乗代雄介〈風はどこから〉第8回

乗代雄介〈風はどこから〉第8回


「川も海も空も行こう」


 6月上旬、晴れた日曜の朝、富山駅。昨日、高岡市美術館の〈高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー〉に行ったところなので、大山のぶ代、ヤング・フレッシュ「ポケットの中に」を聞きながら、駅前北の広い歩道を行く。『のび太の恐竜』のエンディングテーマで、マンガの方ではみんながタケコプターで飛んでいる見開きページにどんと歌詞が載っていた。映画『のび太と鉄人兵団』でも、鏡の世界の無人スーパーマーケットで買い出しをする最高のシーンで流れる。学校を休んだ日、リビングに布団を敷いてもらって、そのシーンをガチャガチャ巻き戻しながらくり返し見ていた。VHSだった。

 北陸ではそれほどないという雲一つない青空の下、大山のぶ代ドラが「ポケットの中にも空がひろがり」と歌い、大人になるまでは一緒に旅をしようと言ってくれる。もう40手前だが自然に受け止められるのは、子供の頃より旅の中にいるせいかもしれない。年齢よりも習慣が人を作るのだ。

 富岩運河環水公園に着いた。富岩運河は神通川から取り込まれ、富山港までを結んでいる。運河沿いのきれいな遊歩道を海に向かって歩いていくと、ボート部の練習や観光用のクルーズ船がたびたび通って面白いが、中島閘門まで来るとさらにおもしろい。

人の動きがおもしろくてしばらく見ていた。
人の動きがおもしろくてしばらく見ていた。

 閘門というのは、水面に高低差のある場所で、水面を昇降させて船を行き来させるための装置のことをいう。閘室とよぶ前後を扉で仕切った水面に一方から船を入れ、通水扉の開閉によって水位を昇降させたあと、逆の一方を開いて船を進める。駅とかにある、出入口のドアが前と後ろ両方についているエレベーターみたいなものだ。

 ちょうどさっきのクルーズ船が戻って来た。通水孔を通ってきた水が湧き出るように水面を波打たせ、閉じ込められた船がじわじわ持ち上げられる。間近で見ていたら、目線の下、船の中にいる男の子が私に手を振っている。振り返したら笑顔になった。隣のお母さんも会釈してくれた。しばらくしてから目をやると、また振っている。振り返す。会釈。前後の席の人達もこのやりとりに注目し始めている感じあり。ずっと続くかもと思いつつ、閘室が水でいっぱいになりそうなので慌てて上流、船の進行方向の扉近くに移動する。扉の向こうとちょうど同じ水位になって、扉がゆっくり開き始める。隔たれていた水面が音もなくつながり、船が前進を始める。振り返れば、下流扉の向こうの水面はもう遥か下である。

 うーん、すごい仕組みだなぁ、と広いところに出た船に目をやると、さっきの男の子が真剣な眼差しで私を見ている。目が合ったとわかるや、慌てて手を振り始めた。完全に忘れていた。泣いているのか笑っているのかわからない必死な表情からすると、ずっとこちらを気にしていたらしい。悪いことをしたと思いつつぎりぎりで手を振ったが、窓の反射の具合で向こうの反応はわからなかった。まあしかし、人生とはそういうものだ。水の上がり下がりが人間のやりとりに優先してしまう場合がある。

 閘門を過ぎると、めっきり人が減る。歩道もなくなったので、隣を流れる神通川へ。他地方の人間だからイタイイタイ病のイメージしかないのが申し訳ないが、こうして萩浦橋から眺めてみれば、当たり前だが普通の川である。

 その左岸を歩くと、風に潮の香りが混じり始める。海がもう近い。カターレ富山の練習場や、その近くの真新しい人工芝のグラウンドで少年サッカーの試合が行われているのを見る。令和元年完成で、Jヴィレッジと同じ仕様らしい。私も子供の頃にサッカーをやっていたが、こんないい環境でやったことはない。うらやましく思いながら、お兄ちゃんやお姉ちゃんの試合を見に来たけど飽きて何人かで遊んでいるさらに小さい子供たちの横を通ると、アリにコーラをあげている。地面にへばりつくようにして観察している。はらがパンパンになっておもしろいんだよな、なつかしい、と思うが、私がこれを盛んにやっていたのは17歳の頃だ。帰宅部の同級生と昼休みにサッカーする前にこぼしておいて、帰りにアリが集まっているのを見るのだ。

多い。
多い。

 こんな20年近く思い出したこともないことが、神通川の河口でサッカーとコーラとアリのセットで蘇るのだから、やっぱりこの世の全てが神様なんじゃないかとスピノザみたいなことを思う。こんな偶然が起きるなんてすごいのではなく、私がこの時間にここに来なくても子供たちはサッカーに飽きてアリにコーラをあげていたということがすごい。私の心を動かす出来事がいくらでも私なしに行われている、ということがこの世の「私」の数だけあるのは意味がわからない。全ての出来事を全ての「私」が全録テレビみたいに確認できたら、誰にとっても意味のない出来事というのはこの世からなくなってしまうだろう。そうなったら、人間はどうやって神の存在を否定するのだろうか。

 そんなことを考えながら北陸電力の火力発電所を回り込むようにして浜に出ると、広い海にまた心が動く。が、向こうから歩いてくる上半身裸のおじさんが私をじっと見てきて思考が鈍る。小さな砂浜だが、まとまった木立に続く小径があるので行ってみることにした。草木に囲われた中は砂の広場のようになっており、サンベッドみたいに少し傾斜のあるツルツルの板とか、いい感じに座れる流木とかが人為的に置いてある。茂みが鳴って振り返ると、メガネをかけた痩せた男性がいて、私の2メートル脇を伏し目がちに通っていった。詳しくは書かないが、こんなところに来るような格好じゃないなと思った時、やっとこの場所が、いわゆるハッテン場であることを理解した。

 こういう歩き方をしているとたまに出くわすから、あせりはしない。その程度の経験でもわかるぐらいにルールやマナーがあるようで、私のようなわかりやすいアウトドアルックをしていると、それと思しき人がいてもすれ違うだけだ。立ち入り禁止の場所に入ったわけではないにしても、普通なら立ち入らない場所として選ばれたここの慣習では私の方がよそ者であるのは間違いがないので、知らない振りして速やかに出て行くのがいい。

 木立を海の方に出ると、さっき私をじっと見ていた上半身裸のおじさんが小径を早足で歩いてくるのが見えた。

 そそくさと離れながら何か曲をとシャッフル再生していたら、小林克也&ナンバーワン・バンド「六本木のベンちゃん」が流れて驚く。ゲイバーで働く人の恋の歌だ。できすぎているようだが、ちょっと変わったことがあるたびに曲を流してみて100回に1回ぐらいこういうことがあって99回は書かないというだけである。私はこういう100回に1回の経験を繰り返すことで、この世界に対する信頼がますます強くなってきた。くよくよするぐらいならもう少しこの世界を知るために何でも試した方がいい。人間にではなく、この世界に向かってしつこく手を振ってみるのだ。

 やっぱり日本海は色がちがうなあ、と思いながら海岸堤防を歩く。長い列をなしたロードバイクに乗った人たちとすれ違う。みんなゼッケンをつけていて何かの大会らしい。私が自転車のために堤防の斜めに段差のついた法面を一段下がるのを見ていた何人かが、挨拶やお礼をしてくれた。

 ちょっと行くとあしあらいがた公園というのがあるらしい。海と分離してできた湖や沼のことを潟というけれど、地図を見ると確かに池がある。足洗という名が気になって寄ったら、池の中の島に説明の看板があった。親鸞が足を洗ったとか、芦の原つまりアシハラが訛ったとか書いてあったが、それよりも文章が気になる。主語と述語が対応していなかったり、最後だけですます調になったり、ふわふわしている。設置者は「射水市」だ。いつの間にか富山市から射水市に入っていることに驚いたのはともかく、いくら市と言ったって結局は人がやってんだもんな、と妙に感心しながら、40年以上も役目を果たしている看板を後にした。

 この足洗池を中心とした一帯は公園として整備されて、ドッグランもある。沢山のワンちゃんと飼い主さんでにぎわっていたのはいいのだが、実は私には、この日から4ヶ月以上経った今でも気にかかっていることがある。公園を離れてすぐに、その公園の方から猛然と走ってきた犬がたった1匹で海の方に消えるのを見たのである。たまたまカメラを構えていて写真も撮った。何らかのテリアだ。しばらく見ていても人は誰も来なかったし、犬が消えた方に行ってみたがもういなかった。

野良犬ではないと思う。
野良犬ではないと思う。

 気がかりで少々ぼんやりしながら、休日遊びのテントが沢山張られた海老江海浜公園を歩き、ローソンでからあげクンなどを食べ、だいぶ日も傾いてくる中、富山新港に架かる新湊大橋まで来た。

 50メートルほど上にある車道を見上げながら、歩道が見当たらないな、もしかしてここは渡れないのかな、戻るのめんどくさいな、ちゃんと計画を立てておけばよかったな、と思っていたら、一人のおじさんがロードバイクを片手で押しながら、橋脚の方へ向かっている。距離を取ってついていくと、そこにはエレベーターがあった。なんと、車道の下に空中歩道がついているらしい。〈あいの風プロムナード〉という小粋な名前で、エレベーターの上昇とともにテンションも上がり始める。480メートルの空中散歩だ。

橋の裏にへばりつくかのような〈あいの風プロムナード〉。
橋の裏にへばりつくかのような〈あいの風プロムナード〉。

 私を導いてくれたおじさんは、なぜか途中で自転車に跨がった。かと思いきやそのまま横に倒れた。〈あいの風プロムナード〉にものすごい音が響き渡った。私は、たぶん犬の反省もあったのだろう、「おじさん!」と心に叫びながら咄嗟に三歩ぐらい駆け出したが、おじさんがすぐに立ち上がって恥ずかしそうな小走りになったので、足を止めて窓から港を出て行く船や水平線をしばらく、おじさんがエレベーターで先に下りるまで眺めていた。イヤホンからはバービーボーイズ「女ぎつね on the Run」が流れていた。たいていはそんなもんである。

 このあと、万葉線電車で海王丸駅から宿のある高岡駅に帰ったけれど、車中では私にしては珍しく、今日見た人たちや犬のことばかりを考えていた。

写真/著者本人


乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年北海道生まれ。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。18年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞。21年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞を受賞。ほか著書に『最高の任務』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『パパイヤ・ママイヤ』『それは誠』などがある。

「風はどこから」連載一覧

源流の人 第37回 ◇ 今村翔吾(作家)
◎編集者コラム◎ 『長篠忠義 北近江合戦心得〈三〉』井原忠政