森 詠『川は流れる』

森 詠『川は流れる』

幕末青春物語『川は流れる』


 私が書きたかったのは、幕末の疾風怒涛を、青春一直線、駆け抜ける若き剣士の物語だ。

 山奥の泉の一滴は、小さな流れとなって谷を下る渓流になる。渓流は、いくつもの流れを合わせて川になり、やがて平野を蛇行する大河になる。大河はゆったりと流れ、後戻りすることはない。大河はいつしか果てし無い大海に出る。

 江戸では、ほとんど名も知られていない田舎のわずか1万3千石の黒羽藩にも、幕末の変革の波はひたひたと押し寄せていた。

 封建制度そのままに、旧態依然とした身分制や因習に縛られた黒羽藩は、代々大藩の名家から婿養子を迎え、多額の持参金を糧にして生き延びて来た。

 そんな貧乏藩だったが、城下を流れる那珂川や深い森林に恵まれた大自然の中で、少年たちは伸び伸びと成長して行く。

 下級武士の誠之介少年は、逆境に負げず、恋敵の友や仲間と競うように、学問を学び、剣の修行に励んだ。心の中では、いつか、明日の大海に向かって起つという志を抱いていた。

 そうした誠之介たちの前に現われたのが、新藩主大関増裕だった。大関増裕は実在の人物で、勝海舟の子弟だった英才だ。増裕は横須賀藩で幼いころから、大海を見て育ち、フランス民権思想を学んだ開明派の青年だった。

 増裕は黒羽藩主大関家の娘の婿養子に収まり藩主となるが、幕閣たちは増裕の才能に着目し、幕府要職に就け、幕府海軍や幕府陸軍の創設に当たらせた。増裕は在所に戻っては、大胆な藩政改革を行い、守旧派家老たちを罷免し、富国強兵策を断行した。

 増裕は普段から西洋の洋服を着、当時の西洋人と同じように、妻と一緒に馬を馳せ、江戸市中を駆け巡るような近代人だった。

 誠之介は、増裕に会って人生観や世界観が一変する。増裕がいう自由、平等、博愛の大義に共感した。

 しかし、増裕や誠之介たちの平和は長く続かず、否応もなく幕末の戦乱に巻き込まれていく。

 誠之介は理不尽な戦いに、命を懸けて戦う決意をする。誠之介が己れの命を懸けるのは、友情と義、そして愛。事にあたって後悔せず。

 幕末の疾風怒涛を、青春一直線、誠之介はまっしぐらに駆け抜ける。

(注「事にあたって後悔せず」は宮本武蔵晩年の言葉である)

  


森 詠(もり・えい)
東京生まれ栃木県那須育ち。東京外国語大学卒。日本文藝家協会理事。日本ペンクラブ会員。1982年、『燃える波濤』で第1回日本冒険小説協会大賞、85年、『雨はいつまで降り続く』で第93回直木三十五賞候補、94年、『オサムの朝』で第10回坪田譲治文学賞受賞。主な作品は『振り返れば、風』『ナグネの海峡』『午後の砲声』『夏の旅人』『冬の翼』『日本朝鮮戦争』『那珂川青春記』『日に新たなり』『横浜狼犬』『彷徨う警官』『剣客相談人』など多数。

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著/森 詠

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