乗代雄介〈風はどこから〉第11回

乗代雄介〈風はどこから〉第11回

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「竪穴住居に全部入ろう」


 11月下旬、初めて九州の地を踏んだ。福岡の西南学院大学で行われる講座に招かれたからだ。知らない場所に招かれるのはとてもうれしいので、例によって早々に前乗りし、天神を拠点に動き回った。朝のフェリーで向かい、ぐるりと一周した志賀島なんかもかなり楽しかったが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に行った時のことを書きたい。

 佐賀方面に行くには鹿児島本線に乗るのだが、天神から地下鉄で博多に行って乗り換えるよりは少しでも歩きたい。どこもかしこも歩いたことのない町なのだから。というわけで、鹿児島本線竹下駅まで、那珂川を遡って4キロほど歩くことにした。堤防を上がるとすぐに駅がある助かる立地である。

旧福岡県公会堂貴賓館前のみんな。
旧福岡県公会堂貴賓館前のみんな。

 チューリップの「博多っ子純情」を聴きつつ、これが「いつか愛が欲しい」と「人に隠れ涙流す」春吉橋かと思いながら通り過ぎる。那珂川が博多川にいったん分岐するところにある清流公園まで来た。いったんというのは1キロほど先でまた合流するからだが、こうして実際に歩いてみると、「だから中洲なんだなぁ」と当たり前のことを新鮮に実感する。

 博多川にかかる夢回廊橋の下にはゴム堰がある。ちょうど、そこにたまった枯れ葉やゴミをボートの上から掃除している場面に出くわした。ゴム堰というのは、正式にはゴム引布製起伏堰である。ゲートが上下するのではなく、起きたり伏せたりで水を止めたり流したりするものを起伏堰というけれど、空気や水を入れたり抜いたりでそれをするものがゴム引布製起伏堰だ。そのための機械室もすぐそばにあった。

はたらくふね(手前がゴム堰)。
はたらくふね(手前がゴム堰)。

 ゴム堰にゴミが引っかかるということは、今、博多川には上流からの水はいかないということで、基本的には増水した時に流すようになっているのだろう。海により近い合流地点の方にも水門があって、潮の干満に合わせて水量調節しているはずだ。ということをこの時に思い、後日、志賀島に行く時にそちらの水門も見たら、かっこいい上昇式セクタゲートであった。素人目にも機能的とわかる水門なのだが、あまり説明ばかり続くのもどうかと思うので、興味のある人は調べてほしい。

 中洲を離れるほどにのどかになっていく川沿いを歩いて竹下駅へ。そこから鹿児島本線で鳥栖駅まで行き、長崎本線に乗換だ。20分以上時間が空くのでホームにいたら、キャリーケースを持った女性に「福岡空港に行くにはここで合ってますか」と話しかけられた。「おばさんだから」と言ったあと、ご自分で「おばあさんか」と訂正する慎ましいご年配の方であった。

 今は、初めて来た旅先でもすぐにアドバイスができるのだから便利だ。アプリで調べてみると、今、停車している電車ではなく次来るのに乗るらしい。けれど、特急電車である。車内でも何とかしてくれるとは思うが、券を持っているか訊くと「ない」と言う。駅員さんに「3番線から出る」とだけ言われて来たそうで、その時の詳しい会話はわからないにしても、ちょっと不親切である。実際、彼女は、3番線に止まっている電車は福岡空港に行かないのではないかと不安に思って私に声をかけた。しかも、鳥栖駅の運用はかなり複雑で、何番線だからどこ方面に行くとかでは全然ないようだ。

 とりあえず特急の少し後で1番線から出る快速電車を教え、階段を下りていくのを見送ったのだけれど、行き先が空港であることに不安を覚えた。間に合わなかったらえらいことだ、と思った時には1番線へ走っていた。見つけて声をかけ、フライト時刻を教えてもらう。特急に乗らなくても一応の余裕はありそうだが、色々聞いたら、空港まで行く時はいつも車で、今回初めて電車を使ったという。博多で乗換もあるし早いにこしたことはないと意見が一致して、特急に乗ることに決定。キャリーケースを持ってあげて、二人して3番線にバタバタ戻り、ホームにある券売機で「大丈夫……だよね?」とちいかわ語で確認し合いながら特急券を購入。なんとか、あとは乗るだけという状態になった。

 私の電車の方が遅いので見送りがてら話していたら、詳しい事情はもちろん書かないけれど、東京へ行くそうだ。こっちは東京から来たんですよ、と話が弾む。そこに入って来たのが車体が漆黒の特急でちょっと怖かったのはともかく、無事に乗ることができた。「あなたに声をかけてよかった」と感謝されたが、あとで調べたら自由席ではない号車から乗せてしまったようで、中でまたちょっと困ったと思う。ごめんなさい。

 すぐにこちらは反対方向行きに乗る。サガン鳥栖のホームスタジアム、駅前不動産スタジアムを見て「駅前にあるなぁ」と思いながら吉野ケ里公園駅へ。公園までは、弥生人たちに導かれながら畑の広がるのどかな景色を歩く。まだ11時にもならない。ずっと来たかった場所なので隅々まで見るぞと意気込んだら、チケット売り場で〈2日間通し券〉なるものが売っていて不安になる。

 それもそのはず、公園の総面積は現在105.6ヘクタールで、ディズニーランドとディズニーシーの面積を足して100ヘクタールらしいからそれより広い。開園以来、面積を広げているのも両者の共通点だ。アトラクションの数はランドが45でシーが35の合計80だが、吉野ヶ里歴史公園には復元住居が98軒ある。飲食施設は94対1で差があるし、その1も入口の外にあるから入園したら0だが、環壕集落に飲食店があると思う方が間違っている。

 1日券を購入して入園、弥生土器のイメージなのか、これでもかというほど赤褐色に舗装された橋を渡る。ただ、名前は〈天の浮橋〉で日本神話由来である。ここから別世界ですよということでディズニーに似ている。と思ったら、いきなり、柵に外壕、よく尖らせた枝を針山地獄のように上向きに刺した逆茂木という敵意の三点セットに迎えられてゾクゾクした。

天の浮橋の色。
天の浮橋の色。

 まずは展示室で基礎知識を入れてから、南内郭へ。大きな集落の中に細かく居住区域が分かれているのが吉野ヶ里遺跡の特徴だが、ここは内壕と柵でさらに厳重に囲まれ、物見櫓も複数あることから、指導者たちの生活の場であると考えられているそうだ。復元された竪穴住居には〈「王」の家〉とか、支配階級の〈「たいじん」の家〉とかがあり、中にはそれぞれの衣服を着た人形が設置されて、機織りとか会合とか生活の一場面が切り取られている。

 さっきアトラクションと言ったが、私はこういうのは全部入りたい派なので、本当に一つ残らず入る。ただ、ここで早くも思ったことには、竪穴住居の出入りがかなり足腰にくる。幅も高さも1メートルほどしかない上に棒で支えるひさしが作られていたりして、リュックも背負っているので、スクワットの一番深いところで数歩前に進んで立ち上がるという感じできつい。

庇のついた出入り口が足腰にくる。
庇のついた出入り口が足腰にくる。

 先に書いておくと、この一日で前腿がひどい筋肉痛になり、福岡に滞在している間ずっと続いた。険しい沼津アルプスを縦走した時だってこんなことはなかった。もちろん、弥生人とは身長だって違うし、そもそも実際の出入口の大きさも確証はないと思うが、それでもあまり入口を広げたり掘り下げたりすれば、温度や雨水の浸入に影響する。となると、彼らだってかがんで入っただろうし、何度も出入りする日はくたびれただろう。

 この類の生活感というのは気になるもので、以前、どこかの古代資料館で、学芸員が質問に答えてくれるホワイトボードに「わたしはつめがのびるのがはやいです。むかしの人はつめきりはどうしていたんですか」という子供のいい質問があって、「証拠は見つかっていません。手仕事をする中で日常的にすり減っていたから、そういう習慣がなかったかもしれないですね」という意味のことが書いてあった。なるほどと思うが、王や巫女なんかはそういう手仕事は少なかっただろうから、彼らの爪が気になってくる。伸びているほど階級の上位を示すというよく聞くような話になるだろうが、それを誇るとしたら、不便との折り合いはどうつけていたのか。

 そんなことを色々と考えながら、環壕集落ゾーンを歩いて行く。起伏と柵とで見通しがきかず、人間の住むところだと思う。中のムラでも全ての家屋に入り、倉庫の種類によって中に並ぶものが違うことなどを確認し、儀式を行う祭殿があったと考えられている北内郭へ。一部が工事中で、弥生時代の集落をブルドーザーが走り回るのは面白い。さらに北には特別な人々が埋葬されたであろう墳丘墓があり、発掘された14基の甕棺が、遺構面にそのまま設置されて見応えがある。さらに北へ進むと、今度は野に埋められた1000基を超える甕棺の墓列だ。有名な頭骨のない人骨もここで見つかっており、だだっ広い野原に、当時の人々もそうしたであろう土まんじゅうの目印が遠くまでぼこぼこと続いている。

 墓地となっていたこのあたりには集落はない。園の北口を少しのぞいてから南へ引き返すと、園内を回るバスが私を追い越していく。古代の森体験館で小さな展示を見たあと、古代の森ゾーンから、環壕集落ゾーンの西側にあたる倉と市を見て回り、水田と池を挟んだ古代の原ゾーンへ。古代にはなかったと思われるグラウンド・ゴルフが行われているが、古代人の遊びの跡はどう残されるのかと思う。

 この時点で前腿はパンパン、もう竪穴住居には入りたくないけれど、再び環壕集落ゾーンの南部に入ると南のムラがある。ムラの住居には人形はなく、設定に応じた糸車とか野菜や干物のサンプルが置かれているというパターンは既につかめているのだが、その時そこでしか自分に働きかけないことが、思いつきが、この世には漂っている。それを逃したくない。車椅子で入れるようになっている高床倉庫があって、いいことだし、オーパーツのようでかっこいいと思う。脚が痛い。

 辿り着いた弥生くらし館で最後の展示を見る。工業団地開発計画のための調査から一大ムーブメントになるまでを追った新聞記事を夢中で読んでいたら15時30分、閉園1時間半前だ。前を行く学生っぽいカップルが、最終受付ギリギリで勾玉づくり体験を始めて楽しそう。私も楽しかった。

写真/著者本人


乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年北海道生まれ。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。18年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞。21年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞を受賞。ほか著書に『最高の任務』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『パパイヤ・ママイヤ』『それは誠』などがある。

「風はどこから」連載一覧

◎編集者コラム◎ 『見果てぬ花』浅田次郎
◎編集者コラム◎ 『恩送り 泥濘の十手』麻宮好