作家を作った言葉〔第28回〕大崎清夏

作家を作った言葉〔第28回〕大崎清夏

 改めて作家と言われると、きょうしゅくしてしまう。ほんとうに私が? あんな人やこんな人と同じ肩書きを? 使っていいんでしょうか? という気持ちになる。

 詩に恋をして、詩を読み、詩を書いてきた。だから詩人ではあると思う。それでもそう呼ばれはじめた当初は、恥ずかしくて顔に浮かぶ照れ笑いを隠すことができなかった。このままでは、一生照れたまま死んでしまう。それはやめようと思って、恥ずかしさを乗り越えて自ら詩人を名乗るようになった。

 書くことはやめられないだろうなと思っていた。それは読むことと同じく私の呼吸の一部みたいなもので、肩書きではなかった。自分の本が書店に並ぶことが夢だったけれど、自費出版の詩集を作っていた頃は、書店に行って面白そうな本があるとむしろ拗ねるような気持ちになって、心を乱しながら何も買わずに出たりした。書店における詩集コーナーの小ささに、浅く絶望したりもした。

 いつ詩人になったのかも、いつ作家になったのかもわからない。けれども私はともかく何かを書いて息をしてきて、いまでは誰かがそれを読んでどこかで泣いたり、勇気づけられたりしているらしい。そのことに、いまだにびっくりしてしまう。作家を作った言葉というものがもしほんとうにあるなら、それはきっと作家が浴びてきた言葉すべてじゃないだろうか。赤んぼうの私に母親が歌った子守歌も、私の知らない言語で書く詩人が目の前で朗読してくれた詩の響きも、泊まったホテルの薄い窓の向こうから聞こえてきた意味不明の怒鳴りあいも、発情期の猫の叫び声も。

 

「巾着袋を作る手を止めて、もう、読み始めています。吸い込まれていきます」

 二ヶ月ほど前、ある読者の方がこんなメッセージを送ってくださった。そんなふうに読める本が手元にあることの幸福感を、私も知っているな、と思う。作家でも詩人でもなかった頃から私がひとりの読者だったこと、きっと死ぬまで読者でいるだろうこと、そのことが、まるでひとつの大地みたいに、私にとても深い安心と心強さをくれる。

 その本の著者名のところに、私の名前がある。それで私は、そうだったそうだった、私って、作家になったんだった、と、何度も何度もびっくりしながら、思いだすのだ。

 


大崎清夏(おおさき・さやか)
1982年神奈川県生まれ。2011年「ユリイカの新人」に選ばれデビュー。第二詩集『指差すことができない』で中原中也賞受賞。著書に、『目をあけてごらん、離陸するから』『私運転日記』、第1詩集『地面』ほか初期詩集3作をまとめた『大崎清夏詩集』などがある。


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