内田洋子『見知らぬイタリアを探して』

内田洋子『見知らぬイタリアを探して』

どんな色にも物語がある。色を巡る旅で、知らなかったイタリアと会う。


 コロナ禍の前、南イタリアの海で男の子と知り合いになった。6歳になったばかりの夏で、

「9月から小学校!」

 浜へあがってくるたびに、私のところに駆け寄ってきてはそう言った。目の前の海には、さえぎる岬も島もない。空がまるごと海に映り込む。群青色に染まった海の縁に、水平線が銀色に延びる。すくいあげると透明なのに、集まるとどうしてあれほどに青いのだろう。

 泳いだり、眠ったり、飲んだり。

 砂浜の向こうで次第に海が碧色へ変わり始めるころ、

「ジャンヴィート!」

 波打ち際で真っ白のタオルを広げて、母親が呼ぶ。抱き寄せられた母親の胸の中で、男の子はくすぐったそうに高い声をあげる。茶色の髪は濡れて黒々と照り、日焼けした顔には目と歯ばかりが輝いて、笑うたびに波飛沫が飛ぶように見える。二の腕に着けたアームリングは朝より濃い黄色に浮きたって、タオルの中をあちらこちら元気よく揺れている。

 

 そして、新型コロナウイルスの感染拡大。世の中が止まった。

 自由が封じられ、好奇心は失せていった。人の声や生活の音、ぬくもりや息づかいが消え、気持ちは冷え込んだ。ひと月が半年となり、窓からの眺めやコンピューターの画面も色あせて、やがて生彩のない世界の底へと気持ちが沈んだ。

 秋も深まったある日、イタリアから小さな包みが届いた。小さく折り畳んだ画用紙とカードが入っていた。画用紙は、半分を水色、残りは群青色で塗ってある。ふたつの青のまんなかでカモメが大きく羽を広げ、水着姿の男の子が手を振っている。太陽が、赤や黄色、オレンジ色の光線を何本も投げかけている。

〈ヨーコは作文のチャンピオン。ヨーコが通ると、景色が生き返る。元気でいてください。また会えるまで、ぼくたちはずっと友だちだから〉

 メッセージは、赤とピンク色のカードにていねいな筆記体で書かれている。下書きをしたのだろう。えんぴつで引いた線が薄く残っている。

 あの夏、海から帰ったあと、入学祝いにジャンヴィートへ色えんぴつを贈ったのだった。ところが疫病騒ぎでイタリアと日本のあいだでは、長らく郵便までが止まってしまっていた。丹心の手紙と海の絵は、会えなかった時間の尊さを運んできた。

 包みを解いたとたん、モノクロだった私の気持ちに色があふれた。

 

 宝もののようなあの瞬間を彩ったのは、何色だったろう。

 その色にはどういう意味があり、なぜ生まれたのか。

 これまでの大切な場面をひとつずつ思い返しながら、薄れたところには色を重ね、色あせた記憶はそのまま解き放つのも運命、と思いながら書いた色にまつわる話である。

Grazie, Gianvito e Mario!

WEBマガジン「本の窓」で連載していたとき、取り上げる色ごとにシマザキミユキさんに作品を描きおろしていただいた。それはジャンヴィートからのカードのように、毎月の私の元気の源だった。

 


内田洋子(うちだ・ようこ)
1959年神戸市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノアソシエイツ代表。2011年『ジーノの家 イタリア10景』で「日本エッセイスト・クラブ賞」「講談社エッセイ賞」を受賞。2019年「ウンベルト・アニエッリ記念最優秀ジャーナリスト賞」、2020年「金の籠賞」受賞。著書に『ミラノの太陽、シチリアの月』『ボローニャの吐息』『サルデーニャの蜜蜂』『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『デカメロン2020』『イタリア暮らし』ほか。訳書に 『パパの電話を待ちながら』など。

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