話題沸騰、たちまち重版記念! 水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』ためし読み

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「ちっ、クソガキが。遊んでいる暇はないんだよ」

 先ほどとは打って変わり、牧島はパトカーの速度を上げ、オートバイとの距離を詰めた。オートバイが眼前に迫ってきて、千隼は「危なっ……」と口走った。

 牧島がパトカーのクラクションを鳴らす。

「ほれ、どけ。早く行ってしまえ」

 右へ、左へと蛇行を繰り返しながら、少年がこちらを振り返る。危険を感じたのか、速度を上げて逃げようとした──しかし、車体を傾けたままの体勢で、ギアを落とそうしたとき、急にバランスを崩した。オートバイの挙動が乱れ、少年が振り落とされた。

「うぉっ」

 牧島の叫びが車内に響く。

 タイヤが再びの急ブレーキに悲鳴を上げ、パトカーのボディが傾ぐ。千隼は反射的に体を硬直させ、両足を踏ん張った。耳障りな轟音がしてオートバイが倒れ、少年が視界から消えた。

 パトカーが止まった。路上にオートバイが転がっている。

 乗っていた人はどこに──千隼は暗闇に目を凝らした。

 二車線道路の右側、パトカーの数メートル先に、誰かがうずくまっている。

 千隼は、パトカーを降りようとしてシートベルトを外した。

 しかし、ドアハンドルに手をかけたところで、牧島に腕を掴まれた。

「待て」

「早くあの人を救護しないと」

「相手は族車だろう。乗っていたのも不良っぽいガキだ」

「それがどうしたというんですか」

 千隼は構わずに降りようとしてドアを開けた。しかし、牧島が力を緩めず、千隼を車内に引き戻そうとする。牧島の声は上ずっていた。

「少し待とう。オートバイは壊れていないようだ。乗っていたやつに大した怪我もないだろう。不良は、パトカーを見ればすぐに逃げ出す」

「逃げる?」

「大ごとにしたくないんだ。直接ぶつかっていないと思うが、このまま署に報告すれば、パトカーと二輪車の交通事故扱いになってしまう」

 牧島は体を左右にひねって、周囲を見渡していた。

「事故扱いにしたら、二人とも、当事者として交通課の取調べを受けるんだよ。そんなの嫌だろう」

「何てこと言うんです!」

「誰も見ていない、大丈夫だ。あいつが逃げ出すのを待とうよ。追う必要もない。そうすれば、何もなかったのと同じだから」

 それ以上は聞いていられず、千隼は、牧島の腕を振りほどいた。車外へ出て、道路上でうずくまる少年に駆け寄っていった。少年は、千隼に気づくと、道路に手をついて体を起こし、逃げ出そうとする。

「動かないで、頭を打っているかもしれない」

 千隼は屈みこんで、少年の肩を優しく押さえた。

「警察です、大丈夫だよ。すぐ救急車を呼びますから」

 牧島の姿を探して、後ろを振り返った。

 何かが高速で接近してくる気配がした。ヘッドライトで目が眩み、千隼の視界が白く焼けついた。

 視界を奪われた中、自分が道路上にいることを思い出す。

 牧島の言葉も思い出した──警察官の殉職は交通事故が一番多い。

「あ、危な……」

 立ち上がろうとしたがもう遅く、轟音と風が千隼を包んでいった。

「や、やだ……」

 これから起きようとすることを理解する間もなく、反射的に、体を防御しようと両手を突き出した。

 全身を衝撃が襲う。体が宙に浮いたような気がした。右肩に二度目の強い衝撃。路上に落ちた千隼の体は、アスファルトの上を転がりながら滑走した。

 脳内に幾度も稲妻が走り、頭が痺れた。

 起きないと。早く現場に行かないと……

 しかし、金縛りにあったように体を動かすことができない。

 薄れてゆく意識の中、救急車のサイレンを聞いたような気がする。

 ストレッチャーに乗せられ、病院の廊下を運ばれた気がする。

 医師のような恰好の人が、大勢待ち構えていたような気もする。

 それから、ゆっくりと闇に包まれていった。



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水村 舟



水村 舟(みずむら・しゅう)

旧警察小説大賞をきっかけに執筆を開始。第2回警察小説新人賞を受賞した今作『県警の守護神 警務部監察課訟務係』でデビュー。

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