川副智子『アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』

川副智子『アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』

人を愛せることはすばらしい


 英語で書かれた原書の冒頭の一段落を読んだだけで、この本はきっとおもしろい、自分の好みの小説だ、と確信することがたまにある。本書はそんな数少ない一作だった。

――ある夏の夜、目が覚めたら世界が変わっていますようにと祈りながら眠りに落ちた。朝になって目を開けても世界はもとのままだった――

 この最初の二行にまずやられ、語り手の胸の内にある正体不明の鬱屈に身をゆだねたいという不思議な感覚に陥った。さらに読み進めると、語り手は十五歳の少年で、時は一九八七年、彼が住んでいるのはメキシコとの国境の町、エルパソだとわかってくる。地元ラジオ局のDJが〈ラ・バンバ〉をかける。一九八七年に大流行したロス・ロボス版のほうだ。この曲は当時、日本のテレビやラジオでもしょっちゅう流れていたから、あの印象的なメロディとフレーズをご記憶の方もいらっしゃるだろう。メキシカンなイメージが一気に広がる。

 著者のベンジャミン・アリーレ・サエンスは自身がゲイであることを公表しており、《タイム》誌のインタビューにこたえてこう語っている。「最初から自分はゲイだと気づいている少年もいる。一方、そうとは知らず、やがてそのことを発見しはじめる少年もいる」

 語り手のアリ(Aristotle)がサエンスのいう後者の少年、もうひとりの主人公ダンテ(Dante)が前者の少年なのは、早い段階で伝わってくる。アリはダンテと出会い、言葉を交わし、互いの家族と交流する過程で、さまざまなことに気づく。そのひとつが自分のセクシュアリティなのだが、アリに寄り添いながらこの本を読む人も、宇宙の大きな秘密のひとつに気づかされる。それは、人が人を愛せるのはすばらしいということだ。

 短い章に会話が占める割合は大きく、アリとダンテの淡々とした、どこまでも続きそうな会話がとにかく素敵で、だれかとこんな会話ができたらと何度も思った。詩人でもあるサエンスがつかう言葉は、贅肉がそぎ落とされ、シンプルにして平易。語彙の種類も、おそらく、わたしがいままで訳出した小説のなかでいちばん少ない。だから、翻訳するにあたって、小細工はするまい、原文が導くままについていこうと心した。結果として、ほとんどストレスなく訳せるというはじめての経験をした。

 いまは、原書刊行時から邦訳を待ち望んでおられた多くの方の期待を裏切っていないようにと祈りつつ、本書がいよいよみなさんの手に届くことにわくわくしている。 

 


川副智子(かわぞえ・ともこ)
早稲田大学文学部卒業。翻訳家。主な訳書にJ・ボールドウィン『ビール・ストリートの恋人たち』、A・クリスティー『名探偵ポアロ ポアロのクリスマス』(以上早川書房)、J・ピコー『SMALL GREAT THINGS 小さくても偉大なこと』(ポプラ社)、M・マシューズ『ナポレオンを咬んだパグ、死を嘆く猫』(原書房)、K・シュラー『ホワイト・フェミニズムを解体する』(明石書店)など。

【好評発売中】

アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する

『アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』
著/ベンジャミン・アリーレ・サエンス 訳/川副智子

採れたて本!【歴史・時代小説#10】
むちゃぶり御免!書店員リレーコラム*第13回