こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「メロンソーダと烏龍茶」
「私、男の人に興味ないんだ。ごめんねー」
ふいに、そんな言葉が耳に飛び込んできた。つい、声のした方を目で追ってしまった。じろじろと相手を確認するようなことをしたのは、酔いのせいだろうか。動いてしまった視線の先で、スーツ姿の小柄な女性が自分の顔より大きなビールジョッキを呷り、からからと笑っていた。それが、うーちゃんだった。
咄嗟に、あまり期待しないでおこう、と思った。一期一会の、こういう場だから。面倒を避けるために、ああいう断り方をする女の人もいる。ところがそれから十分も経たないうちに、今度はトイレでばったりうーちゃんと出くわした。
「あ」
うーちゃんも私に気づいたのか、どちらともなく会釈を交わす。
「あの、えっと。私」
自分のハンドルネームを告げようとすると、知ってます、と言われた。
「席、近かったですよね。たまに会話が聞こえてきて。あと、前に一回だけ一緒のチームで戦ったことあるんじゃないかな。その時ちょっとだけ会話したの覚えてます? たしか、年が同じじゃなかったでしたっけ」
「あ、ほんとに」
覚えてないか、とうーちゃんが独りごちるように言った。
「じゃ、改めて。私、ウーロンって言います」
「ウーロン、さん」
「本名がちょっと珍しくて、そこからなんですけど」
とその時、うーさん、こっちこっち、と彼女を呼ぶ声がした。ちょうど会話が途切れ、じゃあ、とお互いに頭を下げる。さっき席で、何回か目が合いましたよね。そう言いかけて、やっぱり止めた。その時点でなんとなく、予感めいたものがあったのかもしれない。用を足して手を洗い、軽く身だしなみを整えて外に出た。座敷に続く角を曲がると、うーちゃんがそこにいた。スマホをいじっていたうーちゃんが、私に気づいて顔を上げ、照れたようにこめかみを掻く。行かなくていいんですか、と声をかけると、それ言います? と笑われた。
「あの。ちょっとだけ、話がしたいなって。よかったら、ですけど」
どうしてあの時、うーちゃんの――というより、ほぼ初対面の人の提案に、何の迷いもなく頷けたのか。今となっては、よくわからない。みんなに黙って店を抜け出した高揚感もあって、私達は店を出てすぐ、駅前の小洒落たカラオケボックスに入った。なんだか大学生の時みたいだね、なんて言って。受付で、初めてお互いの苗字を知った。席に着くや否や、懐メロしばりね、とうーちゃんが次々曲を入れていく。うーちゃんの歌はお世辞にもうまいとは言えなかったけど、気持ちよさそうに声を出すうーちゃんを見ていたら、私まで楽しくなってくる。音程なんて、ほんの些末なことだと思えた。
うーちゃんに促されるまま、もちろん私もマイクを握った。なんだよ、うまいんかい、とうーちゃんが笑う。うろ覚えのラップ部分は、うーちゃんがそれっぽいメロディと自作の歌詞で埋めてくれた。その歌詞があまりにも適当過ぎて、二人で過呼吸になるくらい、げらげら笑った。
気がつくと、うーちゃんが私の肩を抱いていた。うわ、慣れてる、と思った。そのまま酔いに任せて、二人でひとつのマイクを握りながら、時折指を絡ませたりもした。手、冷たいんだね、とつぶやくと、うーちゃんは私を見つめて、足はもっと冷たいよ、と誘うような笑みを浮かべた。唇から漏れたアルコールの匂いが、ふわりと鼻をくすぐる。わざととも、偶然だともとれるような、微妙な距離。固まっていると、うーちゃんがふっと顔を背けた。あ、と思う間もなく、うーちゃんは私からほんの少しだけ距離を空けて、リモコンに手を伸ばした。
「次、何入れる?」
今のは何かの間違いですよ、と私に告げるように。
「……あ。私ちょっと、飲み物入れてくる」
まだ半分以上中身が残ったままのグラスを手に取り、バタバタと立ち上がる。ドリンクバーに向かう途中、自分の胸にそっと手を当てた。心臓がまだドキドキしている。
本当はあのまま、キス、して欲しかった。
『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ
こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。