作家を作った言葉〔第16回〕年森 瑛

作家を作った言葉〔第16回〕年森瑛

 入学当初から学年首席街道を爆走していた彼女に対して私は職員会議にかけられる程度に問題児だったので、難関大合格実績の数字として彼女を慈しむ担任にはあまりの不釣り合いさに交友の事実を訝しまれるような関係だった。担任なんか彼女の通学バッグの底で押しつぶされた鼻水つきティッシュの存在も知らないくせに。

 まだ受験に本腰を入れる前だったか、彼女が「最近面白い小説がないのよね」とこぼしたから(字幕の女みたいに喋る人なのだ)、彼女の人生にできるだけ楽しい時間が多くあるようにと願っていた私は悲しくなった。面白い小説はいくらでもあるけれど、岩波少年文庫と青い鳥文庫とヤングアダルトの棚を抜けた先にある、一般文芸という名でひと括りにされた棚の中から彼女が踏みにじられずに済む世界を引き当てるには、その棚はあまりに広大すぎた。

 それで、もう闇雲に探すより私が面白い小説を書くほうが早いんじゃね、と書き上げた翌日、遅刻寸前で滑り込んだ朝礼の終わらなさにやきもきしてやっと担任が消えた瞬間に彼女の席へ走ったくせにいざ渡したら不安になり、たぶん面白くないし途中で読むのやめていいからとか言い始めた私を無視して彼女は紙束をめくり続けた。読み終えて、「まあまあ面白かったけど主人公の母親のリアリティが薄いわね」と笑っていた。

 それで作家を志した、なんてことはなく、自発的に書いたのはその一度きりだった。小説を書くのは全然楽しくないし、読んでいるほうがずっとよかったから。ただ、彼女に向けて書いていたときも、デビュー作を書いていたときも、せめて小説の世界には私の好きな人の安全圏があってほしいと、現実社会に降伏する日々の中で鼻先に残ったわずかな祈りが私に小説を書かせるのだった。

 


年森 瑛(としもり・あきら)
1994年生まれ。2022年、『N/A』で第127回文學界新人賞を受賞しデビュー。同作は第167回芥川賞にノミネートされた。

〈「STORY BOX」2023年4月号掲載〉

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