作家を作った言葉〔第24回〕図野 象

作家を作った言葉〔第24回〕図野 象

 たぶん嘘つきなのだろう。二十一歳のころ、四歳年上の大学院生とアルバイト先で仲良くなった。毎日のように会い、飲みにいき、朝まで麻雀をした。

 彼は自分が小説家で、それなりに大きな賞を取り、単行本も出ていると言った。事情があって詳細は明かせないが今は違うペンネームで書いている、と名刺をくれた。そのとき書いていた原稿も見せてくれ、難解な言葉でややこしいことが書かれてあるその小説を、わたしはおもしろいと思った。

「谷崎潤一郎賞にノミネートされたことがある、大江健三郎さんだけは好意的に評価してくれていた」という大きな話にいよいよ怪しく思ったが、それを嘘と見破ることに益はなく、そうですか、と話を聞いた。知り合いの作家の話や、パーティーで会った有名人とのツーショット写真にも真実味はなかったが、別に気にならなかった。とても楽しい人で、わたしは好きだった。

「小説でね、俺は世界を変えるよ」

 タバコをくわえながら言うその横顔が、とても格好よかった。彼は実際に小説は書いていたわけだし、そういう思いもあったのだろう。

 そもそも、彼が嘘つきだからといって、それがどうしたというのだ。小説という虚構の世界では、そのリアルさだけが求められているわけではなく、嘘が嘘であることの美しさが必要なのであって、現実味を帯びていないことが罪なのではない。彼はたぶん大学院生でさえなかったし、語られるほとんどが嘘だったのだろうが、世界を変える小説を書くというその言葉には熱があったように思う。

 事実、世界中の先人たちがあらゆる形で小説を書いて、それで世界を変えてきたことを思えば、彼の言葉というのは全然不思議ではない。というか小説を書くということは、大きい意味では世界を変えたいがためになされている行為であって、小説を書く者は誰しもそのために日々文章を書いているはずであって、だとすれば彼の言葉はやはり真実に違いなかった。

 


図野 象(ずの・しょう)
1988年大阪府生まれ、在住。2023年「おわりのそこみえ」で第60回文藝賞優秀作を受賞。


源流の人 第40回 ◇ 稲田俊輔(料理人、飲食店プロデューサー、南インド料理店「エリックサウス」総料理長)
◎編集者コラム◎ 『見果てぬ花』浅田次郎