作家を作った言葉〔第29回〕小林早代子
通っていた大学のほど近くに「ごんべえ」といううどん屋があった。半地下になっている店の隅では、白くて無愛想な看板猫が居眠りしていた。カツ丼が名物のようだったが、私はいつもだいたい「もつ煮ごんもり」というもつ煮風のつけ汁うどんを頼んでいた。うどんは1杯までおかわり無料、かやくごはんもついてくる。それでいてお値段が650円と、今思うとかなりお手頃だった。でも当時は、それを特別安いと感じていなかった。大学周辺には学生に優しい値段設定の飲食店が溢れていたのだ。
小説を愛する学生の多くがそうであるように、私の就職活動はてんでうまくいかなかった。所属していた文芸サークル内で、編集者か大学職員を目指すという謎の流行があり、私もそれらを中心に幅広い業種を受けていたが、もう笑っちゃうほどどこにも引っかからなかった。実際は笑ってなどおらず、普通に日々ぶちぎれていた。
自分をどうにか鼓舞するため、当時は有線が主流だったイヤホンをスマホに挿して、移動時には常に爆音で音楽を聴いていた。とりわけ、セーラームーンRのエンディングであった石田よう子の「乙女のポリシー」や、℃-ute の名曲「Danceでバコーン!」 を鬼リピしていた。
「Danceでバコーン!」といえば、「帰りにうどん食べてくわ 明日が待ってるもん!」というパンチラインがあり、℃-ute のコンサート終わりには会場周辺のうどん屋が満席になるらしいが、私にとって「帰りにうどん食べてくわ」といえばごんべえのもつ煮ごんもりだった。
結局、就活が始まって1年以上経ち、就職留年も視野に入れ始めた大学4年の冬にようやく都内の私大から内定が出たのだが、忘れもしない入職日前日の夜、出版社から新人賞受賞を知らせる電話がかかってきたのだった。
いま仕事でやりとりのある出版社からは、ほぼすべて就活のときに不採用を食らっている。当時は理不尽に感じていたが、優秀な編集者の方々と接していると、私みたいなもんは落ちて然るべきだったなという気持ちになる。
私は現在アメリカで暮らしており、蕎麦屋でパートしているのでありがたいことにうどんを食べる機会も結構あるのだが、ごんべえで食べていたようなうどんとミニ丼のセットは日本円換算で3,000円くらいする。コロナ禍で大学周辺の飲食店の多くが閉店を余儀なくされたようだが幸いごんべえはまだ営業しているようなので、またもつ煮ごんもりで Dance でバコーン!したい。
小林早代子(こばやし・さよこ)
1992年埼玉県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2015年「くたばれ地下アイドル」で第14回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。他の著書に『たぶん私たち一生最強』など。