ニホンゴ「再定義」 第2回「忖度」
当連載は、日本在住15年の〝職業はドイツ人〟ことマライ・メントラインさんが、日常のなかで気になる言葉を収集する新感覚日本語エッセイです。
名詞「忖度」
「忖度」は元来、「相手への配慮をベースとした行動によって、現場での発生が予期される摩擦・ストレスを最小化する」という意味を内包した、たいへん文化的に洗練された趣きを持つ謙譲語系の単語だ。言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションの高次な接点を示す言葉ともいえる。
だがしかし。
二〇一〇年代後半の某与党政治スキャンダルにてこの語は、「相手への配慮をベースとした行動の非言語的コミュニケーション性って、犯罪性の隠蔽にチョー有効だよね!」という面から妙に脚光を浴びてしまう。そして揶揄語としての黒光りな性格を強めたこともあり、最終的には二〇一七年の流行語大賞に選出されるほどの人気を博してしまった。意味やニュアンスが裏返った時の謙譲語の威力の恐ろしさ! ということかもしれない。
そんな中、「忖度」こそ外国語への真の翻訳が不可能な、日本独自の社会的文脈に立脚した言葉であって(以下略)という言説がけっこう目についた。まあ概念の完全翻訳が可能だと誰も証明できない以上、その主張にも一分の理はある。が、翻訳によってそのコトバの素晴らしい(あるいはおぞましい)ディープ本質が思わぬ形で顕現することもあり、やはり凝縮的な概念翻訳チャレンジはやめられない。そもそも当時、私のところに「ドイツ社会にも忖度はあるんですか?」「忖度に該当するドイツ語ってありますか?」という質問が地味に殺到していたわけで、もともと言語オタクである以上、私はこの状況に進んで頭まで浸からずにいられなかった。
意味文脈などの観点から総合的に判断するに、「忖度」に該当するドイツ語表現には次の二つがある。
【unausgesprochene Anweisung:発言なしの指示】
【vorauseilender Gehorsam:先回りの服従】
どーですか皆さん、このストレートに実用的かつ即物的な観念性! 実際、ドイツにおける「以心伝心」とはそもそもたぶんこういうもので、日本語の美徳的な建前に比べ、関係する双方が戦術的に相手を利用し合う側面が強調されているようにも感じられる。そして政治スキャンダルがらみ等、ネガティヴなネタ語として使用する局面にて「忖度」は、日本でもこのドイツ語的な文脈でこそニーズが高まってしまう。というか、そもそもそれが主意であるかのようにしっくりくる。ドイツ語はミもフタもない破壊力や貫通力が大きいのだ。
ドイツ語の「忖度」で興味深い点のひとつが、忖度「する側」「される側」それぞれの主体的表現が用意されていることだ。この観点から現場を分析することにより、責任の所在や比率の軽重がある程度明確化する。ドイツ語が根っから分析に向いた言語であることがあらためて痛感されてしまう。逆説的な言い方をすれば、ネガティヴ忖度にて「発言なしの指示」と「先回りの服従」の濃度比率が一対一に近づくほど責任の所在が不明確となり、ある意味、完全犯罪的な領域に近づくのだ。
このドイツ語的「忖度」の意味を深く考えさせられる歴史的出来事といえば、そう、たとえばホロコースト。
いわゆるホロコースト否定説の論拠のひとつに「ユダヤ人絶滅を明確に指示した公文書が存在しない」という話がある。ゆえにいわゆるガス室も捏造に違いない、的な。
それ、ホントなの?