話題沸騰、たちまち重版記念! 水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』ためし読み

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第一部  H署地域課

 

 

 独身寮の玄関を出ると、冷たい空気が頬を刺した。

 空はまだ薄暗い。桐嶋きりしま千隼ちはやは腕時計を見た。

 六時三十二分。

 警察官になり、昼夜を徹して勤務するようになってから、日の出・日没の時刻に敏感になった。いまは十二月下旬。警察署に着く頃には明るくなっているはずだ。

 原付バイクでの通勤途中、赤信号で停まると、傍らのコンビニでは、店員が外にテーブルを並べて店頭販売の準備をしていた。

 今日は十二月二十四日だ。クリスマスケーキやチキンがたくさん売れるのだろう。

 そういえば、私の家には、サンタが来なかったんだよね──

 ふと、千隼の脳裏に、幼き日の記憶が蘇った。

 千隼の両親はともに警察官で、駐在所に勤務する「お巡りさん」だった。夜、警察の制服を脱いだ後でも、不意の出動に備えて酒を口にすることはなかった。

 まして、クリスマスイブの夜となると、どこかで騒ぎを起こす人がいて、本署の応援に召集され、食べかけのケーキを置いたまま出ていくことばかりだった。

 千隼がひとりで布団に入り、目覚めても、両親はまだ戻っておらず、枕元にプレゼントはない。

 やがて帰ってきた父親は、プレゼントの包みを抱えている。既に千隼が目を覚ましているのを知り、残念そうに言ったものだ。

 ──外に置いてあったよ。サンタのやつ、今年も家に入れなかったんだね。うちは戸締りが完璧だから仕方ないね、なにしろ、うちは警察の駐在所だから──

 私の家は、友達のところとは何かが違う。

 幼い頃は寂しかったけれど、年を重ねるにつれ、いつしか千隼はこう思うようになった──お巡りさんは特別で、大事な仕事なんだ。私もいつかお巡りさんになるんだ、と。

 

 勤務先のH署へ着き、駐輪場に原付バイクを置く。千隼は、裏口から署内へ飛び込んでいった。

 今日はこれから、翌朝までの当直勤務。

 背中のリュックは着替えやタオル、夜中にこっそり食べるつもりのお菓子等々で膨れている。

 更衣室へ向かう途中で、副署長の野上のがみと出くわした。

「クリスマスイブの夜に泊まり勤務させることになって、すまんな」

 野上は無愛想に言った。千隼は、今日は本来ならば非番なのに、休暇取得者の交代勤務のため呼び出されたのだ。

「本部からの指示でな……このような特別な日には、小さい子どものいる職員を優先して帰らせることになった。警察も、いまや働き方改革が必要ということだ。恨むなら本部の連中を恨むように」

「いえ、大丈夫です。私、この仕事が大好きですから」

 千隼は二十六歳だが、まだ研修を終えて数か月の新人だ。新人は「交番のお巡りさん」からスタートという鉄則に従い、R県警のH署地域課に配属され、今は乙戸おつと交番に勤務している。

 高三のときに警察官採用試験を受けたが、学科で不合格となり、一度は夢破れた。

 自転車競技では国体優勝するほどの実力者だったので、関係者に乞われてプロレーサーの道へ進んだ。十九歳で競輪選手となり、ガールズレースを戦い、年間賞金女王の称号を三回も獲得している。

 ナショナルチームにも選出され、オリンピックのケイリン競技で銅メダルを獲った。

 すると、生活が息苦しくなった。取材が殺到し、幾度もカメラの前に立たされる。競技団体のCMキャラクターにまでされてしまい、素顔のままで街を歩くのが怖くなった。

 そこで、猛勉強して幼い頃からの夢に再チャレンジしたのだ。電撃引退の理由を聞かれ、千隼はこう答えた──「やっと警察官採用試験に合格できたから」と。

 警察官の制服に身を包んで街頭に出れば、緊張もするが、まだまだ晴れがましい気分の方が大きい。

 それに、毎年クリスマスイブには地元の不良少年がバイクで暴れるという話を耳にして、うずうずしていたところだ。文句を言うつもりはない。

「そんな理由で呼び出されたんですか」

 背後から低い声が聞こえた。振り向くと、いつの間にか国田くにたリオが立っていた。

「あ、おはようございます。あれ? リオさんは今日、非番のはずでは?」

 彼女は二十歳だが、高校卒業後すぐに警察官になっており、警察学校の卒業が千隼より半年早い。千隼にとっては先輩に当たる。本来は「国田さん」と呼ぶべきかもしれないが、つい、響きのよい名前で呼んでしまう。

「そう、非番だったのに、さっき電話で呼び出されたの」

「急用で休暇を取得した者がいる。国田は署内で最年少なのだから、経験を積む機会が増えたと思って、喜んで勤務に励むように」

「予定をキャンセルしてきたんです。命令には従うけど、喜べと言われても無理です」

 野上は、リオの反論に応じることなく、彼女を睨みつけた。

「……国田。その服装は何だ。いつも言ってるだろう。警察官は、私生活においても、きちんとした服装で行動すること」

 その言葉に、千隼は横槍を入れそうになった──こんなに格好良いのに、どうしていけないんですか、と。

 私服姿のリオはまるでモデルのようだ。脚が長くて顔が小さく、千隼より頭ひとつ分以上は身長が高い。髪はブラウン、瞳は綺麗な青。母親がアメリカ人だと聞いたことがある。

 服装はいつも黒基調のストリート系だ。黒いパーカーの胸元に描かれた悪魔のイラストや、シルバーの髑髏をあしらったピアス。それらに野上が忌々しそうな視線をぶつけているが、リオに怯む気配はない。



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水村 舟



水村 舟(みずむら・しゅう)

旧警察小説大賞をきっかけに執筆を開始。第2回警察小説新人賞を受賞した今作『県警の守護神 警務部監察課訟務係』でデビュー。

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