週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.164 紀伊國屋書店新宿本店 竹田勇生さん

目利き書店員のブックガイド 今週の担当 紀伊國屋書店新宿本店 竹田勇生さん

『さくらのまち』書影

『さくらのまち』
三秋 縋
実業之日本社

 あなたにはわからない、きっと。

 最後の1行を読み終えたとき、私はこの物語の主人公である尾上という存在へのシンパシーを誰にも明け渡すまいと固く誓った。誰かが尾上について語ることを心底嫌悪したし、もしそんな状況に出くわそうものなら、自分でも信じられないくらいの暴言の限りを尽くして、罵倒するに違いない。尾上がいまどんな表情で、どんな目をして、たばこの煙を吐いているのか、それは私だけが知っていることなのだ。

 こんな思いが独りよがりの妄執だといくら自分に言い聞かせようとも、物語は私の日常を侵食し続ける。

 誰もが知っている、小説の魔力だ。

 それが真実であるか、虚構であるかは問題ではない。

 ただ、この切なさ、苦しさだけは奪われたくはない。

  

 三秋さんの6年ぶりの新刊。6年という歳月が人をどれだけ容易に変えるか、それは最早自明の理だが、語弊を恐れず本作を語るなら、三秋さんは何も変わらず帰ってきた、帰ってきてくれた。そのことをまず喜びたい。

 そして、三秋さんはこの物語において、私が願った結末を何ひとつ用意してはくれなかった。カタルシスと呼ぶにはあまりに心許ない感情を持て余し、私は空を見上げる。

 これが三秋縋だ。

 物語は途中幾つもの分岐点を迎えるが、浅い呼吸と全身が軋むような苦しみから解放されることはついぞなかったし、ずっと読みたかったはずの物語は自分という人間を容易くぼろぼろにする程度の殺傷力は十分に備えていた。冬山に迷い込んだ登山者のように奥歯を震わせる他、私にできることは何もなかった。

 それでも、尾上という人間は絶望を理由に、物語をやめようとはしなかった。

 彼は機械的にハンドルを操作し、ひたすらに状況を整理する。

 いち読者の目から見ても、眼前には諦観と逡巡が亡霊のように飛び交い、尾上の姿がほとんど見えなくなっていたが、何かに抗う意思のゆらめきを静かに見つめながら、世界と対峙している彼が確かにそこにいた。

 孤独と信頼。

 背中合わせの痛みとぬくもりに誰もがおそるおそる手を伸ばす。

 そんな誰かの震える指先をそっと掴んであげたいと思う。

 わかってもらえなくてもいい。

 この物語を誰かに託すことが出来るのなら、それは私にとって至上のよろこびと言えるのかも知れない。

 

あわせて読みたい本

『この気持ちもいつか忘れる』書影

『この気持ちもいつか忘れる』
住野よる
新潮文庫

〝チカの存在。戦争の意味。輪郭という歌。〟
 わからないことはたくさんある。音楽のような断片的な残響が物語としての整合性を放棄するように置かれていて、フィクションにフィクションで抗おうとした意欲作。「この気持ちもいつか忘れる」その普遍的な真理を前に、私たちは何を願うのか。それは住野さんがこれまで描いてきた希望の中で、最も大きく目映いものだと確信している。

 

おすすめの小学館文庫

『こうふく あかの』書影

『こうふく あかの』
西 加奈子
小学館文庫

 本書が単行本で刊行されたのが2008年。この紹介を書くにあたり、読み返したのだが、初読の時より、主人公(39歳)に近い年齢であることが影響しているのか、やたらと刺さった。刺さりまくった。
 私もゲスい秘密は適度にあるにせよ、それなりに誠実に生きてきたつもりではあるが、生きていくということは自分が思っている以上に滑稽だということを大人諸君はよくよく自覚しておくことだ。そして、笑われてなんぼの人生が案外こうふくだったりするのである(実感)。

  

竹田勇生(たけだ・ゆうき)
1980年生まれ。2024年6月より紀伊國屋書店新宿本店仕入課にて勤務。販売プロモーション担当。2023年本屋大賞受賞作、凪良ゆう『汝、星のごとく』紀伊國屋書店特装版を企画。


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