ニホンゴ「再定義」 第5回「帝国」

ニホンゴ「再定義」第5回

 当連載は、日本在住15年の職業はドイツ人ことマライ・メントラインさんが、日常のなかで気になる言葉を収集する新感覚日本語エッセイです。 


名詞「帝国」

「帝国」は特にフィクション世界で大人気の単語であり、基本的に属性は悪だ。

「帝国」の定義は難しい。万人による万人のための客観的主観性の集大成である Wikipedia はいろいろと問題のある存在だが、この手の事案については絶妙なバランス感覚を見せる。というか、定義にまつわる混迷と葛藤の本質が率直に示されていて中々よろしい。政体として皇帝が仕切っていることが必要条件というわけではないよという記述の細かさなどなど、大いに参考になる。要するに、「真面目に調べたり考えたりすると即座に沼るのが確実!」という現場の実態が実によくわかる。

 そんなわけで、結局のところ日常の言語空間においては、帝国「そのもの」ではなく「帝国っぽい」サムシングが、思考触媒として昨日も今日も明日も流通してしまうのだ。

 さて、硬派歴史オタクにとって「帝国」の類型といえばまずローマ帝国であり秦帝国であるが、もっと世俗的な空気感では(敢えて主観で断言すると)やはりナチス第三帝国であり『スター・ウォーズ』の銀河帝国、さらにいえばダース・ベイダーというキャラクターが「帝国」のイメージ的象徴といえるだろう。ここで興味深いのは、

 ①ダース・ベイダーは皇帝でもなんでもなく、特に物語前半では「社長に目をかけられている中間管理職」みたいな存在であり、歴戦の将軍とか提督とか軍政司令官から「なんなのコイツ?」と思われていたりする。

 ②第三帝国はドイツ語の「Drittes Reich」の定番的な日本語訳だけど、「Drittes」を第三とするのはまあいいとして「Reich」を帝国と訳すのには、実は史家を中心にかなり論理的な抵抗がある。ドイツ語にてReichは実際には「集権的な領土」を意味する単語で、しかも「ナチスに潰された非集権的な善なる(多少の誇張あり)ドイツ政体」といわれるワイマール共和制時代のドイツ軍も「Reichswehr」と名乗っていたゆえ、アレを帝国と訳してしまうと、いろいろツジツマが合わないのよ! ということになる。実際、「第三帝国」の語を嫌って「第三ライヒ」と記述する実例も、あるにはあったりする。

 …という諸点だ。これらはオタク的な文化トリビアとして語られることが多いが、しかし実際、ダース・ベイダー抜きの銀河帝国でスター・ウォーズが盛り上がるか? 第三帝国の代わりに「第三ライヒ」という訳語を見て納得できるか? と言われれば

答えは、あきらかに否。

である。

 では、そもそも「帝国っぽいもの」の核心とはいったい何なのか。

 それを考えるのはある意味、共同幻想にもとづく文化市場のニーズとは何なのかを探ることに近い気がする。

 幸か不幸か私の周囲にはスター・ウォーズ愛好家が多く、「なぜ銀河皇帝よりもベイダーなのか?」問題についてもしばしば議論になっていた。一般的な所見としては「回復不能な傷を負っているとはいえ圧倒的実力を持つ戦士だから!」「敵にも部下にも非情すぎる点に尽きる」「善から悪に転じたキャラ性の重みが」「本当は皇帝よりもフォースが強いんですよ!(異説あり)」「日本の鎧兜をモチーフにしたヘルメットとマスクのデザインのダークサイド的重厚さが」「いやあのヘルメットはドイツ軍のがモチーフらしいし!」

 …と、印象論を中心に百説乱れ飛ぶわけだが、その中で「人間的な欲得や道理を超えた悪の価値観の代弁者」として秀逸だから、という意見があり、私はこれが印象に残った。

 そう、確かにベイダーは立場的に銀河皇帝の部下ではあるが、舞台劇的な演出のせいなのか自らのポリシーを俗界寄りに言語化しながら余さず開陳してしまう皇帝陛下(ちなみに彼を演じているのは実力派のシェイクスピア俳優であり以下略)よりも、寡黙ぎみに理不尽な暴力をきっちりと行使するベイダーのほうが、背後に抱えている価値観やシステムの暗黒さ&底知れなさを浮き彫りにするキャラだな、という印象は確かにある。

若松英輔『光であることば』
増山 実『百年の藍』