ニホンゴ「再定義」 第3回「ガンダム」

日本語「再定義」第3回バナー

 当連載は、日本在住15年の職業はドイツ人ことマライ・メントラインさんが、日常のなかで気になる言葉を収集する新感覚日本語エッセイです。 


名詞「ガンダム」

 そう、ガンダムは「日本語」だ。しかも単なる固有名詞ではない。おおまかにいえば1990年以降に成人化した日本人の「大きな原体験」のひとつであり、絶大な知名度を誇り、私が直接接した日本人(文化的サンプルとしてそこにいくぶん偏りがあるのは間違いないが)では、悪く言う人を見たことがない。

 そんなこともあって「ガンダム」という単語自体は、ドイツを含む諸外国でもそこそこ認識されている。かのデザイン巨匠シド・ミードが∀ガンダムをデザインしたとかあるし、お台場の実物大ガンダムは「トーキョー観光」の名所として有名だし。

 だがそのコンテンツとしての文化的価値と意味を、的確かつ端的に外国人に伝えるのは、実はなかなか難しい。単語の知名度とは裏腹に「ガンダム 海外」で検索をかけようとすると「ガンダム 海外 人気ない」という候補が即座に浮上してしまう(2023年4月現在)ありさまだ。またその検索結果をみるに「西欧のキリスト教的価値観では、ロボット的なもの=神の摂理に反する忌まわしい存在」という刷り込みがあって云々という、面白味はあるけど、ドイツ本国に報告すると噛み合わない反論がボコボコ出て来そうな考察が多数あがっていて興味深い。

 しかし、そのへんの話題をいくらこねくり回しても、結局はネット民的イメージ文脈上の西欧文化の石頭っぷりの説明になるだけで、コンテンツの奥底に潜む普遍的な魅力の核心には至れない。

 私が必要とするのは、たとえば日本文化に興味があり、サブカルにも偏見を持たず、かといってアニメ・マンガおたくでもないドイツ公共テレビの新任アジア特派員が「ガンダムって結局どのへんが客観的にスゴイんですか?」と訊いてきたとき、おお! ナルホド! と感心してもらえるような返答をすることだ。往々にして彼らはガンダムについて、トランスフォーマーの元祖っぽい(ということはつまり子供向けっぽい)、赤白青トリコロール(ちょこっと黄色も入っている)の巨大ロボが戦う宇宙活劇で、しかし見かけよりは大人対応なストーリーの作品らしいよ的な予備知識を備えてやってきて、まあ基本的に間違ってはいないのだけど、
 それで満足されても困るな
というのが、日本在住の文化翻訳者としての率直な実感だ。

 とはいえ、日本人でガンダム語りをできる人というのは往々にしてガンダム的なアレコレを内面化した上でドラマ構造の一般論を語ろうとするので、がんばって話を聞いても、その内容を第三者的な観点で再構築しにくい傾向があるのだ。これが何気に困る。魅力といっても自明ですからそれ以上因数分解できないんですよ、みたいな感じになるので。

 うむむ、実にもどかしい! どこに適切な表現があるのか?

 ときに、そもそも海外でウケる日本のマンガ・アニメ系コンテンツの多くには、外部観点から納得しやすい切り口と文脈が存在する。代表例をいくつか見てみよう。

 

『アルプスの少女ハイジ』

 かのゲーテの教養小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』のライト版的なものとして書かれた19世紀の傑作児童文学の上質なアニメ化、という直観的なプラス要素しかない超名作。無限に続くテレビ再放送によって、現代西欧のお子様の基礎教養の一部を成している存在といっても過言ではない。絵柄や雰囲気の精緻さゆえ、ヨーロッパ域内のどこかで制作されたと勘違いしている人も多いけど、実は日本製でその制作には宮崎駿が関わっている! と説明すると誰もが納得する神コンテンツ。ちなみに教養小説(Bildungsroman)とは人間の内面形成の成長プロセスを作品化するもので、その嗜みは、特にドイツではインテリ系の人生に不可欠なものとされる。

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