新刊『リングサイド』収録▷「ばあちゃんのエメラルド」まるごとためし読み!

新刊『リングサイド』収録▷「ばあちゃんのエメラルド」まるごとためし読み!

 結局のところ、プロレスは芝居なんだよ。

 意外だった?

 その後も、何度も掲示板に〝荒らし〟がやってきたが、そのたびに皆がおおよそ決まったパターンで応戦するのを俺は見てきた。じゃあ映画やマジックはぜんぶ本物なのか? 八時のメロドラマは? 芝居だってわかっても、みんな楽しみに観てるんだろ?

 こういう返しもあった。

「プロレスとは、選手がどのようにキャラクターを演じ、自らの肉体を以て、あるいはその他の方法で、語るべき物語をいかに確実に観客に伝えるか、という芸術である」

 なんだかすごいこと言ってそうな切り返しだよな。

 もちろん俺は芸術が何かなんてちっともわかってないけど、まあ、少なくともそれは「技術」なんだとは思う。──例えば、ばあちゃんが若い頃、村中の誰も敵わないスピードで漁網を繕うことができた、とか、阿西の母ちゃんが市場で十分間に六、七匹の魚をさばくことができた、みたいに、本当はすごく難しいことをいとも簡単にやってのける、そういうのと同じだろ。あまりに簡単にやってのけてしまうから、見ているほうは、大したことないことだと錯覚してしまうんだよ。

 プロレスのどの部分が芝居かって? 勝負だよ。勝ち負けは最初から決めてあるんだ。

 いま君が聞いたチャンピオンベルトはね、会社とか団体からの、レスラーに対する評価みたいなもので、人気の証でもある。もちろん人気のある選手は、技術やその他の面で一定の水準に達しているからね。時にベルトは、世代の引継ぎとか、新人を抜擢する手段にも使われる。

 プロレスラーっていうのは、一生涯やり続けられる仕事じゃないよな。一定の地位を獲得したベテランレスラーは、会社の未来を託す実力ある新人に勝ちを譲ることによって、新人がファンたちに認められる手助けをする。これを「プッシュ」って言うんだ。知名度がない新人が、有名なベテランレスラーを敗退させたら、新人にとっては大金星だけど、ベテランにとっては大したキズじゃないだろ。まあ、新人お披露目のやり方の一つだよな。

 以前、俺は納得がいかなくて、ばあちゃんに聞いたことがある。テレビのプロレスはぜんぶ芝居だって、ばあちゃん知ってる?

 ばあちゃんはテレビから目を離さなかった。そしてだいぶ長いこと経ってから、言った。

「知ってるよ。私らは〝わざ〟を観てるのさ、勝ち負けじゃないよ」

 ばあちゃんは振り返って俺を見た。

「バカ孫、おまえがもしミサワの『L棒』を受けたら、痛くないのかい?」

 俺は首を振った。

「おまえが持ち帰った破片もね、テーブルに投げ落とされたメリケン人は、きっと痛くて痛くて泣き叫んだだろうね、そうじゃないかい?」

 俺はうなずいた。

「俗に言うだろ、『踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らな損ソン』ってね。ミサワが負けたら、私とお前はとても辛い。あ、でもミサワが勝ったら、私らはにっこり笑って、その夜は気持ちよく眠れる。楽しむことが大事なのさ」

 見ろよ、ばあちゃんは俺なんかよりずっと通(ツウ)だろ。

 俺は以前ほど掲示板の投稿に反応しなくなった。自分がなんだか馬鹿みたいに思えたからな。もちろんちょっと騙されたような気もしたが、考えてみればばあちゃんが言うことにも一理ある。

 俺はその後もばあちゃんに付き合ってプロレスを観てはいたが、あることを知ってしまってから、Xチャンネルが三沢の試合を放映しないように願うようになった。三沢の試合は、以前よりも放映されることが少なくなってはいたけど、しかしうっかり見てしまった時は、何か他に用事があるようなふりをしたり、これは前に何度も見たことがあるよ、とばあちゃんに言ったりした。

 何のことかって?

 先にもう一つの話をさせてよ。

 阿西と一緒にWWEの林口体育館での台湾興行を観に行ってから、俺はときどき、LV電視台が放映するWWEの番組を観るようになった。ほんとうに、ときどきだけどね。まあ、己を知るには敵を知れってことだよ。観始めて間もなく、よく知ってる顔が出ていることに気が付いた。日本のプロレス界に長く参戦し、間もなくアメリカに凱旋すると宣伝されているWWEレスラーだ。

 解説者は彼のことを、日本のプロレス界では圧倒的な強さを誇っていた、と紹介した。名前は、「ロード・テンサイ」。はぁ? ロード・テンサイってなんだよ? 日本のリングでは「ジャイアント・バーナード」だったよな。彼のことを一目見たら、胸元から両肩、そして上腕までを一面に覆うタトゥーのことが忘れられなくなるだろう。まるで獣が身にまとう毛皮の模様のように、鋭利な文様のタトゥーだ。さらには乳首やあご、耳たぶにもピアスを嵌めている。体格も、日本のレスラーを何サイズも上回る大きさで、すっごく恐ろしげだった。

 ジャイアント・バーナードは、かつて、新日本プロレスのIWGPタッグ王座を二度獲得し、三沢光晴が立ち上げたプロレスリング・ノアのGHCタッグ王座も獲った。日本のプロレスリングに登場する「外国人レスラー」には、それなりの強さが期待される。ジャイアント・バーナードはどれくらい強かったかって? 日本人がつけたキャッチコピー「刺青暴君」「破壊凶獣」を見れば、あの頃、ジャイアント・バーナードがリング上でどれだけ思うままにふるまっていたのか、想像がつくはずだ。俺は昔の友達に再会したみたいで、嬉しかったよ。でもWWEには、ロード・テンサイが恐ろしい実力を発揮し続ける余地はなく、彼はその後、三枚目に転向してしまった。それも、すっごくWWEらしい筋書きだよ。……俺の言ってることわかるよな?

 



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リングサイド

『リングサイド』
著/林 育徳 訳/三浦裕子


 
林 育徳(リン・ユゥダー)
1988年台湾・花蓮生まれ。プロレスファン。花蓮高校卒業後3つの大学を転々とし、6年かけて卒業。東華大学華文文学研究所(大学院)で、呉明益氏に師事。中学時代から詩作を中心に創作活動を展開し、全国学生文学賞、中央大学金筆賞、東華大学文学賞、花蓮文学賞、海洋文学賞など受賞歴多数。『リングサイド』収録の短編《阿的綠寶石》(ばあちゃんのエメラルド)で、2016年第18回台北文学賞小説部門大賞受賞。『リングサイド』(原題:擂台旁邊)は大学院の卒業制作。現在も花蓮在住。

 
三浦裕子(みうら・ゆうこ)
仙台生まれ。早稲田大学第一文学部人文専修卒業。出版社にて雑誌編集、国際版権業務に従事した後、2018年より台湾・香港の本を日本に紹介するユニット「太台本屋 tai-tai books」に参加。版権コーディネートのほか、本まわり、映画まわりの翻訳、記事執筆等をおこなう。

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