『あなたが殺したのは誰』刊行記念 まさきとしか × 黒木瞳スペシャル対談【前編】

目に見えているものだけが真実ではない

黒木
 まさきさんは一貫して、血縁を描かれている作家だと思っています。特に、母親の子どもへの感情の描写が印象的です。きれいなだけではない、濁っている部分とか、逆にさらさらとしている美しさも、とらえている。「血」の本質を追求なさっているところが、私にはズン! と来るんですよね。

まさき
 自分では特に意識していないのですけれど、血縁を描いていると言われると、そうなんだなと気づかされます。

黒木
 最初にお会いしたとき、まさきさんは『あの君』で、ご自身のお母さまを想像して書かれていると、お聞きしました。そのときに、この方は血縁を見つめている小説家だと思ったんです。人はきれいな心も醜い心も持ち合わせていますが、強くつながる、母と子のような分かちがたい血縁には、より濃くそれが表れてきます。母だからといって子どもを慈しみ、愛するだけではない。その陰影をまさきさんは深く表現されていて、そこに強く共感します。

まさき
 自分としては母親の実像を描こうという気持ちは、実は、そんなになかったんです。いつも描きたいのは、美しさも醜さもあわせ持った人間。その結果、たまたま誰かの母親になっていたという感覚です。私はそういうふうにしか小説を書くことができないんじゃないかと思います。

黒木
 表と裏、相反するものがひとつになっている人間観察の結果が、作品になっているのですね。

まさき
 目に見える面だけを見つめても、人間を描くことはできません。目に見えないところも含めて、人間ですから。

黒木
 そういった人間観は、子どもの頃からお持ちだったのですか?

まさき
 私は割とダイナミックな家庭で育ちました。父親が母親に暴力をふるうような。ゴルフクラブで殴ったこともありましたが、母親は怪我をして病院に行っても、殴られたことを黙っていました。そういうのが当たり前の家庭環境だったんです。

黒木
 大変なDVじゃないですか。

まさき
 ええ。だけどお金はあって、家にはお手伝いさんや運転手もいました。はたから見ればきっと、裕福で幸せな家族だったでしょう。恵まれているような人たちでも内情はひどくて、幸せとは限らない。目に見えているものだけが真実ではないという思考のベースは、小学校低学年の頃に培われました。その頃にはもう自分は結婚しない、子どもをつくらないと決めていたんです。母や母の周りにいる女性たちを見ていて、女性は結婚して子どもを産んだら幸せになれないと思ったんです。

黒木
 けれど小説という形で、素晴らしいお子さんをたくさんお産みになっていますよね。

まさき
 ああ、そうかもしれませんね。

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