乗代雄介〈風はどこから〉第14回

乗代雄介〈風はどこから〉第14回

14
「椰子の実を探しに行こう」


 東海道新幹線が停車する豊橋駅から豊橋鉄道渥美線(こちらは新豊橋駅)に乗り換えて終点の三河田原まで35分。渥美半島に入って3分の1のあたりである。愛知県南部は、知多半島とそれより大きな渥美半島がシオマネキの爪のように向かい合って三河湾を形成している。

 私が中学受験の塾講師をしていた頃、この二つの半島はどっちがどっちかわからなくなるとよく言われた。縁もゆかりもない東京の小学生には無理もない話だが、その中に「アツミがチタ(下)」とセットで覚えている生徒がいて、私は今もそのフレーズで確かめてしまうのだった。ちなみにシオマネキの大きい爪の左右は個体によって異なるので、それと同じという覚え方はできない。

 渥美半島の先端は伊良湖岬である。唱歌にもなっている島崎藤村の文語詩「椰子の実」は、この東に広がる浜に流れ着いたのをモデルに作られたものだ。とはいえ、島崎藤村は椰子の実を見てはいないし、伊良湖に来てもいない。実際に見たのは大学時代の柳田國男で、藤村はその土産話を聞いて創作した。

 そんな逸話も頭にあっていつかは行ってみたいと思っていたのが、3月末の土曜日に実現したのだった。午前中に小説舞台の候補地の取材を終えたあと、とりあえず伊良湖岬に流れ着くつもりで渥美半島を歩いてみるかと三河田原駅からバスに乗った。漂着の連想でポリス「Message In A Bottle」を聴いてみる。「孤独のメッセージ」という日本語タイトルでも知られるが、スティングが散歩に行きたがっている犬の瞳を見て思いついたと聞いたことがある。バスに乗ったままでは岬に着いてしまうのでどこかで降りようと思っていたら、小さな橋を渡った際に菜の花の鮮やかな黄色が目につき、何も考えずにボタンを押した。

 保美というバス停で下りる。さっき渡ったのは免々田川というらしい。河津桜と菜の花が両岸の道を隙間なく彩り、鯉のぼりが泳いでいる。開花の早い河津桜はすでに葉桜で、鯉のぼりもまだ少ないが、菜の花は見頃である。小径から入れる保美貝塚を見学後、緑と黄が爽やかな川沿いの道をしばし歩きたくなって源を調べると、半島最高峰の大山から流れているらしい。

 菜の花が途絶え、整備の度合いも緩み、ミシシッピアカミミガメ、錦鯉、ヌートリアなど在来でない生き物が所狭しと動きまわるのを見下ろしながら上流に向かって歩いていくと、県道420号あたりの段差工から一気に清流の雰囲気となる。ゲンジボタルが見られるという看板も設置され、保全も積極的に行われているようだ。

 わずか1キロほどの間に姿を変える川が見られて得した気分で歩を進めるうち、キャベツ畑が広がり、ビニールハウスも増えてくる。農業の軽トラック何台かとすれ違うだけの道をひたすら進み、左右の山々の間が狭まりきった先にあるのが清田池だ。少し高いところにある農業用の大きな調整池で、1羽のアオサギを見ながらお昼を食べたあと、池の脇から登山道に入る。 

誰もいない清田池。
誰もいない清田池。

 道が判然としない箇所もあり、ガイドの赤テープを見失わないようにするのが肝要なルートである。二日前が大雨だったこともあり、倒木や沢から漏れた土砂でさらに道がわからなくなっており、一つ見つけてそこに着いたら、適当に動かず次のテープを探さないといけなかった。あちこちで斜面が崩れ、半分むき出しになった木々の根の陰から水が出ており伏流水の流路がわかって興味深いが、そのせいで稜線の道に出るまではとにかく歩きにくい。ただ、アリドオシの赤い実があちこちで輝いているのには和む。この実は、秋頃にできて色付いたあと冬を越して春まで平気で残っているので、年末に山野で見かけるとまた春に来てみようかなと思わせてくれる。

 臍岩のある分岐で大山までの道を選び、イノシシの防護柵を通る。こういう防護柵の簡易的な扉のロックの仕方や状態はそれぞれの場所で個性が出る。野外なので柵自体が緩んだり傾いたり、鎖やロープが届かなくなったり、門落としが落ちたままになって地面に深い弧を描いていたり、各地で色々なことが起きつつも何とか用を成していて趣がある。ここは鎖にカラビナという頑丈かつ簡便な仕組みを採用し、門落としも固定され、よい仕事をされていた。

 山頂は木々で囲まれているが、展望台に上ると梢より上に出て、南の太平洋が見渡せる。空が霞んでいる西側には、2本の電波塔の奥にはこれから向かおうという伊良湖岬と、そこまで続く海岸線が見えた。

 遠州灘の沿岸に出る下りの道も大変だった。車も通れるという触れ込みの林道なのだけれど、もともとの道の悪さに雨もあって、たいそう荒れている。赤土、石、礫、枯れ枝、枯れ葉に水を加え、空気を含ませるようにしてかき混ぜたみたいな道で、時折、ぬかるみを踏むしかなかった。あとで砂浜を歩いて泥を落とそうと考えながら、埋まりつつ歩いた。

 中腹の御嶽神社と、参道の階段に鳥の食べ落とした橙が転がる白山比咩神社にお参りして、国道42号に出る。伊良湖岬までのびるこの道でよく目についたのは、菜の花と温室だ。ハウスのガラスを覗きこむと、色づきかけたトマトがたわわに実っている。バタン! と耳元で音が鳴って驚く。大きな換気扇のシャッターが開いて回り始めたのだ。自動なのだろう。

和地の菜の花畑と温室群。
和地の菜の花畑と温室群。

 渥美半島の温室といえば電照菊が有名である。菊は日照時間が短くなると花芽を形成するので、夜も照明をつけて開花時期を遅らせれば、需要に応じた茎丈になるまで成長を促したり、出荷時期を調整したりすることができるというわけだ。このほか様々な工夫で季節に応じた種の開花時期をコントロールすることにより、一年中、菊の出荷が可能になった。昭和23年に導入されたというこの独特な栽培方法が夜景という観光資源にもなっているのだからおもしろい、とこれも塾講師時代に説明したことを思い出す。秋菊の開花を正月に合わせて遅らせるための電照時期が見頃だが、晩秋以降は断熱のために温室を覆う温室が多いため、11月初旬までがいいらしい。

 浜には出ないで国道の歩道をのんびり歩きながら思い出したのは、二週間前に報じられたエリック・カルメン死去のニュースだった。1970年代に活躍したラズベリーズというバンドのフロントマンで、解散後はソロでも活躍した。私は、高校生の頃からこの人の歌をよく聴いていたのだ。

 何か聴きたいなと「I Can Remember」を選ぶと、せつなげなピアノの音が流れてくる。ラズベリーズのファーストアルバムに入っている8分の曲で、はじめはバラードだが、中盤でがらりとポップな曲調に変わってそのまま駆け抜ける。恋人との別れの経験を歌う詞の内容は、前半も後半も〝I can remember〟としか言わないけれど、ポジティヴな気持ちになったのだろうと解釈している。

 秋に夏を振り返る曲なので季節外れだが、私にとっては一番記憶に残るエリック・カルメンの歌だ。快速電車で駅間9分のところを通学に使っていた中高生の頃、乗車してからこの曲を聴くことがあった。半分を過ぎた頃に曲調が変わり、そんなにおもしろいこともない学校だけど今日もがんばるかという気分が出たものだ。

 ちょうど見頃だった和地の菜の花畑を過ぎ、文禄川の流れと一緒に海へ出た。岩礁の陰を歩いて行くと、ひときわ大きな岩の一方がくり抜かれて、コンクリートで固めた出入り口がついているのに当たった。中はしゃがめば入れるほどで、天井に穿った小さな穴から光が差し込んでいる。

出入口外側のカモフラージュを見よ。
出入口外側のカモフラージュを見よ。

 太平洋側でこういうものを色々見てきたので、戦争遺跡だと察した。海側から見えない造りの出入り口もそういうことなのだが、その狭さからすると、弾薬庫か何かだろうか。となると機銃を置いた銃座もあるはずだと捜すも、それらしき場所が見つからない。実はこの時、スマートフォンの充電が切れており、充電器も忘れていたので調べられなかったのだが、帰って検索したらやはり機関銃陣地趾で、銃座は隣の岩場にあったようだ。

 もう17時頃だったが、私はこのあたりからずっと伊良湖岬から三河田原駅に行くバスの時刻を気にしていた。朝に調べた時、最終のバスが確か18時50分だったか、いや30分だったような……。乗れなかった場合、観光地だからタクシーぐらい呼べるだろうが、ただでさえ取材費がかさんでいるのに、さらにそんな出費をするのはいやだ。

 気持ちは急ぐのに、海沿いのサイクリングロードが通行止めで浜を行くしかなかった。けっこう黙々と歩いて伊良湖まで来ると、ここまでほとんど目にすることのなかった人が沢山いる。リゾート地でホテルも多いのだ。堆積岩であるチャートが波で浸食されて洞になった「石門」と呼ばれるところがいくつかあり、全てのスポットでウェディングフォトの撮影中だった。広島の宇品島でもこんな光景を見たな、あと海をバックにしたカマキリの交尾も見たなと懐かしみつつ、岬へと向かう階段を上る。

 上ったところに「椰子の実」の記念碑があり、そうだそうだ、これが目的だったと思い出す。伊良湖オーシャンリゾートという一際大きなホテルのあたりで、柳田國男が椰子の実を見つけたという恋路ヶ浜のきれいな湾曲が見えた。ただ、私の行く道は崖の上、浜はずっと下である。矢野顕子の「椰子の実」はテンポが速かったよなとわざわざ選んで聴きながら早歩きしているような状態で、来る前に想定していた、浜を歩きながら椰子の実を探すともなく探しては時折はるかな水平線にしみじみと目をやるみたいな感じにはほど遠いが、ゆかりの場所に来られた喜びはある。浜を歩く若き柳田國男(当時は松岡姓)の小さな姿が目に浮かぶような気がする。それにしては暗すぎる気もする。

 18時23分、バス停のあるフェリー乗り場と道の駅を兼ねている施設に着いた。やっぱり18時50分発だ。ほっとしたが、そうなるとけっこう時間がある。一か八か、散策路になっているらしい伊良湖岬の先端部を一周することにした。これぞ灯台というフォルムをした伊良湖岬灯台の光り方を、単明暗光というやつだなとカメラで動画撮影していたら、えらいギリギリの時間になってしまった。

18時41分。
18時41分。

写真/著者本人


乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年北海道生まれ。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。18年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞。21年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞を受賞。23年『それは誠』で第40回織田作之助賞を受賞し、同作の成果により24年に第74回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。ほか著書に『最高の任務』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『パパイヤ・ママイヤ』などがある。

「風はどこから」連載一覧

源流の人 第43回 ◇ 尾辻󠄀あやの(イエローページセタガヤ店主)
ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第131回