町田そのこさん『わたしの知る花』*PickUPインタビュー*

町田そのこさん『わたしの知る花』*PickUPインタビュー*
 各章で語り手が変わる連作集──と説明するとスケッチ風の読み物と思われるかもしれない。だが町田そのこさんの『わたしの知る花』(2024年7月22日発売)は、各章の主人公たちの思いを丁寧に掘り下げつつ、全編を通して一人の人間の切実な思いを浮かび上がらせて圧倒する作品だ。そこにこめた思いとは?
取材・文=瀧井朝世

 とある時期からまちに現れ、公園で絵を描き始めたおじいさん。周囲は奇異の目を向けるが、噂によると彼は大昔、このまちに住んでいたらしい──。町田そのこさんの『わたしの知る花』は、そんな老人男性と関わった人々を語り手にした連作集。どの章も語り手が抱える事情が描かれるなか、少しずつ思いもよらぬ彼の重厚な人生模様が見えてくる。

「まちに現れた一人の謎のおじいさんの人生を、いろんな人が多角的に喋る物語を書こうと思ったのが始まりです。まちの人から異端視され、子供たちから揶揄されているような人にも、実はいろんな過去があって、深い思いやドラマがきっとある。そういうことを若い子に知ってほしくて、まず第一章の主人公、高校一年生の安珠ちゃんが生まれました。若さゆえの傲慢さで他人のことを想像すらしなかった子が、相手の意外な面を知った時にどうなるのかを書きたかったんです。後半、彼女が成長していくところはすごく頼もしいし、若い子のパワーっていいなと思いながら書きました」

 第一章のタイトルは「ひまわりを花束にして」。老人がノートに描いている絵に惹かれた安珠が祖母の悦子に尋ねてみたところ、悦子は彼の名前が葛城平だとは教えてくれたものの、関わってはいけないと釘をさす。実際、安珠が話しかけても葛城平はそっけない態度で……。

 無邪気で明るい安珠の一人称の文体が実に楽しく、時には噴き出してしまうほど。ただ、そんな彼女にも気にかかっていることがある。幼馴染の親友、奏斗が小学生の頃から「自分の心の性別が分からない」と悩んでいることは知っていたが、ここ最近、すっかり笑顔を見せなくなっているのだ。

「奏斗くんの抱える問題はすごくデリケートですよね。自分が男らしくないことに悩んでいるのか、マイノリティとしての問題を抱えているのか……。その線引きをどう描くのかはものすごく難しかった」

 奏斗自身も自分の不安の正体を明確にできず、心を揺らす様子が実にリアルで、著者の誠実さを感じさせる。それは、本屋大賞受賞作『52ヘルツのクジラたち』の映画化が大きく影響しているという。

「映画では、LGBTQについてすごく大事に扱ってくださったんです。実際にトランスジェンダー監修の方もついてくださって、出演者の方もスタッフの方も撮影に入る前に講義を受け、細心の注意を払ってくださった。撮影現場に何度か足を向けましたが、監督たちのお話を聞いていくうちに、自分に思い込みや意識の狭さがあったなと気づいて恥ずかしくなりました。あの映画に携わることができたからこそ、いろんな人がいて、いろんな悩み方があると改めて勉強になりました。自分は作家である以上、想像力を広げて、いろんな人のいろんな苦しみを書かなければいけないと強く思いました」

町田そのこさん

 安珠はずっと奏斗を大事に思い寄り添ってきたが、ある時何気ない一言で彼を激昂させてしまい、苦しむこととなる。そんな安珠や奏斗は、その後他の章にも登場する。

 第二章「クロッカスのひと」は、疎遠だった母親の紫里が亡くなり、故郷に戻ってきた美園という女性が語り手である。生前の母は過剰に家族と一緒にいたがる人で、それが重荷で美園は大学進学時に家を出た。はじめの頃は美園に執着していた紫里も、その後、訪問介護施設で働き始めてやりがいを見つけていたようではある。

「母親のこういう愛情を理想的だと思える娘もいるんでしょうけれど、美園さんは違ったんですよね。親子にだって相性がありますから。このお母さんは娘とは疎遠になってしまったけれども、きっと寂しくない最後だったろうな、という書き方はできたんじゃないかと思います」

 葬儀を済ませた後日、まだ実家に滞在していた美園を訪ねてきたのが、葛城平だ。彼は紫里の死を知らず、彼女から一冊の日記が送られてきたので返しにきたという。美園は母の日記をめくりながら葛城からも話を聞き、過去に起きた、とある事件を知ることとなる。

「お母さんの日記を書くのがすごく楽しかったんですよ。語尾にカタカナの〝ネ〟をつけたりする、あの文体を一度やってみたかったんです。書いていたらあまりに楽しくて長くなってしまって、後から泣く泣く割愛しました。いつか日記だけの小説を書いてみたいです」

 第三章「不器用なクレマチス」では、若かりし頃に葛城や悦子と顔なじみだったおじいさんが語り手。葛城の話を聞こうと訪ねてきた安珠や奏斗に冷たくあたり、実に偏屈な老人という印象だ。

「平さんとは対極の、社会的に成功してお金もある人だけど嫌われているおじいさんを書きたかったんです。そういう人でも生まれつき悪い人だったわけではなくて、必死に生きてきて、その人なりの真実もあったはず。そこを描きたいと思って」

 章の後半には、そんな彼と奏斗が語り合う場面がある。

「すごく書きたかった場面です。意外な人の言葉が誰かに真っ直ぐ届くことってある。身近な人でなくても、自分が素直になれる相手というのは絶対にどこかにいて、それは付き合いの長さとか年齢とか性別とかに左右されるものではないと思うんです。これは自分の希望なんですけれど、誰でもいつか、必要な時に必要な言葉をくれたり必要な行動をとってくれる人に出会えるって思っていたいです」

町田そのこさん

 第四章「木槿は甘い」は、葛城平が暮らしていたアパートの大家夫婦、四十代の奈々枝と風太郎の話だ。二人はかつて不妊治療に臨んでいたが妊娠には至らず、その後夫の風太郎は心を病み、仕事を辞めて今は作家を目指している。

「ここで書きたかったのは、誰かと一緒に何かを乗り越えないといけない時に、相手の決断や意見をどれだけ吞み込んで納得していけるのか、ということでした。やっぱり夫婦である以上、相手の問題は自分の人生にも降りかかってくる。最初のうちは愛とか情で受け止められても、数年後に苦しみが大きくなっていたりする。その時に相手を責めていいのか、自分はずっと耐えていくのか、離れたほうがいいのか、でも共に生きていきたいと思う気持ちはどうしたらいいのか……。そんなことを考えながら書きました」

 この章では、葛城平がいつもノートに描いていたものが、どういう意味を持つものなのかが明かされる。それが実に切ない。

「平さんを、何かをずっと書き続けていた人にしたのは、自分自身が、死ぬまで物語を書きたいと思っているからかもしれないです。私自身、作家になれなくても死ぬまで何か書いて生きていこうと決めていたので、それを平さんに託したところがあるかもしれません」

 実は執筆途中で、筆が止まった時期もあったという。

「一応最後まで話の骨組みは決めていたんですが、肉付けが足りなかったというか。自分は最終的に何が書きたいんだろうと考えて進まなくなってしまったんです。でも、やっぱり最終的に一番伝えたいところって、愛だよな、と思った時に、第五章のストーリーがわーっと広がっていきました」

 そんな最終章「ひまわりを、君に」は、過去に平さんと関わったある人物が語り手で、この一章だけでもずっしりとした読み応えがある。辛い出来事も描かれるが、語り手が恋に落ちる場面が、たまらなくエモーショナルで幸福感に満ちていて読ませる。

「あの場面は書いていて楽しかったです。これまでちゃんと恋が始まる瞬間を書いたことがなかったので、私も書きながらアドレナリンが出ました(笑)」

 そこから恋に落ちた二人がどんな運命を辿ったのか、その人生の紆余曲折が濃密に描かれてまさに圧巻である。

 書名や章タイトルから分かるように、本作は花が重要なモチーフだ。

「生きているうちに好きな人には花を贈ろう、という気持ちがありました。平さんは、誰かに花をあげようとしても、いつも受け取ってもらえずにいたんですよね。そんな彼が最後に花を受け取ってもらえたらいいなというイメージがありました。タイトルの『わたしの知る花』は、〝わたしの知る彼〟ということでもあります。たぶん、平さんに関わった人たちは、花を見るたび、彼のことを思い出すんじゃないかな」

 若い世代から年配の世代まで、さまざまな立場が描かれるからこそ、時代の流れの中での人々の生き方や価値観の移り変わりが見えてくるのも魅力だ。

「いろんな年代の悩みが書けたらいいなと思っていました。その年代にしかない苦しみもあるだろうし、今は間違っているとされる考え方に従って生きてきた人は今苦しいよな、などとも考えていました」

 今抱えている悩みに苦しむ若い世代と、心の奥底に傷を抱えながらも生きてきた年配の世代が対照的にも感じられる。

「私は、傷口が開いて血が流れている状況の物語を書くことが多いと思うんです。でも今回は、これまでとは違う、古傷の痛みを感じながらかさぶたを撫でている人が書けたらいいなと思っていました」

町田そのこさん

 そのなかでも、女性だからと進学を諦めさせられ、その後傷つきながらも道を切り拓いてきた安珠の祖母、悦子がなんとも格好いい。

「『あなたはここにいなくとも』でおばあちゃんを書いたあたりから、私は人生の目標を素敵なおばあちゃんに据えているんですね(笑)。私も悦子さんみたいなおばあちゃんになりたい。彼女は誰かに幸せにしてもらわなくても、自分の幸せは自分でつかみとるという、いい意味でしたたかな人です」

 ちなみに、町田作品の読者なら、作中に出てくる樋野崎市は、『宙ごはん』や『夜明けのはざま』にも出てきたまちだと気づくはず。

「樋野崎市の設定がどんどん繫がっていくのが楽しいです。今回、安珠ちゃんたちが暮らす菜々吾市は樋野崎市から少し離れた場所にあり、菜々吾市の隣が加住町という設定です。今後もこのあたりが舞台のものを書いて、『宙ごはん』の宙ちゃんのビストロや、『夜明けのはざま』に出てくる葬儀社のあんも登場させたいですね。『夜明けのはざま』に出てくる、いじめ被害者だった須田くんがその後どうしたのかも、そのうち書きたいと思っています」

わたしの知る花

『わたしの知る花』
町田そのこ=著
中央公論新社

町田そのこ(まちだ・そのこ)
1980年生まれ。福岡県在住。「カメルーンの青い魚」で、第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。2017年に同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞した。その他の著書に『星を掬う』『宙ごはん』『夜明けのはざま』などがある。


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