乗代雄介〈風はどこから〉第16回

乗代雄介〈風はどこから〉第16回

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「コウノトリを見て回ろう」


 前回、小諸に行った時、小諸市立小山敬三美術館で『初夏の白鷺城』という絵を見た。姫路城を描いた連作の一つで、うねる瓦屋根の筋や輪郭がいくつもの円の重なりを浮かべるようでたいそう面白い。実際はこんなではないはずだが、こんな風に見せるものがあるのだろう。同じ場所から実際の風景を見たいと思い、ちょうど初夏だし、翌週に岡山へ行く予定があったので、その前に姫路に寄ることにした。

 気にかかる絵が描かれた場所に行き、風景の見方、表現について考えるというのも私の趣味の一つだ。『初夏の白鷺城』のポストカードを持参したところで場所がわかるか不安だったため姫路には二泊で宿をとった。が、着いた日に天守閣まで上ったらすぐにわかったので、翌日の予定が白紙になった。

 というわけで、斉藤由貴「MAY」を聴きながら特急はまかぜ1号に乗りこんだ。目指すは同じ兵庫県の豊岡市だ。城崎温泉で知られ、カバンの生産地としても名高く、野茂英雄が設立した NOMOベースボールクラブもあるが、私の目的はコウノトリである。豊岡市は国内最後の野生のコウノトリが生息していた地で、絶滅後は、種の再導入を目指して保護・繁殖・共生の取り組みを進めた。その甲斐もあって、コウノトリは日本での個体数を少しずつ増やしている。

五月の空と豊岡駅。
五月の空と豊岡駅。

 東口から出て振り返った駅舎は、アーチ窓が並んだところにコウノトリの羽のようなものをかぶせた凝ったデザインである。まだ5月だが午前中から暑いぐらいの青空によく映える。線路に沿って南へ、日吉神社を通って豊岡城跡に向かう。曲輪を上り下りのある細道でつなぐ小さな山城で、今は神武山公園として整備されている。伝承によれば室町時代からの城で、江戸時代に跡継ぎなく廃藩と共に廃城、後に再び豊岡藩が置かれた際に再び政治拠点となったが、第13回で言及した足守藩と同じ無城大名で、藩政は山の麓に建てた陣屋で行われた。現在の豊岡市立図書館を建設する際、その跡が見つかったそうだ。その図書館は切妻屋根が三つ並んだ間がガラス張りになっていたり縦長の窓の下から瓦風の屋根が軒を出していたりとなかなか凝った造りで、テラスや庭もあって心地よい空間である。旧豊岡県庁の正門をそのまま使った立派な門の来歴がまた面白い。

すばらしい門構えの豊岡市立図書館。
すばらしい門構えの豊岡市立図書館。

「明治三年、当時の久美浜県(現京都府京丹後市久美浜町)の県庁建設に伴って作られたもので、翌明治四年、豊岡県に合併された際、庁舎とともに現在の場所に移築された。
 明治九年に豊岡県は兵庫県と京都府に分割され、その後、城崎郡役所として利用されたが、大正十二年の改築を機に庁舎のみ再び久美浜町に移築され、現在、神谷神社社務所(京都府指定文化財)となっている」

 庁舎を建てて移してまた戻す時に門だけ置いていかれた形だ。立派な建物を造る資材は得難いものなのだというのは、総ケヤキの造りを見ても何となく知られるところである。

看板から銅像まで町の到るところにいる。
看板から銅像まで町の到るところにいる。

 もう昼に近い。カバン屋が軒を連ねるカバンストリートをゆっくり見る時間はなく、ダジャレでバックストリート・ボーイズの「I Want It That Way」を聴きながらずんずん進む。中学の頃に流行っていて、誰かに借りたCDで入れた記憶がある。200メートルほど続くアーケードの真ん中あたりで、カバン風の自動販売機とカバンの自動販売機を発見して立ち止まる。前者はカバンを模して上部に取っ手のついた飲み物の販売機で、後者は小さなトートバッグが売っている販売機である。もはや自動販売機で何を売ろうと珍しくもないが、調べると、1号機が別の場所に置かれたのが2006年というから試みとしては新しかったのだろう。目の前にあるものがその1号機らしく、一律1500円の値段だがお釣りが出ないというシステムも、これがさほど不便ではなかった当時を物語っている。小銭がなく、崩すにも飲み物はさっき買ったばかりだし、ネット情報だと豊岡駅にも設置されているらしいので諦めて先を急ぐ。写真も撮り忘れた。

 全然知らなかったが、赤穂浪士の大石内蔵助の妻だという「大石りく女生誕之地」の碑を見ながら大磯川を、続いて円山川を渡る。豊岡盆地はほとんど勾配がなく、立野大橋から見下ろす円山川の川面は湖面のように動きがない。対岸に着くと、堤防の内側に広がる一面の田圃が気持ちよく見下ろせた。今、私も間違えそうになったので書くが、人間のいる方が堤防の内側になるので注意されたい。

 さて、この時点で、田圃の中に立つ塔が小さく見える。すぐそばの電信柱と同じくらいの高さだが、天辺に平らな台がついているのがちがう。しかも、その上に大きな白い鳥が一羽立っているのだ。ほとんど動かないので、人形でも置いてあるんじゃないかという疑念が消えなかったが、近づいていくと、羽の後ろの黒が際立ってきて、くるりと向きも変えるし、まぎれもなく生きたコウノトリである。全長は110~115センチ。アオサギやダイサギなど、日本にいる大型のサギよりも一回り大きく、がっしりしている。

ずっと見ていたかった円山川沿いの巣塔。
ずっと見ていたかった円山川沿いの巣塔。

 この塔は人工巣塔と呼ばれ、高い樹上に巣を作る習性をもつコウノトリのために設置されたものだ。豊岡市内には20本以上あり、今日、私が回れるのは4本ほど。台の上からコウノトリが自分で組んだ枝がはみ出している。こうしてちゃんと使ってくれるのだから置く甲斐もあるというものである。下の田圃に苗の植わったところも目につく今は、ちょうどコウノトリの繁殖時期だ。

 その田圃の脇には、小さな黒い旗が立っている。「コウノトリ育むお米 契約栽培圃場」とあり、「栽培方法 無農薬」とか、水入れや田植えに加えて「生きもの調査」の日付まで書き込めるようになっていた。コウノトリは日本では人間の身近で暮らしてきた鳥である。農薬の使用、河川や田を取り巻く水環境の変化など、変わりゆく農業の影響を強く受けたことが、絶滅の一因だとされている。圃場を見渡すと、同じ黒旗があちこちはためいている。コウノトリのエサとなる生き物がいる田圃を保つため、農薬に頼らないのはもちろん、刈り入れ後には堆肥や米ぬかをまき、冬の間も水を張るそうだ。農家の負担は増える代わりに、米のブランド化という付加価値がついている。

 風見鶏のように佇むコウノトリを振り返りながら、次の巣塔を目指して東へ。ところどころ小麦畑も目につく圃場を進み、六方川を渡った河谷という地区は、その名の通り、山の方からの流れが谷を作った土地のようだ。民家の並びから100メートルもしないところに巣塔があり、ここにもコウノトリがちゃんと巣を構えている。窓を開けたら、目線の高さにコウノトリがいる生活は楽しそうだ。

 盆地の際を北へと進む途中、安川神社で大きなムクノキを見上げる。30メートルはありそうな樹高や幹の太さ、ムクノキ特有の三角に張った巨大な板根を見ると、100年や200年の樹齢ではなさそうだ。多くのコウノトリが梢にとまったかもしれない。営巣するためのこうした大木の減少も絶滅の一因といわれるが、コウノトリは枝が横に広がるアカマツを使うことが多いらしい。

 路地を縫っていたら、柵も何もないゼロ距離に飛び出してきた五頭ぐらいの茶色い中型和犬に並んで吠えられた。チェーンが敷地内に彼らを留めていたが、心臓が止まるかと思った。ちなみに、コウノトリは大人になると鳴くことができなくなるので、クラッタリングという嘴を叩き合わせる音でコミュニケーションをとる。

 次の巣塔は、鎌谷川を渡って豊岡市立三江小学校のそば。最初、川沿いを行こうとしたら、草が繁茂してどうにもならず立ち往生した。イヤホンからは、ボズ・スキャッグスの「Lido Shuffle」が軽快に流れていた。昔からよく聴いた歌だけれど、輸入盤だったから歌詞の意味を全く知らない。草をかき分け畦の角に下り、農道に出た後で近づくことができた巣塔では、もう子育てが始まっており、サイズ的には幼鳥と呼べるくらいのが、西を向いてどこかぼんやり突っ立っている。親鳥よりも白い羽毛と短い首がかわいい。夢中で「うわ~」とか言いながら双眼鏡を覗いていたら目が撮った気になってしまい、これも写真がない。

 学校の門の前の道を東へ進む。右手に広がる立ち入りを制限された圃場の中で、トラクターの後をコウノトリが追いかけていた。遠くに見えたペアのいる巣塔のそばにあるコウノトリの郷公園が今回の最終目的地だ。1999年に開園した野生復帰の拠点とも言うべき場所で、観察・学習のための公開エリアと、保護や繁殖、自然馴化が目的の非公開エリアに分かれている。

 タイミングが合って、着くなり、開放的に飼われているコウノトリのケージをテラスから眺めながら施設の方の説明を聞くことができた。マイクが壊れた上に、担当の方が喉を痛めているという悪条件が重なってしまい、一緒にいた年配のご夫婦と身を寄せ合って耳を傾けた。

 低いフェンスやネットで囲まれているだけのケージだが、定期的に片方の風切羽を切っているので飛んで逃げることはできないそうだ。上の木々にアオサギが集団で巣を作っており出入りも激しく、説明の間もにぎやかであった。これ以上増えるとコウノトリたちに影響が出るので、対策しなければいけないと心配されていたけれど、コウノトリの一羽はどこ吹く風で、ケージ内の水場にどっぷり羽を広げて浸かっている。一応質問したら、野生ではそんなことはしないらしい。

 園内、短いハイキングコースになっている山からは、水を張った田圃と巣塔が見下ろせた。野生動物を保護し、共生するとはどういうことか。豊岡では様々な条件と足並みが揃って環境が整えられ、各地もそれに続いたが、絶滅するかその危機に瀕した時、全ての動物が同じような手厚い保護を受けられるわけではない。それでもこうして、やろうと思えばやれる余地があるのも本当で、その前例が次の取り組みの励みとなる。動物はそんなこと知る由もなく都合があえば身を委ねるだけだが、人間にはそれがうれしい。

 バスで豊岡駅まで戻り、帰りの特急電車を待つ。構内をいくら捜してもカバンの自動販売機はなかった。どうも、故障した末に撤去されてしまったようだった。

写真/著者本人


乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年北海道生まれ。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。18年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞。21年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞を受賞。23年『それは誠』で第40回織田作之助賞を受賞し、同作の成果により24年に第74回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。ほか著書に『最高の任務』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『パパイヤ・ママイヤ』などがある。

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