☆スペシャル対談☆ 角田光代 × 西加奈子 [字のないはがき]と向きあうということ。vol. 3
西
うーん。他人の小説ですよね?
はっきり浮かんでないんやけど、なんとなくのイメージはあって、たとえばその小説が映像化されたときに、イメージとちがう、っていうのはまったくなくて、絵はめっちゃ浮かんでんねんけど、ぜんぜん〝そういう感じ〟で見てない。それは自分の小説もそうで、書きながらぼんやりなにかを、字以外のなにかはあるんやけど、じゃあそれはなんですか?って聞かれたら、「絵です」ということでしか言われなくて。
で、いまうちは「中野のライオン」浮かんでるんですけど……。
角田
ああ!
西
これ、どうやって説明すればいいんだろう。「中野のライオン」を見てるっていうより、ここでライオンといっしょに見てる、っていう感覚があるんです。なんでやろ? ライオンといっしょに電車を見てる、ってほうが浮かぶんですよね。
角田
へぇー。
西
だから、そこに角田さんがいるってことだよね。角田さんが見てる、ライオンとわたしを。
角田
うーん。おもしろいですね。
西
なんでやろ、説明できないですけど。
角田
うん。でもそこに、なにかね、大きなヒントが隠されてる気がする。
西
ほんまか(笑)?
角田
どっち側から見てるか、どっち側が浮かぶか、ということと、自分が小説を書くときの見え方とか、からだの向きとかが、目線というのかな、たぶんなんかね、関係してる気がする。ライオンと中央線走ってるの見てるんだぁ、おもしろいなぁ。
西
それで言うと、広角レンズっぽい感じっていうのか、……ちょっとちゃうかな。邦子さんのエッセイを思い出すときって、ぜったい一人称のはずなんですけど、一人称で書いてるって感覚があんまりない。それがさっきも言った「We」なのかな? みんなのこととして書いてるように読める。邦子さんのはその「私性」のなさ、みたいなものが、すごい強いんかなぁ、といま思いました。
どこを見てるか、どの角度から見てるか、というのとはちょっとちがうのかもしれへんけど、「どこに作家がおるか?」問題みたいなので、少なくとも、小説のすぐ後ろにはいない、っていう感じがあります。
角田
あぁ、わかります。
西
わかる? 自分も好きやから、これもう嫌味じゃなくて話しますけど……。
たまに、ぱっとページを開けた瞬間、作家が本のむこうからこうやって(自分の目の前にてのひらをかざし)ぐぅーっと出てくる(そこからグイっと顔をのぞかせる)ぐらいの小説もあるじゃないですか?
角田
あははは(笑)。
西
ほんまぜんぜん嫌いじゃないし、好きなんやけど。あとは、「あ、おらん」と思ってても、「おる!」って、あそこらへんに「おる!」とか(笑)。それが、角田さんと邦子さんだと、もっと沼っぽいというか、奥行ありすぎて、どこの沼かわからへんな、みたいな感覚がありますね。
角田さん、別に意識されてるわけじゃないですよね? おっしゃってましたっけ? 〝自分〟が出ない小説を書こうって。
角田
わたし、書き方を33歳のときに変えたので。できるだけ匿名性の高い文章、だれが書いたかわからないような文章を書こうと決めて、その努力をしてます。
西
それは、なんでですか?