乗代雄介〈風はどこから〉第15回

乗代雄介〈風はどこから〉第15回

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「風穴に入り浸ろう」


 小諸は、軽井沢からしなの鉄道線で西へ二十数分ほどの静かな町である。どっちを見ても山並みだが、やはり北東にそびえる浅間山が目につく。駅を西に出ると、すぐに小諸城址がある。廃藩置県で役目を終えて払い下げられ、祀られた神社の名を取って、以後は懐古園の名で知られている。

 朝六時で開いていないし、昨日行ったので南へぶらぶら離れていく。

 小諸は島崎藤村や高浜虚子など文学者ゆかりの地である。虚子は晩年の数年間を過ごした。藤村は、木村熊二が開校した小諸義塾の講師として招かれて6年を過ごしている。昨日、懐古園の隣にある小諸義塾記念館も見学したけれど、そこで木村熊二との関係を知り、改めて藤村の行状に驚かされた。

 明治女学校の創立者でもあった木村熊二は藤村の恩師と言える存在である。キリスト教の洗礼も彼から受けたし、二十歳の時に、明治女学校に英語教師として招いてもらった。ところが藤村は、自分より一つ年上で婚約している佐藤輔子という生徒に恋をし悩み苛まれ、学校もキリスト教もやめてしまう。赴任から4ヶ月のことであった。

 その後、さすがキリスト者というべきか、木村熊二は小諸義塾の講師として藤村を招いた。小諸では穏やかに過ごした様子が『千曲川のスケッチ』からもうかがえる。写生文として、小諸の自然や人々を書いた小品である。

 10分ほど歩いて、そこにも登場する木村熊二の書斎、水明樓まで来た。千曲川を望む見晴らしのいい場所で、すぐ下にある中棚荘は藤村の定宿であったそう。

「樓」が変換されないで困った水明樓。
「樓」が変換されないで困った水明樓。

 4月上旬、前回の伊良湖から1週間も経っていない日だった。周囲の蜘蛛の巣を払って水明樓を覗きこみながら、記憶に新しい「椰子の実」を聴いてみるのは、この詩を藤村が書いたのは小諸時代だからだ。柳田家への入籍と講演旅行のついでに訪ねてきた柳田國男に、藤村は「何日も何日も、雲のことばかり書く日がある」と言ったという。

 こうしてその土地の風を感じてみると、朝夕の文章スケッチを日課にしながら暮らしていた人間が、よく同じ土地で「椰子の実」のような詩を書いたものだと思う。どこにいたって何でも書けると嘯く現代の書き手とは異なる実感を持つ一方で、遠く離れた地からさらに離れた「遠き島」を思う。もちろん、色々あって小諸に流れ着いた自分を椰子の実に重ねたという解説はよくわかるけれど、当地の土を掴むのではない砂のような言葉でなければ、この詩が唱歌となり、広く愛されることもなかったようにも思われる。

 千曲川に架かる戻り橋を渡ったところに、本格派の馬頭観音があった。銘に「明治五年」「三月」とあるので、藤村が水明樓遊びに来ていた頃には、川の対岸に建ってせいぜい30年ということになる。

戻り橋のたもとにある硬派な馬頭観音。
戻り橋のたもとにある硬派な馬頭観音。

 その名の通り曲がりくねった流れに沿った道を北上していく。このままずっと下っていくと、千曲川は新潟県に入り、信濃川と呼ばれるようになる。曲がりくねっていることもあって千曲川部分の方が長いのに、河川は河口部の名称を用いることになっているので、日本一長い川は信濃川ということになっている。

 車通りはほぼないが、小学校があるせいか歩道橋が架けられた先に小さな塚を見つけた。正方形に組まれた石塁の上に人型の石像があり、来歴を示した立派な碑が建っている。社宮司を氏神とするのは有史以前からの氏族のものという説明があり、確かに、はじめ合掌かと思っていた胸の前に重なった両手も、それとは感じが違う。この場所自体は、時代が下って淡路守の武家官位を持った掛川氏のお宮の跡地であり、石塁もその名残とのことだが、人型の塚の方は向かいの小学校を改築する際に付近から移転させたそうだ。そうなると、「以上の事象に基づいてこの塚を西浦淡路塚と命名した」という掛川氏の末裔による碑文の締めは適当でない気もするけれど、私財を投じてあらましを刻み置いてくれたのだから、ありがたいことである。

 さて、少し歩いて、川が蛇行して半月状になったところには町がある。「氷 風穴の里」と石標にあるが、今日のひとまずの目的地はここだ。町の南側の山に続く県道を上っていく途中に駐車場があり、そこから斜面を下っていった森の中に、人が掘って石で固めた穴が点在している。これが氷風穴である。

 体感できる5号風穴に入ってみよう。数メートル四方を囲んでいる石垣の一角に、細長い入口がある。傍らには温度計があって、ただいまの気温は17度。ただでさえまあまあ涼しいのでなんぼのもんじゃいと思いながら入ってみると、石垣なので天井もないけれど、すでにちょっとひんやりしている。

 内側は二段構造になっており、一段下がったところにトタン屋根の小屋が二つある。入れるのは一つだけだが、驚いたことに、どちらも落葉のたまった入口付近が白く凍り付いている。近づくと涼しい、というか寒い。足をすべらせないよう気をつけながら中に入ると、顔が引き締まるのがわかった。床の氷は厚く張って、踏んでもびくともしない。壁にかかっている温度計は0度を指している。ダンボールをかけられたケースの中に、おそらくキンキンに冷えているであろうペットボトルの水が置かれていた。

 氷風穴はこの場所での呼び名で、山の斜面で冷風が吹き出てくる穴を単に風穴という。それを利用して、天然の冷蔵庫である氷室を設えているのだ。全国各地にあるが、群馬の荒船風穴は世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産にもなった。この場所でも300年ほど前から氷の貯蔵に使われていたが、最盛期は絹産業が盛んになった明治以後だという。

 なぜ絹産業が出てくるかというと、ここに蚕の卵を入れておき、孵化を遅らせるのに使われたからだ。いっぺんに孵化すると食べさせるクワや人手に合わせて育てる数を調整しなければならないし、そもそも年に一度しか生産できない。それが、風穴で冷やしておいたのを適宜出して孵化させることで、最高で年に6回の生産が可能になったそうだ。しかも、生糸の質にはほとんど差が出なかったという。

 もちろん、電気が通って冷蔵庫ができればそれで済む話だし、そもそもの絹産業の衰退もあり、全国的にも、風穴は観光資源として利用されているのがほとんどだ。ここでも、4号風穴のみだという。

 歩いてきて暑かったのと、ここだけ寒いのがおもしろくて、しばらく小屋の中にしゃがみこんでいた。サウナもここだけ暑いのがおもしろくて流行っていると思う──みたいなことをぼんやり考えていたら、Manfred Mann の「My Name Is Jack」がイヤホンから流れてきた。中学校とかで聴いて以来、歌詞の「非行少年少女のためのグレタ・ガルボの家」みたいなフレーズがよくわからない。その後、ムーンライダースの日本語カバーを聴いた時、鈴木慶一の訳詞では「グレタ・ガルボの水着のポートレイト」になっていて、その時に調べたらサンフランシスコのカークランド・ホテルのことだとあったが、理由がわからなかった。

 今回も日本語で調べたらよくわからなかったが、英語の掲示板でこの曲について語っているスレッドを見つけた。それによると、サンフランシスコのカークランド・ホテルはかつてヒッピーのたまり場になっていたのだが、ロビーに大きなグレタ・ガルボのポスターが貼ってあったらしい。

 長年の疑問が晴れたのはいいとして、小一時間も検索していたら体が冷えてしまい、近くの〈あぐりの湯 こもろ〉という温泉施設に入った。浅間連峰を望む露天風呂を堪能したあとお昼も食べるなど、だいぶのんびりした後で出発。午後になって気温も高まっており、気付けばまた氷風穴に足を運んでいた。外の温度計は、直射日光が当たっていることもあって30度を超えていたが、中は0度である。2時間ぐらい前にしゃがみこんでいたところにまたしゃがんで涼み、名残惜しいが、今度こそ後にした。

 氷風穴群がある斜面の上は、布引線という林道だ。フキノトウが顔を出している春の陽気の中、JUDY AND MARY「散歩道」とか聴きながら意気揚々と進む。

 そんな名前の道なので、歩いて行った先には布引観音として知られる釈尊寺がある。「牛に引かれて善光寺参り」の逸話がある寺だ。このあたりに住む不信心な老婆の白布を牛が角で引っかけて逃げたので追っていったらいつの間にやら善光寺に辿り着き、牛の涎が仏道の悟りを表す言葉になっているのを読んで信心した、というアレである。実際は50キロぐらい離れている。

どう撮っても絵になる布引観音。
どう撮っても絵になる布引観音。

 懸崖造の観音堂は、向かいから眺めるのも、崖の参道を回りこんで手掘りだというトンネルをくぐって行くのも、舞台で寝ていた猫を撫でるのも楽しい。が、それは私が南側の珍しい方向から来たせいで、本来の参道は、千曲川のある北側から崖を上って来る険しいルートだ。

 というわけで、また観音堂の向かい側に戻り、そちらへ行ってみる。観音堂のすぐ下を通ってさらに下っていく道は水が落ちていく渓谷になっている。善光寺で火事があった時に煙が出てきた大穴とか、牛の形が現れた牛岩とか、惜しげもなく伝説が投入されていて飽きないが、すれ違っていく参拝客のみなさんは、なかなか大変そうだった。

 下りきって広い駐車場に出ると、目の前は千曲川である。比較的まっすぐな流れに沿って西へ、しなの鉄道線の滋野駅を目指す。2キロほど歩くと、左岸にしっかりした護岸が目立つようになり、その先に真新しい傾斜のある橋が架かっている。変に思って調べたら、令和元年の10月に「中洲が流失し布下橋を残し、道路及び潜り橋が流失」(東御市ホームページ「台風19号災害復旧の復旧状況」)してしまい、令和4年に少しずらした所に新しく布下橋を架けたとのことだ。

妙に思って一度下りてみた。奥に見えるのが布下橋。
妙に思って一度下りてみた。奥に見えるのが布下橋。

 東御市が欧文に「布下橋開通 R4.6.21」という六角ボルト・ナットのアップから始まるかっこいい動画を上げているので、お暇があればぜひ見て欲しい。渡った先のきれいな圃場の雰囲気もよくわかる。木々に覆われた段丘を上がると、すぐに滋野駅があり、小諸までは一駅だ。今回はちょっとのんびりし過ぎたので、次回がんばりたい。

写真/著者本人


乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年北海道生まれ。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。18年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞。21年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞を受賞。23年『それは誠』で第40回織田作之助賞を受賞し、同作の成果により24年に第74回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。ほか著書に『最高の任務』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『パパイヤ・ママイヤ』などがある。

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