話題沸騰、たちまち重版記念! 水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』ためし読み

「すぐ制服に着替えるんです。この服装で勤務するわけじゃない。何が問題なんですか」
「口答えするのか。新任でまだ何も知らない女が──」
野上は大声を出したが、途中でやめた。副署長という立場を思い出したのだろう。幾度も大きく息を吸い込んでから言った。
「……巡査が副署長と対等に議論することは認めない」
野上は頬を引き攣らせていた。警務課の職員が通りかかったが、不穏な気配を察したのか引き返していった。H署の署長は、初期のがんが見つかり療養休暇を取っている。署長不在のいま、全権を握っているのは副署長の野上だ。野上が爆発すれば、止められる者は誰もいない。
野上は、千隼の方を向いて怒声を発した。
「桐嶋! どうして、俺にこんなことを言わせるんだ」
「えっ? 私、何かしましたか」
「まずは地域課の先輩であるおまえが、後輩の国田に対し、警察官の心構えをしっかり指導すべきだろう。俺は忙しいんだ。副署長である俺の手をわずらわせるんじゃない!」
千隼は首をすくめながら言った。
「違います……後輩は私です」
覚えていなかったのか、と内心で呆れてしまう。H署には大勢の警察官がいるが、副署長なんだから、いくら忙しくてもそのぐらいは覚えていてほしかった。
リオが野上の脇をすりぬけ、女子更衣室の方へと消えていく。
「可愛くないな。だから評判が悪いんだ」
「……別にいいじゃないですか。可愛くなくても」
黙ってやり過ごせばいいとはわかりつつ、千隼もつい口を開いてしまう。
自分の心を騙して口をつぐんでいるのは苦手だ。競輪選手時代には、インタビューで思ったことを強気にズバズバ言ってしまい、炎上したことも多々あった──ぶっちぎりの脚力と愛嬌ある丸顔のせいで、大規模に燃え広がることはなかったが。
「リオさんは、すごく活躍しています。職務質問で覚せい剤所持者を捕まえたり、警視庁からの指名手配犯を見つけたり」
「確かに、あいつは実績をあげている。警察学校卒業後二年目の女性警察官としては、目覚ましいと言ってよいだろう」
千隼はうなずいた。口にしたことはないけれど、国田リオに早く追いつきたいと思っている。
「とはいえ、男性には体力で劣る。現場の警察官に必要なのは執行力、すなわち強さだ。国田ひとりで出来ることは限られている。それなのに、礼儀に欠け、協調性がない。周囲への感謝も見えない。警察社会で好かれる要素がない」
千隼が何かを言い返そうと言葉を探している間に、野上は言った。
「桐嶋。人の心配より、自分の心配をした方がいい。おまえは、まだ危険な現場に居合わせたことがないだろう。凶器を持った相手と遭遇したことがあるか? 薬物中毒で正気を失った暴漢と対峙したことがあるか?」
「ありません」
「おまえは、競輪界ではスター扱いされていた。オリンピックのメダリストでもある」
千隼にとって、競輪選手は寄り道でしかなかった。警察官採用試験に落ち、やむなく進んだ道。過去を話題にされることすら不快だ。
「……それ、何か関係があるんでしょうか」
「おまえの経歴は凄い。けれども、女性同士の闘いの勝者、というだけだろう」
「たしかに、自転車競技は男女別ですけれども」
「警察の現場は男女別じゃない。初動で現場に駆けつける地域警察において、か弱い女警はウィークポイントになりえる。それだけじゃない。今では六十過ぎの再任用警察官も増えた。そういうやつらが増えていく……必然的に警察が弱くなっていく」
「大丈夫です。逮捕術をみっちり仕込まれてきました」
「体格差のある男相手には、何の役にも立たない」
そのように言う野上は、身長百九十センチを超えているだろう。柔剣道のいずれにも秀でた強靭な肉体。先週、警察署内の道場で行われた逮捕術の訓練を思い出した。地域課の男性警察官が五人、まとめて野上に転がされていた。確かに、千隼が全力で警棒を叩きこんでも効きそうにない。
「いいか。もしおまえがひとりで、凶器を持った男を制圧しなければいけない場面に遭遇したとするだろう。新任の女警とはいえ、警察官だ。一一〇番通報してのんびりパトカーの到着を待つことは許されない。どうする?」
問いかけてきたのに、野上は千隼の答えを待たなかった。
「おまえが相手を制圧するには、拳銃を使うしかない。一瞬の判断の遅れが命取りになる」
「え……いいんですか?」
千隼は戸惑いを覚えた。今まで教わってきたことと大分違う。
拳銃の適正使用。その意味は、使わなくて済むのが一番ということだ、と色々な人から言われてきたのに。
「拳銃を使うと、確かに後で色々面倒な手続がある。しかし、力に劣るおまえたちは、そうするしかないだろう」
野上の声から感情が消えていた。
「ためらわずに使え。その後は、何があっても警察署の方で必ず護ってやるから」
「はあ」
野上の本音を聞いてしまった後では、煮え切らない返事しかできなかった。
この人、本当は女性や再任用の警察官が増えてほしくないと思っている。つまり、私を邪魔者だと思っているじゃないか!
護ってやる。そんな言葉を、信頼しがたい上司から冷たく心のこもらない声で言われても──戸惑いが増すだけだった。