こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「空を舞うフィッシュサンド」

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「っだよ……」

 一体俺が、何をしたというのか。

「何なんだよ、マジで!」

 虚しい怒声が辺りに響く。向かいの通りを歩いていた老人が、柵越さくごしに何事かという顔でこちらを見ている。にらみ返すと、そそくさと立ち去っていった。またクレームが入るかもしれない。背のデカい店員が店の裏で奇声を発していた、とかなんとか? 望むところだ。これでクビになるなら、それはそれで本望じゃないか。

 そもそも、最初からこんなところで働きたくなんかなかった。昔から人前に出るのも、しゃべるのも、全然得意じゃない。中学生の夏休みに突然、何かのバグみたいに身長が伸びたせいだ。それまでは、教室でも前から数えた方が早かったのに。背の割に大して運動神経がよくなかった自分が、体育の時間に陰で「有働の大木」とか呼ばれていたのも知っている。やたら声が低くなったのもその頃だ。クラスメイトに声を揶揄からかわれたり、声真似こえまねをされるのが嫌で、余計喋るのが苦手になった。そしたら今度は、黙っているだけで態度が悪いとか、むすっとしてるとか、そんな風に言われるようになった。正直、詰んでる。俺にどうしろっていうんだよ。俺だって、好きでこんな図体に生まれたわけじゃない。好きでこんな声をしてるわけじゃない。ていうか、こんな俺を雇った店長の采配ミスだろ。大体、さっき見てたんならその場で声かけろよ。そんなんだから、パートからめられんだよ。早く辞めたいってみんな言ってるよ。俺だってそうだ、撃沈続きのバイト面接で、俺を雇ってくれたのがたまたまここだったってだけで――。

「みぎゃ―――っ」

 突如耳に飛び込んできた、絹を裂くような雄叫おたけび。あいつだ、と気づくのに、そう時間はかからなかった。さっきの猫がでかい図体を引きずりながら、鬼のような形相でこちらに駆け寄ってくる。そいつが足を動かすたび、重力に負けた頬の肉が、ぶるんぶるんと揺れていた。有無を言わさぬ気迫に、俺が一瞬ひるんだのをそいつは見逃さなかった。甲子園球児ばりのスライディングを見せつけ、白身フライをがぶっとくわえる。さっきまでの緩慢な動きはどこへやら、気づいた時には猫は目の前から姿を消していた。脱兎だっとのごとく、とはこういうことを言うのだろう。まあ、あいつ猫だけど。



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『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

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