不思議をめぐる対談 上橋菜穂子×夏川草介 民俗学と物語(ファンタジー)

t

サンタクロースは信じなくても、 鬼や天狗は信じていた。─夏川

夏川 おばあちゃんがよく言ってたんです。「悪いことをすると鬼が連れ去りに来る」って話を真顔で真剣に。だから僕はサンタクロースを信じなくなっても、鬼だとか天狗みたいなものはいるもんだと強固に思っていました。忘れもしない小学校2年くらいの時、何かの拍子で友達に嘘をついてしまい、たいした嘘ではなかったんですが、鬼が来るんじゃないかって怖くて眠れなかった(笑)。

上橋 そう言えば、うちの父も、子どもの頃、獅子舞が来るのが怖くて、押しいれの奥に隠れていたと言ってました(笑)。この世には怖いものがある、人にはわからないものがあるという感覚ってすごく大切ですよね。人が傲慢になりえないような他者がこの世には多くいるという感覚を幼い頃に得たかどうかで、その後が変わるような気がします。

夏川 まったくそうだと思います。理屈の通る話だけがすべてだと思っている人って、命に対して傲慢になっているように見える瞬間があって、やっぱり、わからないことがあるからこそ、人は生きていることに感謝することができるはずなんです。ところが常にロジックが優先される人たちは「わからないはずがない」と言う。たとえば「おばあちゃんは、いつ逝くかわからないから、今の時間を大切にしてください」と伝えても、そういう人には理解できない。なぜ助からないのか、亡くなるまであと何日持つんだと。それで「1週間くらいですね」と言って、2週間生きたとすると、ありがたいなというんじゃなくて、先生の読みは甘かったなという理屈になっていくんです。当然、神だとか鬼だとかいうものも信じていない。

hana

上橋 この世に理不尽なことはなく、すべては公平だという幻想が蔓延しているような気がします。90歳まで生きる人間がいるなら、自分も当然90歳まで生きられるはずで、そうならないのは食事か何か原因があるからだと思ってしまう。この世は誰にとっても公平な単一のロジックで回っているという幻想があたかも真実のように思われている。私は生まれつき心臓が弱くて、走るとすぐ酸欠状態になるような子どもだったので、人間は不平等だとちっちゃい頃から思っていた。世の中というのはそもそも理不尽なもので、なぜと問うても理由はわからないことが結構あって、わからないまま死んでいくんだと思うんです。

夏川 数年前、胃がんで亡くなった男性が言ったことで衝撃的だったのが「神様がもし俺を生かしたいなら、胃がんになんかしなかったはずだ」と。「だからこれは神様が俺に死ねと言ってるんだ。そうだろ」と言うんです。いや、神様というのはもっと理屈が通らないもののはずで、別に人間をどうこうしたくて見ているわけではないんだと一生懸命伝えようとしたんですが、結局最後まで手術を拒否して怒りの中で亡くなった。だから人と神の関係を描いた『遠野物語』をリアルに感じるのかもしれないですね。

上橋 遠野の神々は、基本的に人の思惑の外に在る、大いなる他者たちですものね。柳田國男も、きっと山で暮らす人たちの心性を知って、自分とはまったく位相の異なる世界があることに心底驚いたんだと思う。あれは夏川さんが出会われた不思議さと同じ、事実としての心象世界なんですよね。だからこそ『遠野物語』のあの有名な序文のせりふ「之を語りて平地人を戦慄せしめよ」が出てきたという気がします。

向こう側の者と行き会う瞬間が 印象的に描かれている。─上橋

上橋 今回の夏川さんのシリーズは、向こう側の他者とふっと行き会う瞬間が一話一話、ものすごく印象的に描かれていますよね。

夏川 「始まりの木」で描いた伊那谷の大柊も、実際にあるんですよ。もうずいぶん前に「いいものがあるから見に行こう」と妻に誘われるまま、見に行ったことがあるんです。

上橋 「旅に出るぞ」のひと声で出掛けるなんて、奥様、主人公の古屋そのまま(笑)。

夏川 その時は別に小説にするつもりもなく出かけたんですが、その家のおじいさんが畑仕事をしながら「俺の家族はみんな、ここにいるんだ」と不思議なことを言い出して。「じゃあ、おじいさんも死んだら、この樹に行くのか」と聞いたら「もちろんだ」と。僕にとってそれは、普通に生活している人から初めて聞いたリアルな『遠野物語』だったという感覚があって。そのわりには樹の下にビールの缶が無造作に捨ててあったりして、神様というより家族のひとりみたいな扱いなのかなと思ったんです。

上橋 なぜかビールの缶が転がってるというのは、私がフィールドワークをしていた時、よく感じたことでした。物語で描こうとするならば、おじいさんはその樹をいかにも大切にしていて、樹の下にはチリひとつないと描いてしまいそうですが、リアルな現実は違う。100%理屈通りでないのが人間の感覚というものなんでしょうね。「同行二人」でふたりが遭遇する不思議もリアルですね。

夏川 子どもの頃、おばあちゃんとよくお大師様の話をしたんですよ。お遍路さんたちって、みんな、当たり前のように「お大師様に会った」と言ってるので、それが千年以上も前に亡くなった空海のことを言ってるとは思わず、てっきりどこかのお寺の偉いお坊さんがお遍路道をうろうろしてるんだと思っていました。

上橋 最終話は東京を舞台にされるとか。

夏川 山深い地方ならそういうこともあるだろうという不思議なことが、都会でも起こりえることを描きたいと思っています。

上橋 それにしても前作の『本を守ろうとする猫の話』といい、今回の古屋といい、夏川さんが描く主人公って結構毒舌ですよね。あれは一体なぜ、ああなんでしょう(笑)。

夏川 さあ、どうしてなのか(苦笑)。たぶん、僕の中にすごく人間を好きな気持ちと本質的には人間嫌いな、悲観的で非常にダークな気持ち、ふたつがあるからじゃないかと。

上橋 それでも偏屈な古屋のそばに千佳ちゃんがいてくれるように、人のダークな部分に他者が寄りそうことがある。他者がいることの大切さ、夏川さんの小説からはそれをすごく感じます。人類学者もそうですが、フィールドワークをやる者には自分以外の他者に出会って行こうとする気持ちが強くあるんですよ。

夏川 若い人たちに講演する機会があると、いい小説とたくさん出会ってくださいということと、もしおじいさんおばあさんがいたら、できるだけ会いに行きなさいという話をするんです。人が年をとり、弱っていって、かわいい孫の顔を見てもわからなくなったり、食べたものを口から吐いたりして、あんなに優しかった人に触りたくないと思う瞬間があるんだということを知っておいた方がいい。人が死ぬ時っていうのは理不尽のかたまりですから。病院とか施設に放り込んで、そういう理屈ではどうにもならない景色にふたをしているのが、今の不健康な社会だと思うんです。

上橋 私もそれを、人の死というものをリアルに体験したときに痛感しました。答えのない「なぜ」を問い続けながら、人は自分なりの物語を生み出してしまうのかもしれませんね。

夏川 医療においても「ナラティヴ・メディスン」と言って、物語が人を治癒する力が注目されていますが、僕は物語の選択肢をいっぱい持っている人は強いと思うんです。ひとつのストーリーが行き詰まっても「いや、まだこの先にこういう展開もある」って人生を立て直せる気がするんですよ。だからこそ僕も物語を描き続けたいと思っています。

taidan




夏川草介(なつかわ・そうすけ)
1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒。長野県で地域医療に従事。2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞してデビュー。同作はシリーズで2度映画化されベストセラーに。他の著書に『神様のカルテ 2』『神様のカルテ 3』『神様のカルテ 0』『本を守ろうとする猫の話』。 

上橋菜穂子(うえはし・なほこ)
東京都生まれ。1989年『精霊の木』で作家デビュー。川村学園女子大学特任教授。オーストラリアの先住民アボリジニを研究。著書に『精霊の守り人』から始まる「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、『獣の奏者』、本屋大賞を受賞した『鹿の王』など。2014年、国際アンデルセン賞受賞。

〈「STORY BOX」2018年7月号掲載〉
湊かなえさん『未来』
人間とAIが共存する愉しい近未来『人工知能革命の真実 シンギュラリティの世界』