作家を作った言葉〔第14回〕寺地はるな

作家を作った言葉〔第14回〕寺地はるな

 作家はいつ「自分は作家だ」と自覚するのだろう。わたしはデビュー作を刊行してから数年が過ぎてもまだ自分を作家だと思っていなかった。自身のことを「非正規雇用者で、たまに小説を書いている主婦」と認識していた。作家という職業になにか華々しい、特別なイメージを持っていたせいで、こんなわたしが作家を自称するなんて図々しいのでは、ぐらいに思っていた。

 三十五歳になるまで、小説を書いたことはなかった。でも書いてみたら楽しかった。それまで生きてきて心から「楽しい」と思ったことなど、ほとんどなかったのに。わたしにとっては書く行為自体が大きな喜びで、その他のことは単なるオプションであるとも感じていた。

 ある一通の手紙が、そんなわたしの考えを大きく変えた。『今日のハチミツ、あしたの私』を偶然手にとったという女性からの手紙だった。その手紙には「あなたの小説を読んで生きかたを変えようと思いました」という意味のことが書かれていた。

 わたしの小説が、ひとりの人間の生きかたを変えてしまう。正直、こわいと思った。これは、とんでもなくこわいことだと。

 わたしが作家を自称するなんて。それは謙遜のふりをした「逃げ」だったと、今ならわかる。他者に向けて言葉を発すること、それに伴う大きな責任を引き受ける覚悟ができていなかっただけだ。

 それ以来、ただ「楽しい」という気持ちだけでは書けなくなった。小説を書くのは、とんでもなくこわいことだ。それでも書くのか。それでも書かなければならないようなことなのか。今でも、一行書きすすめるごとに自分自身に問いかける。

 わたしを「作家」にしたのは、一通の手紙だった。大切な手紙だからこそ、めったに読み返すことはない。ひきだしの奥にひっそりとしまってある。

 


寺地はるな(てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞し、デビュー。2020年度「咲くやこの花賞」文芸その他部門受賞、2021年『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞を受賞。著書に『声の在りか』『雨夜の星たち』『ガラスの海を渡る舟』『カレーの時間』『川のほとりに立つ者は』など。

〈「STORY BOX」2023年2月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『聖女か悪女』真梨幸子
◎編集者コラム◎ 『すべてあなたのためだから』武内昌美