(笑)。
角田
うーん。
西
角田さんの絵はめっちゃ〝角田さんの絵〟ですよね。あれなんなんだろう?
角田
……いや、西さんの絵は素晴らしいですね。
西
それ思ったら、邦子さんて、どんな絵を描かれるんでしょうね。
(会場にいらしていた向田和子さんからお返事をいただき)えっ、下手なんですか? へぇ、意外ですね。脚本とかにも、なにか描かれたりしたんかなぁと思ってんけど。絵を自分は描くから、たとえば作家で、このひとが絵を描いたら、どんな絵を描くんやろうとか想像しちゃうときがあります。
それでおもしろいのが、本の装丁って毎回ちがうねんけど、やっぱりつながってる。そのひとのイメージにすごい合ってるんですよね。
角田
へぇー。
西
だから、装丁家さんすごいなって思うのは、作家の友だちとも喋っててんけど、たとえば、本の作家名とタイトル隠して、こう2つぐらい置いて、そこに作家さん5人くらい並んだら、みんな当てれるんちゃう、ていうぐらい、わたしのなかではイメージどおりですね。
角田
西さんて、小説を読んでるときも、絵が浮かんだりするんですか? 映像でも、絵でもいいんですけど、言葉以外のものが。