辛酸なめ子「お金入門」 13.超富裕層が密かに集う馬のオークション

辛酸なめ子「お金入門」13
類いない感性で世相を活写しつづける辛酸なめ子さんが、お金と仲良くなって金運をアップするべく模索する日々を綴ります!

「2700まーん、2700万、正面のお客様2800万、2900万裏手、3000まーん、3000万、3100万、3100まーん、3200万、3200まーん、3300まーん、3300万、3400まーん、3400万、お考えですか。3400万! もうワンビッドいかがでしょう。3500まーん、3500万裏手、3600万、3600万正面、3700万、3700万、3800まーん、3800万、3900万、3900万裏手、4000入りました、4000まーん……」

 秒単位で100万円ずつ上がっていく、天井知らずのオークション。物価高と言われている今、庶民の金銭感覚とは隔絶された空間で、非現実的な金額が飛び交っています。

 その日、私がいたのは「セレクトセール」の会場。日本競走馬協会が主催する、日本最大の馬の選抜市場です。「セレクト」とは上場される競走馬を主催者側で厳選セレクトしている、という意味だそうです。この名称を聞いたとき、一瞬セレクトショップのセールのことかと思ってしまいましたが、全然関係ありませんでした。この、秘密のベールに包まれたイベントを教えてくれたのは、富裕層の女友達、Mさん。日本競走馬協会の関係で、入場章を複数枚取ってくださり、私もご相伴にあずからせていただきました。

「セール会場は、購買者登録している方、及び同伴者のみ入場可能」と、ノーザンファームのサイトには明記されています。自力では絶対行けないセレブな世界。前からその友人に、リッチな馬主とその配偶者が来るので、ハイブランドや富裕層向け雑誌、高級車のブースも出ると聞いていて、いつかのぞいてみたいと思っておりました。7月の中旬、ちょうど行けそうだったので参加させていただきました。

 ちなみに、会場のノーザンホースパークの場所は北海道の苫小牧市。 新千歳空港より車で15分ほどの立地です。この日は日帰りで、朝4時台に起きて空港に向かいました。友人たちは、それぞれ ANA やスカイマークで羽田発の飛行機でしたが、私は節約して LCC を予約したので成田から……。超富裕層が集うイベントなのに、いきなり庶民感覚丸出しです。家から成田まではそこそこ遠くて、成田から北海道までよりも体力を消耗します。日帰りなので一日で家と成田の往復になってしまいました。さらに成田空港では、飛行機の乗り場がバスに乗らないと行けないところで……日帰りで LCC は、体力的に大人には厳しいです。

 台風が接近する中、ちょい揺れのフライトでしたが、9時30分過ぎに新千歳空港に到着し、友人たちと合流できたのでタクシーで会場に向かいました。入場料はフリーですが、入場章のチェックはありました。首から下げる入場章の裏側には、このセール出身のG1優勝馬の名前が並んでいました。まるで名門大首席卒業生リストのようです。

 はじめて訪れたノーザンホースパークは、木立に囲まれた草原のような美しい場所でした。ふだんは乗馬体験とか楽しいイベントがあるようですが、この日はセレクトセールに全振りです。広い敷地にはレストランや、屋根の下の席がたくさん並んでいて草上パーティのよう。Mさんによると、レストランは購買実績がある馬主は無料で利用できるそうです。また、屋外の良い場所の席も選ばれた馬主が座れるようで、密かにランク付けがされています。ちなみに前日入りしたMさんは、馬業界関係の方々と会食したそうですが「あの馬はどこで何着で……」とか「あの馬のお母さんはどこどこでケガして……」とずっと馬の話をしていたそうで、馬愛にあふれる人々が集まっているのかもしれません。

 会場には入場者なら誰でも利用できる無料のビュッフェコーナーがあり、カニやホタテ、そばやうどん、ステーキ、おにぎり、ドーナツなど食べ放題でした。お酒やお茶、コーヒーなどドリンクもたくさん用意されていて、高額で買った馬主のおかげで、これだけのサービスを享受させていただけるのならありがたいです。

 ノーザンホースパークの真ん中にある、大きな建物内で競りが行なわれていました。冒頭のようなオークションの口上で、金額がつり上がっていきます。なんとこの日は500頭以上が競りにかけられるとのことで、馬一頭あたり、数分で値段が決まっていました。ステージ上に引き手に連れられた馬が登場すると、馬によってスタート価格が違いますが、1000万円、2000万くらいからスタート。まだ1歳の馬たちは、急に人間たちの前に引っ張り出されて、値段を付けられ動揺しているように見えました。暴れたり、出て行こうとしたり「ヒヒ~ン!」といななく馬も多いです。アニマルコミュニケーションの霊能力がなくても「帰りたいよ~!」「ここにいたくないよ~!」と訴えているのが伝わりました。競走馬になりたい、という本人の意思もなく、将来を勝手に決められてしまい不憫です。でも、両親も名のある馬で、最高レベルの遺伝子と身体能力を受け継いだ馬たちは美しく、将来の可能性にあふれているように見えました。

 競りには会場の正面の席、裏側の見えない席、オンラインと3カ所から参加できます。会場では各所に立っているスタッフが、購買者の手の動きを察知すると「はい!!」とも「おい!!」ともつかない大声を上げて、進行役を務めるオークショニア(司会)が「8000万円!」などと誰かがビッドした値段を叫ぶ、という流れです。時折「圧倒的なパフォーマンスを見せた◯◯の二世代目でございます」と、馬の情報を入れつつ、「8100まーん、ございませんか?」「8100まーん、お考えですか?」と煽り、値段が決定したら「これがラストコール!」「○△のビッドにハンマーとなります」と「バコン!」という音とともにハンマーを降ろす、という段取りです。1億円を超えるとそれまで100万円刻みだったのが1000万円刻みになります。メンタルが強くないと参加できません。正面の人が競り合っていたところ、後ろの見えない席の人が急に入ってきて値段をつり上げて競り落とす、というパターンも多いようです。後ろの席は、人に競っているところを見られたくない、ガチの購買者の方が陣取っていると聞きました。その中には毎年のように高額で競り落とす京都の謎の老婦人などもいるとのことで、参戦している方々のプロフィールも気になるところです。年齢層は高めですが、この日、参加している人はカジュアルファッションなので、富裕層とは一見してわかりません。でも、聞いたら有名なコンサル会社の社長でお付きの人がいたり、競り落としたら牧場オーナーが駆け寄って慇懃に挨拶していたり、ただものではない雰囲気は伝わります。

 金髪に染めた若者も会場を歩いていて、IT系なのかユーチューバーなのか、大金を得て新規参入する人もいるようです。Mさんは「連れている女性が奥さんや社員なのか、それとも水商売系の女性なのかで、どんな人なのかわかる」と言っていてなるほどと思いました。ふと見ると、見るからに素人じゃなさそうなタイトのミニスカートの派手な女性を連れ歩いている男性が……。購買者のプロフィールは、馬を競り落とした時に明らかになります。モニターには、馬たちの呼び名と性別、毛の色、両親、販売者、購買価格、購買者の情報が流れていきました。

「ストリートバンドの2024 牡 黒鹿 父コントレイル 母ストリートバンド (株)レイクヴィラファーム 1億2500万円 (株)ライフハウス」
 
「チェリーヒロインの2024 牡 黒鹿 父キズナ 母チェリーヒロイン 社台ファーム 5600万円 The Racing Club(HKJC)」 
 
「エスメラルディーナの2024 牡 鹿 父クリソベリル 母エスメラルディーナ (有)ノーザンレーシング 1億円 藤田晋」

 といった内容です。「モシーンの2024」「パリスビキニの2024」と、まだ名前がついていないのか、お母さんの名前と出生年が呼び名になっています。「シークレットスパイス」「キラープレゼンス」「パネットーネ」「チェリーヒロイン」「コンペティションオブアイデアズ」「ノームコア」「ジャムアンドマム」など、馬の名前のセンスも興味深いです。

 また、父親の名前でよく出てくる人気の馬が「キタサンブラック」「イクイノックス(キタサンブラックの子)」「キズナ」「コントレイル」など。「キタサンブラック」は北島三郎が馬主で、実力ある馬の血統なので種付料は2000万円! 持っている人は、馬に関しても金運に恵まれています。「イクイノックス」「キズナ」も2000万円で、競走馬としての仕事を終えても稼いでくれています。シュールすぎたり組み合わせが変な名前よりも、強い馬は名前の語感にも説得力があるように感じます。でも、そんなスター級の馬は稀で、ほとんどの馬は高額で競り落としても元は取れないという厳しい世界です。いい調教師に預けたり、牧場に預託したり、ランニングコストもかなり高額になるそうです。

 それでも、セール会場にいると、時々億越えの馬が出現。「2億えーん、2億えーん」とか「4億えーん」といった非現実的な値段が連呼され、この日最高額がついた馬は4億2000万円でした。表記は42,000万円で、一瞬いくらか判読できませんでした。その馬、「モシーンの2024」は、父がキタサンブラックで母がモシーン。黒い毛がかっこよくて、筋肉のつき方も美しい牡馬でした。販売者はノーザンレーシング、そして購買者は、今年初参加のネブラスカレーシングだそうでした。購買者のグループが馬と一緒に記念写真を撮っていて、見ても何の業界なのか判別つかず……。あとで調べたらラウンドワンの社長の別名義団体のようで、そういえばラウンドワンのスポッチャにはロデオマシーンがあったことを思い出し、馬好きの予兆を感じました。 ネブラスカレーシングは次の日のオークションでも「ミッドナイトビズーの2025」を5億8000万円という高額で競り落としたようで攻めています。あの時馬と笑顔で記念撮影していた社員たちは、心の中で(こんな大金を馬に突っ込むならもっと給料上げてほしい……)と思っていたかもしれません。サイバーエージェントの藤田晋社長も馬を爆買いしていて、2日間で13頭を合計約22億円で落札したとか。ちなみにセレクトセールでの支払いは、基本、ローンではなく一括購入だそうです。あるところにはある、というか格差がエグいです。誰々が2億で買ったなら自分は3億……と、社長同士の競争心も煽られそうです。それにしても、もし自分が競りに出されたらいったいいくらつくのか、想像するだけで恐ろしいです。「800まーん、800まーん、いらっしゃいませんか?」と微妙な価格で止まりそうな……。

 秒で100万円ずつ上がっていく競りの価格で金銭感覚がおかしくなり、会場内にはグッチやアストン・マーティン、ファルコネーリなどのブースがあったのですが、グッチの28万円のバッグが一瞬安く思えて買いそうになりました。アストン・マーティンも6000万円台で800馬力以上あると聞くと、馬よりもコスパが高いように思えてきます。この景気が良すぎるイベントに行ったおかげで、長年の貧乏性が少し治った気がします。でも、帰りの飛行機は、友だちが羽田に飛び立つ中、ひとりだけ LCC で遠い成田空港で……。また現実に引き戻されました。

今月の一言

億単位が当たり前の現場に数時間いるだけで、金銭感覚がステージアップします。

 

辛酸なめ子「お金入門」13 イラスト

(次回は9月24日に公開予定です)

 


辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
1974年東京都千代田区生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部卒業。漫画家、コラムニスト、小説家。著書に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『女子校礼讃』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』『大人のマナー術』『煩悩ディスタンス』などがある。
Xアカウント@godblessnameko

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