作家を作った言葉〔第12回〕宇佐見りん

作家を作った言葉〔第12回〕宇佐見りん

 三作目を書いている頃、芥川賞について父方の親戚が祝ってくれたことがあった。祖父の葬儀以降集まる機会もなくなり、コロナ禍だからと Zoom で開催することになった。Zoom をつないで飲み食いする会だとばかり思っていたら、ちゃんと式次第があった。伯父がつくってくれたのだそうで、それに沿って皆が作品の感想を述べたり、私から挨拶したりする。父方の親戚たちはきまじめであたたかい。祝われながら、私は三作目『くるまの娘』が主人公の家族および架空の親戚にまたがる話であることを不安に思った。作家は現実のエピソードの断片を虚構のためにつぎはぎすることがある。人格を善人からまったくの悪人にしたり、街でみかけた人を思い出して親戚の一人として突然登場させたり、問題を誇張し別の問題に変えてみたりして「物語としてのリアル」をつかもうとする。多くの作家はそうして真実味のある虚構の話をつくりあげてきたのではないかと思うが、ある時期自殺する作家があとを絶たなかったのはこのあたりに理由があるのではないかと邪推する。つまり物語に書かれたことがゆるぎないはずの現実を疑わせるのだ。小説が読む人に真実かのように作用してしまい、作家がどこが真実でどこが虚構か説明しても傷つけたまま取り返しがつかない。そういうことが、とくにファンタジーではない作品には多々起こる。

 私の一作目を読んだ会社の同僚から、父は「離婚していたんですか」と訊かれたらしい。うーちゃんの父親である「とと」と父を重ねたのだろうか? だが父は「とと」とは違う。正反対である。厳しく、愛情表現はかなりへたくそで不器用だが、本当に眩しいほどまじめな人だ。『かか』で「とと」を書いたのは物語が要請したからで現実とは関係がない、ということを作家でない人に伝えるのは難しい。「式次第」と打ち込まれた Zoom の画面、伯父をはじめとする親戚が私のために用意してくれた会。それらは、現実世界の私が、静かな、たしかな愛情のなかで育ったことを意味する。私は小説を書く。だが情のこもった「式次第」のフォントは、所詮虚構に過ぎない小説などはるかに凌駕して、これからも私の心にあり続ける。

 


宇佐見りん(うさみ・りん)
1999年生まれ。2019年、『かか』で文藝賞を受賞しデビュー。同作は史上最年少で三島由紀夫賞受賞。第二作『推し、燃ゆ』は21年1月、芥川賞を受賞。最新作に『くるまの娘』がある。

〈「STORY BOX」2022年12月号掲載〉

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