【5回連続】大島真寿美、直木賞受賞後初の書き下ろし小説『たとえば、葡萄』独占先行ためし読み 第5回
作家生活30周年となる、大島真寿美さん。直木賞受賞後初の書き下ろし小説『たとえば、葡萄』が、9月16日に発売されます。独占先行試し読み第5回目・最終回は、コロナ禍でオリンピックが延期になるなど、世の中の情勢から就職活動どころではなくなってしまった主人公・美月。最初は楽観的に捉えていた大人たちも仕事に影響が出始めたことで、徐々に事の深刻さを理解し始めて……。
【ためし読み最終回】 気になる続きは『たとえば、葡萄』単行本(9月16日発売)で!
第1回~第4回まで、独占先行ためし読みをお届けしてきましたが、今回で最終回。物語は動き、登場人物たちがそれぞれの経験や悩みと向き合いながら、前に進む姿が清々しく描かれます。大島真寿美さんが、直木賞受賞後初めて書き下ろした、そして作家生活30周年を記念した今作。ためし読みからの気になる続きは、単行本でぜひお読みください。読後、明日に希望が見えてくるはずです!
【前回までのあらすじ】
母の友人の三宅が市子宅を訪れ、母親も今の自分と同じ年齢で売れてきたばかりのモデルの仕事を辞め、自分を産んだことを知る美月。マスクを販売して利益を得ていた三宅に誘われ、モデルをすることになった美月は、仕事を辞めた理由について問われて当時のことを思い出してしまう。
【今回のあらすじ】
三宅の販売するマスクのモデルを終えた美月は、就職活動用の写真も撮ってもらっていた。そんな中、カメラマンの土方から、周囲の大人たちもやりたいことが見つからず、ぐらぐらしていた時期があったことを聞かされる。就職活動を再開しようとした矢先、コロナ禍の影響からロックダウンの噂まで出てくるが……?
【書籍紹介】
『たとえば、葡萄』9月16日発売予定
https://www.shogakukan.co.jp/books/09386656
【大島 真寿美 プロフィール】
1962年愛知県名古屋市生まれ、1992年『春の手品師』で第74回文學会新人賞を受賞し、デビュー。2012年『ピエタ』で第9回本屋大賞第3位。2019年『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で第161回直木賞受賞。その他の著書に『虹色天気雨』『ビターシュガー』『戦友の恋』『それでも彼女は歩きつづける』『あなたの本当の人生は』『空に牡丹』『ツタよ、ツタ』『結 妹背山婦女庭訓 波模様』など多数。
【本編はこちらから!】
翌週のマスクの撮影は、粛々と、というか、さくさくと、というか、順調に行われた。天気もよかったし、これといったトラブルもなかったし、段取りもよくて、土方さんが、おれはさ、美月を子供の頃からずーっと撮ってんだから専属カメラマンみたいなもんなんだよ、キャリアがちがうんだよ、キャリアが、とかなんとかいって、素晴らしい仕事っぷりをみせてくれた。
おれは美月のどこをどう撮ればいいか、よっくわかってっからさ、とたいした指示もないのにそれはもう、あっという間に撮っていく。
しっかしあれだよ、マスクした顔なんか撮ったって面白くもなんともないんだけどよう、まあ、それを撮れってんだから撮るけどもよう、これだと腕の見せどころがないんだよなあ、と土方さんはぶつぶついい、公園に撮影場所を移してからは、マスクをはずした写真も撮りたいというので、少しだけ付き合って、ついでにちょっと証明写真ふうのまじめな顔したやつも撮ってもらった。就職活動で必要になるかもしれないし。
「なんだよ、また就活すんのかよ」
撮りながら土方さんがきく。
「まあねー」
「あ、会社、辞めたっつってたもんな。つまりあれか、今は無職か」
「そうだよー。だからこんなことやってんだよー」
ははは、と土方さんが乾いた笑い声をたてて、ぐいと上を向く。つられてわたしも天を仰ぐ。すかさずシャッター音がする。土方さんが、腕で遠くを指差し、そっちを見ろという。またシャッター音がする。
「しかし、無職かー。すがすがしいなあ」
「なにそれ、嫌味?」
「嫌味じゃないよ、なんかいいじゃないか、無職。まだこれから、なんにでもなれるってことだろう」
「えーなれるかなあ?」
「なれるだろ。少なくともおれらよりはなれる確率は高い」
「そらまあそうかもしれないけどさあ。でもさあ、なにになりたいか、わかんないから困るんだよねー」
「あー、それなー。おれもそんなもんだったよ、美月くらいのころ。カメラ、いっぺんやめてるくらいだしな。デザイナーとしてやっていけるかどうかも甚だ疑問だったし、編プロ入ってみたり、やめて旅に出てみたり、ぐらぐらだった。な、市子、そうだよな。市子だって、そうだろ。ぐらぐらしてたろ。奈津ちゃんだってそうだよ。みんなぐらぐら、ぐらぐらしながらやってきたんだよ」
撮り終えた土方さんは撮影機材を片付けだし、市子ちゃんもパソコンやらなんやら細々した道具を片付けていく。
三宅ちゃんはとっくにいなくなっている。
「まあたしかに、ぐらぐらしてたねー、あたしもあんたも。それでもどうにかここまでやってこられたんだから、あんがい、なんとでもなるもんだよねー」
市子ちゃんがいうと、土方さんが、うなずいた。
「そうなんだよ、あんがいなんとかなるもんなんだよ。ぐらぐらの時期にやってたことがあとあと意味を持つっていうんかな。カメラも役に立ったしな、だんだんと統合されていくっていうんかな、おもしろいもんだよ。じたばたやってるうちになんとなくどうにかなってきて、ようやくここまでたどりついて、おー、ついにこんなところにきたのか、あーやれやれだ、もーへとへとだ、あと少し現役つづけたら引退だな、と先が見えてきたところで、新型コロナだ。くっそー。なんだよ、新型コロナって。ったく、
と、唐突に土方さんが、愚痴をこぼしだした。雑誌関係やイベント関係の仕事がコロナウィルスのため、日に日にキャンセルされていっているらしい。
「そっちはどうだ」
「わたしの方はそこまで極端じゃないけど、人と会う約束はここ数日でばたばたっと消えたよね。まあ、一時的なものだとは思うけど」
「一時的かー? そうかー? オリンピックがどうなる、やるか延期か、つってんだぞ。これが夏まで続くって踏んでるからそんな話になるんだろ? まあまあ長期戦に突入しつつあるってことなんじゃないのか?」
「かなあ?」
「そんな気がするけどなあ。やばい気配がぷんぷんするぞ」
「またそういうことをいう。どこかで落ち着いてくれるんじゃないの」
「だといいけどな。ま、どっちにしろ、おれらみたいな、年寄りのフリーランスはいいんだよ。かわいそうなのは子供養ってる現役ばりばりのやつらだよ。長引いたら、きっついぞ。あてにしてた仕事が飛ぶっつーのは地味にダメージくらうからな」
「でもまあ、ほら、だいぶ暖かくなってきたことだし、そろそろウィルスとやらもおとなしくなってくるんじゃないの」
基本的に家で仕事をすることの多い市子ちゃんは、どことなく
とはいえ、市子ちゃんはここ何年か、自費出版で自分史などを出す人の、いわばゴーストライター的な仕事をメインにしていて、そっちの仕事は当人に直接会って何時間も話を聞き、打ち合わせをして、相手のリクエストに沿って形にしていくというものだから、けっこう影響はあるようだった。進行中のものも、新規のものも、いくつかは当面、保留もしくは延期になっているらしい。
まあ、そりゃ仕方ないよ、いまは対面で長時間って難しいし、高齢の人が多いからリモートもできないっていうし、残念だけど状況が落ち着くのを待つしかない。幸い、あとは書くだけ、ってところまできてるのがいくつかあるから、そっちをやってれば、どうにかなるしね。
と、市子ちゃんは比較的冷静ではあるものの、なるべく早く元に戻ってほしいと願っているのはまちがいなかった。
「気温なー。気温で死滅するウィルスだといいけどな。なんかあれだろ、そうでもないかも、っていわれてるんだろ」
「にしたって、日本には、梅雨ってもんがあるんだしさ、あのじめじめ、じとじと、べったべたの時期にウィルスが生き残れると思う? ある程度、死滅してくれるでしょうよ。で、夏になれば猛暑だよ。そこで、もう一段階、強烈な太陽光が降り注いでくれて、残ったウィルスを殺してくれるんじゃないの」
「ふーん。そうなるといいけどな。しかしそれにしたって夏だろ。そんな時期までこのウィルスが生き延びてたら、おれらのほうが干上がっちまうぜ。こんな感じで夏までいったら日本は終わりだ」
さすがの市子ちゃんも黙る。
日本、終わらないから、と即座にいいかえさないところをみると、うっすら、そんな可能性を感じているのかもしれなかった。
楽観論が悲観論に負けそうになっている。
「三宅ちゃんの低空飛行に
といってみた。
「はあ?」
二人がぽかんとしている。
「だからさ、三宅ちゃんの事務所ってどこをどう
なるほどー、それは一理あるな、と土方さんがいう。
ちょっと美月、そんなこと三宅ちゃんがきいたら泡吹くよ、といいながら市子ちゃんが
「ね、だからそっちに賭けようよ。マスクいっぱい作っちゃったけど、売れ残ってたいへん、っていってる三宅ちゃんをイメージするんだよ。みんなでイメトレして、そんな明るい未来を、引き寄せるんだよ」
ね、ね、そうしようそうしようと二人を
でもなんかそれはそれで三宅ちゃんがかわいそうな気もする、とか、すでに巻き込まれている人間もいるんだしそれを明るい未来といっていいのかよ、とか、二人はむにゃむにゃいっていたけど、この際、三宅ちゃんに暗い未来を一手に引き受けてもらって、我々の未来を明るくしようではないか、と力説してみた。
だってこのまま、こんなことが続いてしまったら、就職活動だってままならなくなってしまう。
そうやって、人を陥れるような、っていったって、そんなの想像上のことにすぎないのだけれども、それにしたって、そういう
うげ、まじかー、と叫んだのはいうまでもない。
二〇二〇年、明るい未来はどこへいった。
コロナウィルスによって世の中の深刻度はますます増し、じきに日本もロックダウンするのではないかという噂まで、まことしやかに
外国ではいくつか、すでにロックダウンしたところがあって、だから、日本でそれが始まってもふしぎではなくなってきている。
っていうか、正式にロックダウンしていない、ってだけで、すでに準ロックダウンとでもいえるような感じでもあって、人々はすっかりマスクを手放せなくなっており、外出もなるたけ控えるようになっていた。
マスクの品薄状態にも拍車がかかり、おかげで三宅ちゃんのところのマスクは売れ続け、準さんの作ったデザイナーズマスクといっていいような凝りまくりのマスクも高額のわりに出品するとすぐさま売れていくらしい。それはそれで驚きだった。だって本気で高いし。それでも買う人がいるってことは、差別化をはかりたいという気持ちが根底にあるからにちがいなく、いわゆる一点もの、というのは、ある種の人々の購買意欲をそそるものなんだなー、とあらためて認識せざるをえなかった。
しかしながら三宅ちゃんはやはり棚ぼた、というほど儲けてはいないらしいのだった。ほらね、やっぱりね。みんながちょっとずつ儲けてるからそれでいいのだ、と負け惜しみをいっているが、どんぶり勘定でやってるんだからそんなもんだろうよ、と思うしかない。手間暇かかっているわりに、たいした稼ぎにもならず、事務所は相変わらずの低空飛行だそうで、そこはもう、イメトレなんかしなくったっていつもとおんなじなのだった。
で、そんな凝りに凝った準さんの作るマスクなんかを頻繁に目にしていたせいか、政府が配るといいだしたマスクがテレビ画面にうつったとき、陳腐すぎて、言葉もなかった。ねえ、ちょっと、市子ちゃん、これをみんなに二枚ずつ配るんだってよ、どうよ、これ、いくらなんでもこれはなくない? といってみたが、市子ちゃんのコメントは、うわ、この人、たしか美しい国とかいってたと思うけど、美意識どうなってるんだろうね、というものだった。美意識。そっちか。
市子ちゃんが、悲しげに首を振る。だって、こんな姿のトップリーダー、他の国にいる? 美意識おかしいでしょう。
たしかに。
そうか、美意識という一つの基準だけでもいろいろなことがわかるのかもしれない。
きちんと美しい。
うわべだけでなく、
そういうものをちゃんと見極めていかないと、いろんなことがでたらめになってしまう、ということは、曲がりなりにも、美しさを求める業界で働いている間に学んだような気はする。デザインひとつとっても、新しい商品のコンセプトひとつとっても、モデルさんだって、内側まで美しい人はたしかにいて、そういうことをいちいちおざなりにしないでこだわりをもって進めていくとうまくいくのだった。って、まあ、それを貫くのがどんだけ難しいか、
「たしかにああいうへんてこなマスク見ちゃうとさ、準さんのマスクが桁違いに美しいってのはよくわかるけど、しかし、準さんのやつは、あれはもはやマスクというよりアートじゃない?」
画像でしか見ていないけれど、準さんのマスクは透かし模様みたいな刺繍だったり、細かいビーズの縁取りだったり、この際パリコレででも使ってもらったら、と冗談のひとつもいいたくなるようなものに進化していて、あれからだいぶ
「アート上等」
と市子ちゃんがいった。
「は?」
「こういう時期だから、余計、そう思うのかもしれないけど、そういうのってやっぱり大事じゃない? シンプルバージョンだって、みんな、すごく丁寧にきちんと作ってるから美しいし、人々の役にも立ってるし。三宅ちゃんとしてはやってよかった、って思ってるんじゃない?」
「それはそうかもしれないけどさ。まあ、たしかに、使い心地もいいよ。うん。それはそう。今となっては、撮影に使ったやつ、ぜんぶ
「べつにまだいっぱいあるから、遠慮なく使ってくれていいよ。てか、あんた、ぜんぜん出かけてないからそんなに使ってないじゃない」
「だってコロナだし、外に出かけられないじゃん。市子ちゃんだってぜんぜん出かけてないでしょ」
「出かけたくても、キャンセルの嵐で出かけられないんだよ。まったく困ったもんだよ。買い物だってご近所だけだし。こんなこと、いつまで続くのかねえ。あーあ、今年は花見もなしかー。なしだねー」
ですねー、と思うしかない。
せっかく春がめぐってきて、桜も咲きだしたというのに、しかも今は無職でとことん暇なんだから、いくらでも遊べるっていうのに、人と集うのは、さすがにやめといたほうが無難、と思ってしまうのだった。だから、誰とも連絡を取っていない。そもそも会社の同僚や、仕事関係で知り合った人にはもういっさい連絡はしていなくて、そうなると、いったい誰と遊べばいいのかわからなくなってしまった、というのもあるにはあった。そうか、ここ数年、わたしはそっち系の人とばかり付き合ってきたんだな、ということにもようやく気づいた。忙しいと自然にそうなってしまうらしい。会社にだって、相当親しく、仲良くしていた人もいたけれど、いざ会社を辞めてみたら、わざわざ連絡して会うという関係でもないような気がして、って、まあね、そりゃ、連絡したらしたで楽しく会ってきゃあきゃあ話せるとは思うけど、でもそれ、したいかな? 少なくとも仕事の話や会社の話や、共通の知り合いの噂話なんかしたいとはまったく思わなかったし、そうすると何を話せばいいのかわからないのだった。いったい何の話で盛り上がればいいんだろう。それらを省いて話せるだけの蓄積がほとんどないとわかっていまさらながら驚いてしまう。いや、あえて、そうしていた、ともいえるんだけど。なんかこう、あそこではプライベートをさらけだして付き合うのを避けていたのはたしかで、だから恋愛の話なんかもしてこなかったし、したとしても、さらっと当たり障りのない感じで流していた。でもそれは、みんなもそうしていたからでもあって、お互いそこまでの付き合いを求めていなかったというより、そこまで余裕がなかったんだろうと思う。面倒な相談とかされても困るって感じだったし、ディープな話題で
会社を辞めていなかったら、まだあんな感じでやってたんだろうな、とは思う。そこそこ楽しかったから、会社を辞めてもそんなに変化しないように思っていたけどちがってた。会社あっての関係だった、とよくわかった。
高校時代からの友人の香緒には久々に連絡とってみようと思ってるけど、コロナになっちゃって、機を逸してしまっていた。ここ何年か、ほんとに疎遠になっちゃって、あの子はSNSもろくにやってないから、今なにをしているのかもよくわからなくて、って、それは向こうからしてもおんなじだろうけど、連絡をとってみようという気持ちが湧いたのは、まじであの子だけなのだった。それにひきかえ、大学の友達とかとは、もうあんまり、繋がりたいとは思わなかった。繋がろうと思えば繋がれるし、つか、SNSで繋がってるといえばずーっと繋がりつづけているわけだけど、あんなのはこう、みんなの様子をふわっと景色みたいに眺めてるだけで、確実に繋がっているとは言い難い。すでに結婚している子や子育てしてる子やバリキャリで奮闘してる子や、海外で暮らしてる子や趣味に生きてる子や、それぞれがそれぞれの人生を、今どう感じているか、どう楽しんでいるかの、プレゼンをみるように把握してるわけだけど、それでもうじゅうぶんな気がしてしまう。こんな感じでゆるっと繋がり続けていたらそれでもういいのであって、わざわざコロナのなか、個別にきちんとメッセージを送って会いたいとまでは思わなかった。まあね、コロナだしね、誘っていいものか迷うしね、コロナだしね。コロナだし、コロナだし、コロナだし。
って、あれ。コロナが踏み絵みたいになってる?
いや、コロナが言い訳みたいになってる?
もたもたしているうちに、今年の桜は咲き誇り、その桜も散っていき、ついに緊急事態宣言とやらが出て、街はロックダウンに近い状態になってしまい、えー、こんなことあるんかー、ってくらい閑散とした街中に
『たとえば、葡萄』第1回は、こちら!
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初出:P+D MAGAZINE(2022/09/15)